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奈良屋・Ⅱ
しおりを挟む顔色は透き通るように白い。
その中で、唇だけが妙に赤かった。
……血の巡りが滞っているのか?
ミツの顔色を見た研水は、次に薄く開いた口に鼻を寄せた。
吐息を嗅ぐ。
……臭いは無い。
……消化器系の病では無いな。
ミツの細い手首を取る。
……脈がほとんどない。
研水は両親に目を向けた。
「いつから、このような状態に?」
母親が夫である庄衛門の顔を見た。
「……ひと月ほど前から、やつれ始め」
庄衛門は、言いにくそうに言う。
「何か、病に至る心当たりはありますか?」
研水が問うと、庄衛門は辛そうに唇を噛む。
その様子に、研水は改めてミツを見た。
そして、この座敷を見回す。
柱と天井に、幾つもの札が張られていた。
「まさか、死人歩き……!」
研水がつぶやくと、ミツの母親が顔を覆って泣き始めた。
肯定である。
「……その通りでございます。
ひと月ほど前から、ミツが夜な夜な一人で出歩き始めたのでございます」
庄衛門は額に浮いてきた汗を拭いながらそう言った。
死人歩き。
今の江戸を騒がす怪異のひとつである。
犬神憑きと遭遇した夜、下男の六郎も、この死人歩きについて話をしていた。
若い女性が夜中になると、ふらふらと家をさ迷い出るのだ。
家人止めようとしても、それを振り切って外に出てしまう。
これを繰り返すうちに、どんどんやつれて顔色が悪くなり、まるで死人が歩くようだということから、死人歩きと呼ばれている病である。
さ迷い出た娘は、どこで何をしているのか、さっぱりと分からない。
戻って来た本人に詰問しても、まるで覚えていない。
これが続くと、徐々に衰弱し、昼も意識がもうろうとし、ついには寝込んだまま息を引き取ってしまうのだ。
これは病では無く、あやかし取り憑かれているのだという噂も、まことしやかに流れている。
この座敷のあちこちに張られている札は、病魔を祓う札であった。
「娘が死人歩きに罹ったと周りに知れれば、商売にも差しさわりがあると思い、大事に出来ず……」
庄衛門が視線を伏せて言う。
と、ミツの呼吸が変わった。
水面に顔を出した鯉のように、口をパクパクとさせ始めたのだ。
息を吸おうと喘いでいる。
これは、下顎呼吸と言い、呼吸困難に陥ったときの症状のひとつである。
研水の顔が厳しくなった。
ミツは、今まさに死のうとしているのであった……。
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