大江戸怪物合戦 ~禽獣人譜~

七倉イルカ

文字の大きさ
上 下
40 / 204

幼い少女

しおりを挟む
 
 研水は、そっと後ろから少女に近づいた。
 慎重に足音を殺す。
 はたから見れば、濠を覗き込んでいる少女の後から、不審人物が忍び寄っているようにしか見えないことは分かっている。
 しかし、水中に潜む怪物に、濠に近づく自分の足音を察知されたくなかったのだ。

 すでに怪物は、遠くに去っているのかも知れない。
 近くに潜んでいたとしても、陸地の足音には、興味を持たないかも知れない。
 そもそも、何かの見間違いで、人魚のような怪物などいないかも知れない。
 それらの可能性をふまえてなお、研水は、用心に用心を重ねていた。

 研水は、少女の後ろに立った。
 足音だけではなく、息も殺しているため、少女は気づいていない。
 あと一歩、足を踏み出せば、少女に手が届く。
 ただ、その一歩で、濠の間際にまで、近寄ることとなってしまう。

 研水は、強張った表情で、唾を飲み込んだ。
 犬神憑きの獰猛な顔。
 まんてこあのおぞましい死骸。
 はあぴいの狂った老婆の目つき。
 それらが次々と、脳裏によみがえる。
 
 この位置からは見えない護岸の濠側に、怪物が潜んでいる気がする。
 よどんだ濠の水から顔を出し、黄色い目をギラギラとさせ、研水が、あと一歩を踏み出すときを待っているのだ。
 あと一歩を踏み出せば、怪物の爪が届き、牙が届く。

 いかん……。
 研水は小さく首を振った。
 自分の心が作り上げた恐怖にとらわれ、動けなくなっている。

 ただの町医の私が、そう何度も怪物に遭遇するはずがない。
 何も起こらぬ。
 何も起こらぬ。
 何も……。
 研水は、思い切って、右足を踏み出した。

 踏み出した動きに合わせて両手を伸ばすと、少女の腰を左右からつかみ、ひょいと持ち上げた。
 そのまま、踏み込んだ右足で地面を軽く押し返す。
 反動を使って、後ろ向きに素早く三歩さがり、くるりと反転すると、濠から離れた位置に少女をそっと降ろした。

 降ろした瞬間、振り返り、濠に変化がないことを確認すると、大きく息を吐いた。
 は、はははは……。
 そうだ。何も起こらぬ。
 起こるはずがないのだ。
 研水は、気の抜けた笑みを浮かべながら、額の汗を手の甲で拭いた。

 ……?
 少女は、そんな研水を驚いたような目で見ていた。
 急に後ろから持ち上げられて、濠から離れた場所に降ろされたのだ。
 何が起こったのか、分かっていないようであった。

 「ああ、あの、あれだよ。
 あまり近づくと、濠に落ちちゃうかも知れないからね。
 し、心配になったのさ」
 見上げる少女の視線に気づいた研水が、あたふたと誤魔化すように言う。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

処理中です...