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幼い少女
しおりを挟む研水は、そっと後ろから少女に近づいた。
慎重に足音を殺す。
はたから見れば、濠を覗き込んでいる少女の後から、不審人物が忍び寄っているようにしか見えないことは分かっている。
しかし、水中に潜む怪物に、濠に近づく自分の足音を察知されたくなかったのだ。
すでに怪物は、遠くに去っているのかも知れない。
近くに潜んでいたとしても、陸地の足音には、興味を持たないかも知れない。
そもそも、何かの見間違いで、人魚のような怪物などいないかも知れない。
それらの可能性をふまえてなお、研水は、用心に用心を重ねていた。
研水は、少女の後ろに立った。
足音だけではなく、息も殺しているため、少女は気づいていない。
あと一歩、足を踏み出せば、少女に手が届く。
ただ、その一歩で、濠の間際にまで、近寄ることとなってしまう。
研水は、強張った表情で、唾を飲み込んだ。
犬神憑きの獰猛な顔。
まんてこあのおぞましい死骸。
はあぴいの狂った老婆の目つき。
それらが次々と、脳裏によみがえる。
この位置からは見えない護岸の濠側に、怪物が潜んでいる気がする。
よどんだ濠の水から顔を出し、黄色い目をギラギラとさせ、研水が、あと一歩を踏み出すときを待っているのだ。
あと一歩を踏み出せば、怪物の爪が届き、牙が届く。
いかん……。
研水は小さく首を振った。
自分の心が作り上げた恐怖にとらわれ、動けなくなっている。
ただの町医の私が、そう何度も怪物に遭遇するはずがない。
何も起こらぬ。
何も起こらぬ。
何も……。
研水は、思い切って、右足を踏み出した。
踏み出した動きに合わせて両手を伸ばすと、少女の腰を左右からつかみ、ひょいと持ち上げた。
そのまま、踏み込んだ右足で地面を軽く押し返す。
反動を使って、後ろ向きに素早く三歩さがり、くるりと反転すると、濠から離れた位置に少女をそっと降ろした。
降ろした瞬間、振り返り、濠に変化がないことを確認すると、大きく息を吐いた。
は、はははは……。
そうだ。何も起こらぬ。
起こるはずがないのだ。
研水は、気の抜けた笑みを浮かべながら、額の汗を手の甲で拭いた。
……?
少女は、そんな研水を驚いたような目で見ていた。
急に後ろから持ち上げられて、濠から離れた場所に降ろされたのだ。
何が起こったのか、分かっていないようであった。
「ああ、あの、あれだよ。
あまり近づくと、濠に落ちちゃうかも知れないからね。
し、心配になったのさ」
見上げる少女の視線に気づいた研水が、あたふたと誤魔化すように言う。
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