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真夜中のキッチン・Ⅲ
しおりを挟む「オレのところは、ばあちゃんと同居してないんだよなあ」
「ぼくのところも、慎吾と一緒だよ。
おばあちゃんとおじいちゃんは、田舎で伯父さん一家と住んでるんだ」
慎吾とぼくは、そう答えた。
おそらくA子から、母親とおばあさんとの対立話を聞かされるんだろうが、聞かされても、「そんなとき、ぼくのお母さんなら……」と言ったような、気の利いたアドバイスは出来そうにない。
ところが、
「ケーキ、美味しかったでしょ。
お母さんね、ケーキ作りだけじゃなくて、料理がとっても上手なんだ」
ぼくの予想は、あっさりと外れた。
A子が、唐突に話題を変えたのだ。
予想は外れたが、重い話より、そっちの方がいい。
「二人は、料理の足し算と引き算って知ってる?」
「足し算と引き算?」
慎吾は不思議そうな顔になったが、ぼくはピンときた。
「足し算っていうのは、料理をしているときに、色んな調味料を足していくことじゃないの?」
「さすが、タケルくん。正解よ。
調味料だけじゃなくて、ハーブみたいな香草やトマトソースを加えたりとかね。
素材に、幾つもの味を足していくことで、料理を美味しくするの」
「じゃあ、引き算は?
料理の引き算ってどうするんだ?」
慎吾が言う。
ぼくも、引き算の方は想像できなかった。
「素材から、雑味を取り除くことが引き算よ。
ほら、鍋料理をするとき、お母さんが、アク取りをするでしょ。
あれも引き算よ。
タマネギを水にさらして辛みを抜いたり、魚の身に塩を振って、余計な水分を外に出すのも引き算」
「アク取りって、引き算なのか」
ぼくは、お母さんがアク取りをしていたところを思い出した。
確かに「取る」と言うことは、引いていることになる。
「雑味や臭み、エグ味を取って、素材の良いところ、美味しいところだけを残すの。
これが料理の引き算。
洋食や中華料理は足し算、和食は引き算が基本よ。
……って、お母さんが言ってたんだけどね」
A子は、小さく舌を出して笑う。
「A子のお母さんの作る料理って、すっげーー旨そうだな」
「美味しいわよ」
自慢そうに答えたA子の表情が、ふと暗くなった。
「……でもね、おばあちゃんは、いつも不味い不味いって言うのよ」
……嫁姑関係の話に戻ってきた。
ぼくは、少し感心した。
A子は話題を変えたようにみせて、料理の話から、嫁姑関係の話に繋げたのだ。
「おばあちゃんって、さっき下にいた、おばあさんだよな」
慎吾が驚いたような顔で確認する。
慎吾の気持ちは分かる。
ほんの一瞬、見ただけだけど、ぼくだって、あの穏やかそうな笑みを浮かべていたおばあさんが、そんな嫌味を言うような人には見えなかったのだ。
「そうよ。
おばあちゃんはね、元々、近所に住んでいたんだ。
だけど、おじいちゃんが亡くなってから、一緒に住むようになったの」
A子は、小さく溜息をついた。
「おばあちゃんが、一緒に住むようになってから、すぐに家の空気がギスギスし始めてさ……」
「……ギスギスって?」
慎吾が遠慮がちに聞く。
「掃除の仕方が悪い、洗濯物の畳み方が悪いって、四六時中、お母さんの家事に文句を言うの。
だけど、自分は、やれ足が痛い、腰が痛いって言って、家の用事を何にもしないの」
A子は、しかめ面になって続ける。
「食事だって、味が濃い、味が薄い、甘すぎる、塩っ辛いって、毎回のように文句ばっかり。
それどころか、お母さんの作った料理を、わざと引っくり返したことだってあったんだから」
A子が訴えるように言うが、柔和な顔で、ちょこんと座っていた、あのあばあさんが、そんな酷いことをするとは、ちょっと信じられなかった。
「お父さんは?」
慎吾がたずねた。
「おばあちゃんの味方よ。
……一度、夜中に、一階のリビングから、お父さんの怒鳴り声が聞こえてきたわ。
耳を澄ますと、お母さんを責める、おばあちゃんのヒステリックな声も聞こえてきたの。
お父さんは、おばあちゃんの言い分だけを信じて、お母さんを叱っていたみたい。
……あたしは、耳を塞いで、頭から布団をかぶったわ」
「……まあ、子供が口を出せる状況じゃないよな」
慎吾が、やるせない顔で言う。
「あの夜も……」
そう言ったA子は、少し黙り込んだ。
「あの夜って?」
「お父さんが、出張でいなかった夜……」
ぼくがうながすと、A子が答えた。
「……また夜中に、リビングから、おばあちゃんの声が聞こえてきたの。
……お母さんを罵る声よ。
寝たふりをしようか、それとも下に降りて、おばあちゃんに文句を言おうかと迷っていたら……、音が聞こえたの」
話すA子の目は、どこか虚ろなものになっていた。
「音って?」
慎吾が問う。
「……分からない。
ゴンっていう、重い音が響いたら、おばあちゃんの声がピタリと止まったの。
物凄く静かになったわ」
ぼくは何も言えなくなった。
聞いちゃいけない話が始まっている気がする。
重い話じゃなくて、怖い話だ……。
斜め前に座る慎吾の顔を盗み見る。
慎吾の顔も強張っていた。
「……でもね、しばらくすると、何か物音がし始めたの。
ごそごそ、がさがさと音が聞こえてくるんだけど、何の音かさっぱり分からない。
あたしは、我慢できなくなって、ベッドからそっと降りると、音を立てないようにドアを開けたわ。
それから、ゆっくりと階段を降り始めたの」
……これは、マズイ。
聞くと巻き込まれる系の話だ。
ぼくは、今すぐ、この家を出たかったけど、A子は話を止めなかった。
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