大江戸怪物合戦 ~禽獣人譜~

七倉イルカ

文字の大きさ
上 下
20 / 204

東都薬品会

しおりを挟む

 「同心の景山様に、わざわざ御足労を願いながら、このような姿で挨拶することとなり、真に御無礼をいたします」
 訪れた景山に対し、薄暗い奥座敷に座る玄白が深く頭を下げた。
 明り取りの窓は閉じているが、寝具や盥は片付け、身なりも正している。

 景山は、昨日の研水と同じく、奥座敷には入らず、敷居を挟んで手前の座敷に座っていた。
 研水から玄白の病状を聞いていたため、特に不満を持つ様子も無い。

 研水は、景山より、やや下がった位置に控えていた。
 景山が小者を走らせ、自らが到着する前に、人面鳥の騒動を玄白に伝えていたため、長い前置きは必要なかった。

 「玄白殿の噂は耳にしております。
 小浜では藩医を務め、江戸に来てからは蘭学を学び、『解体新書』なる難解な医学書を翻訳されたそうですな」
 景山は格式張らずに、玄白に話しかけた。

 「あれは、私一人の力によるものではありませぬ。
 前野良沢先生らの力添えがあったからこその、翻訳でございます」
 そう答えた玄白は何かを思い出すように、しばらく黙り込んだ。
 景山は急かすことをせずに、玄白が話しはじめるのを待つ。

 「……『解体新書』の翻訳は、今、江戸をおびやかす怪異に無関係ではありませぬ」
 玄白は、ぽつりとそう言った。

 ……!
 その玄白の言葉に研水は驚いた。
 『禽獣譜』だけではなく、あの『解体新書』が関係していたとは、予想外のことであった。
 一体、今、江戸で何が起こっているのか……。

 「長い話になりますが、お聞きください」
 そう言った玄白は、少し咳をすると話を始めた。

 「あれは宝暦十二年のことでございます。
 私は、まだ三十にもならぬ若造で、日本橋で町医をしておりました」
 五十年以上も前の話である。

 「その日、湯島で『東都薬品会』という物産会が催されました。
 たしか五回目の物産会であったと記憶しております」

 「物産会とは?」
 景山が問う。

 「全国から植物や鉱物を集めた、展示会でございます」

 「植物や鉱物をのう……」
 景山は理解しかねているようであった。
 普通の人間には、草や石を集めて展示するといっても、それが何を意味するのかが理解できない。

 それを察した玄白が説明をした。
  「北と南では、採れる植物も採掘される鉱石も異なるものでございます。
その中には、薬効を持つものが多くございます」

 「諸藩から集めた、薬の素を展示していると言う訳か。
 しかし、草花はともかく、石も薬となるのか?」

 「はい。
 たとえば、石膏は、下痢止めや解熱に効きます。
 また、芒硝という鉱物は、下剤や利尿の効能を持ちます。
 丹などは、心が休まる薬効を持ち、支那においても、古くから薬として使われておりました」

 「なるほどのう。
 いや、これは話の腰を折ってしまったな」
 景山が納得した顔になった。

 「……あの日、『東都薬品会』の物産会場に入ったときの驚きは、今も覚えております。
 私は勉強のため、この物産会には、一回目から参加しております。
 いつもは200種ていど、それもほとんどは見聞きしたことのある展示物ばかりなのですが、その回は何と1300種もの展示物が全国から集められ、会場いっぱいに展示されていたのでございます」

 「1300種も!」
 思わず研水が声をあげた。
 それまでの、六倍以上の展示物である。

 「……それほどの本草が集まったのは、平賀源内殿の手腕によるものでした」
 昔日を懐かしむように、玄白は言った。

 平賀源内。
 その名前を聞いた研水は、複雑な心境になった。
 源内は、蘭学者、発明家として有名であるが、それだけではない。
 本草学者、医者、地質学者、草子本、浄瑠璃の作者、俳人、蘭画家、事業者など、ありとあらゆることに手を出していた。

 源内を知る人は、みな一様に稀代の天才であったと褒める。
 そして、同じ口で、その才能を浪費し、優れた業績を残すことなく死んだ放蕩者だと非難するのである。
 塾長だったころの玄白も、源内の才能を認めつつも、その人格に対しては否定的であった。

 「あれは……、真に素晴らしい物産会でありました」
 玄白は、薄暗い座敷の中でゆっくりと懐かしむように語った。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

江戸時代改装計画 

華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

処理中です...