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一名海雷

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   ◆◇◆◇◆◇◆◇

 「へーー、羨ましいねえ」
 老人の話を聞いた中年の女性が、そう言った。

 「羨ましいと?
 何が、羨ましいんじゃ?」
 老人は驚いた顔になった。

 「だってほら、そいつは人魚なんでしょ。
 人魚を見た人間には、良いことが起こるって言うじゃない」
 女性はそう言った。
 江戸時代、人魚は麒麟と同じく、めでたいしるしである、瑞兆、吉兆と呼ばれていた。

 「あれは、そのようなものではないわい。
 あの禍々しさは、凶兆、凶事の前触れよ」
 老人は、恐怖と嫌悪感が混じった顔で言う。

 「おいおい、じいさん。
 本当に人魚なのか?
 ヘソから下がナマズの人魚なんざ、聞いたことがねェぞ」
 佐吉が茶化すように口を挟んだ。

 「そもそも、人魚ってのは、海の化け物じゃねェのかい?
 ほれ、十年も前に、越中(現在の富山県)の浜で、人魚を捕まえたって話があっただろ」
 佐吉の言葉に、周囲から声があがった。
 「おお、覚えてるぞ。
 瓦版には、般若のような顔をした人魚が描かれておったな」
 「胴の左右に、三つの目があったという、あの人魚か」
 「三丈五尺(約10.6m)という、途方もない大きさで、山ほどに集めた火縄銃で撃ち殺したそうではないか」

 これは、このときより12年前、文化2年(1805年)のことである。
 越中国放生淵四方浦で、人魚が捕まったと話題になった。
 『人魚図 一名海雷』と題された瓦版には、髪が長く、頭部から二本の角をはやした人魚の絵図が描かれていた。
 顔だけが角の生えた人間のそれであり、首から下は、背びれ、ウロコのある、巨大な魚となっている。
 そして、胴には、三つの目が描かれていた。

 この人魚は、江戸時代の考証家、石塚豊芥子が編纂した『街談文々集要』の中にも、「富山捕怪魚」という題で記されている。

 「海の妖物が、お城の濠にいても不思議ではあるまい」
 そう言ったのは徳蔵である。

 「お城の内濠は、外濠と繋がっておろう。
 外堀は、隅田川と繋がっておる。
 そして、隅田川は、江戸前の海と繋がっていることは知っておろう。
 その人魚は、上げ潮に乗って、隅田川に入り込み、外濠、内濠と、入り込んできたのかも知れぬぞ」

 「しかし、物騒じゃのう。
 ほれ、ちょっと前に、ぬえが、お侍に襲い掛かり、殺したと言う話があったではないか」
 「あれは、驚いたのう」
 「ぬえの死骸も見つかったと言うな」
 あちこちで声が上がる。

 「その話は、もう古いわ。
 お前たちは、今日の昼の話を知らぬのか?
 櫻坂の向こうで、化け物のような鳥が現れ、捕り方たちを数十人も殺したのだぞ」
 「なんだ、それは?」
 「おれも、その話は知っておるぞ」
 
 静まった濠に興味を失ったのか、集まっていた人々は、人魚ではなく、人面鳥の話で盛り上がり始めた。

 研水は、その話に入れば、当事者としていくらでも話が出来たが、それはせず、まだ濠を見詰めていた。
 顔は強張り、目に恐怖の色がある。

 老人の語った人魚について、心当たりがあったのだ……。
 

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