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リクドウ池の氾濫・Ⅳ

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 「河童だよ。
 あんたが悪さをするから、河童に引っ張られたんだよ」
 奥のレジ台の上で座っているおばあさんが、おじさんに向かってそう言った。

 ぼくは、おじさんが「ふざけるな!」と怒り出すんじゃないかと思った。
 ところが、おじさんは、真顔になって何度もうなずいた。

 「あ、あれは河童かも知れねえ。
 甲羅だ。甲羅があったんだ」

 「いるわけないだろ、そんなもの」
 おじさんの言葉に、工藤の兄ちゃんがあきれたような顔になった。

 「じゃあ、これを見てみろよ!」
 おじさんが濁った水の中から、右足をあげた。

 ズボンが、膝下から大きく裂けていた。
 むき出しになった足は、鋭い爪で引っかかれたよう傷が二ヶ所に走り、その間の肉が何かに噛みつかれたように抉れている。

 犬のように、牙のある動物に噛まれた跡には見えなかった。
 鋭角にざっくりと抉れている。
 まるで大きな嘴をもつ鳥に噛まれたような傷跡だった。
 そこから真っ赤な血が流れている。

 「……!」
 舞原は顔をそむけた。

 「……水の中を流れてきた、針金や看板で切ったんじゃないのかな」
 工藤の兄ちゃんは、河童なんか、まるで信じていない顔で言った。

 ぼくだって、まだ河童がいるとは信じられない。
 けど、おじさんの足の傷は、針金や看板でついた傷にも見えなかった。

 「お、おい。
 どけよ、ガキども。
 そこは、ケガ人のオレに座らせろ」
 おじさんはぼくと舞原をどかせて、レジ台に上がろうとした。

 「あんたいい加減にしなよ!」
 工藤の兄ちゃんが、厳しい声を出した。
 「傷口が心配なら、怪我した片足だけレジに乗せて、立っときゃいいだろ!」

 「分かったよ」
 おじさんは怪我をした足をレジの端に乗せると、ふて腐れたような顔になった。

 「……じゃあ、救急車だ。
 救急車を呼んでくれよ」
 おじさんが訴え、工藤の兄ちゃんがスマホを取り出した。

 119番に掛け、怪我人が出たから救急車を回してほしいと伝える。
 「ええ、はい。
 ……分かりました。なるべく早くお願いします」
 電話を切った工藤の兄ちゃんが、おじさんに顔を向けた。
 「救急車も消防車も出払っていて、ちょっと時間がかかるってよ」

 「くそ。こんな店に入るんじゃなかったぜ」
 おじさんは舌打ちした。

 その時、出入り口近くの棚がガンと音を立てて、大きく揺れた。
 「わわわわ!」とおじさんが怯える。
 「おい、化け物が店の中に入ってきたんじゃねえのか!」

 ぼくと舞原はレジ台の上に立ち上がり、揺れた棚の辺りを見つめた。

 出入り口のドアは大きく開いたままになり、店内に流れ込んだ泥水は、もう腰の辺りまで沈む深さになっていた。

 出入り口近くの通路の水面にスーーッと波紋が走った。
 浮かんでいたお菓子の袋が、押しのけられたように、ゆらゆらと移動する。
 何か大きなものが、水中を移動したようだった。

 「工藤の兄ちゃん!
 何か入ってきてるよ!」
 ぼくは、波紋が走った位置を指さしながら叫んだ。

 「見えたのか? タケル」
 「一瞬だけだったけど」
 「私も見たわ」
 工藤の兄ちゃんに、ぼくと舞原が答える。

 「いた! 
 今度は、そっちだよ!」
 ぼくは店の奥を指さした。
 水面下を移動する影を見つけのだ。

 レジが設置された場所とは反対側の奥の角、ちょうどトイレのドアがある辺りである。
 正確には、そのドアを開けるとトイレになっている訳では無い。
 そこは手洗い場になっている。
 手洗い場の左右にドアがあり、男性用、女性用のトイレとなっているのだ。

 工藤の兄ちゃんが水を掻き分けて、トイレのドアが見える位置に移動した。

 そして、ぼくたちが見ている前で、ドアが押し開けられた。
 ドアはスイングドアと言って、どちら側からであっても、押すだけで開くドアである。
 水中で、何かがトイレのドアを押したのだ。

 「……マジかよ」
 工藤の兄ちゃんも緊張した顔になった。

 何かが手洗い場のスペースにの中に入り込んだのか、ドアはゆっくりと閉じた。

 そして、トイレの中から「ウェウェウェウェ」と、不気味な笑い声のようなものが響いてきた。

 「きゃ!」と声をあげて、舞原が真っ青になった。

 「ほれ、いるだろ! 
 化け物がいるじゃねえか!」
 おじさんが泣き笑いのような顔になって言う。

 今度はトイレのドアが向こう側から押し開けられた。
 水中を移動する何かが店内に戻ってきたのだ。

 「見て! 
 こっちにもいる!
 また入ってきたよ!」
 舞原が開きっ放しになっている、出入り口のドアあたりを指さして叫んだ。

 見ると、外から航跡のような波紋を引いて、何が大きなものが店内に入ってくるところだった。

 黒くていびつな形をしたモノが水面に浮かび、そしてスッと沈んでいった。
 一瞬だけど、はっきりと見えた。
 間違いなく甲羅である。
 しかも大きい。

 水中の中にある部分を含めれば、優に1メートルはありそうな甲羅であった。

 あれが河童だとしたら、一匹じゃない。
 少なくとも、店の奥にいるモノと合わせて二匹はいる。

 リクドウ池は、本当に、どこか良くない場所と繋がっているのだろうか……。
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