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犬神憑き
しおりを挟む現れた犬神憑きは、研水の想像を遥かに超えていた。
被った頭巾を見間違えたなどではない。
本物の半獣人であったのだ。
犬神憑きは、右腕で木箱を脇に抱えていた。
金具の錠で閉じられた、千両箱である。
実際に小判が千両分入っているなら、四貫(15㎏)はあるはずだが、重さを感じさせないほど軽々と抱えている。
蔵破りという噂もデタラメでは無かったのだ。
研水は恐怖に硬直しながらも、無意識の内に犬神憑きを観察していた。
暗闇に順応して丸く開いていた瞳孔が、提灯の光に反応してスッと大きさを変える。
その瞳は金茶色をしていた。
眼窩の位置、額の傾斜など、頭蓋骨の形から見ると、頭部は人より犬に近かった。
しかし、強そうな毛に覆われた身体は、その皮膚はともかくとして、骨格は人間に近い。
千両箱を脇に抱えることが出来るのは、鎖骨があり、腕を左右に開くことが出来るからである。
犬には鎖骨が無く、腕は何かを脇に抱えるような形で、左右には開かない。
暗いために、はっきりとは見えないが、千両箱をつかんでいることから、指の形状も人間に近いと思われた。
興味深いのは、後ろ脚であった。
犬や馬の後ろ脚は、膝が逆に曲がっているように見えるが、あれは膝ではなく、人間で言えば踵に当たる関節なのだ。
だから逆に曲がっている訳ではない。
つま先立ちになった人間の足の裏がグウッと伸びて踵の位置が高くなり、膝を曲げれば、犬の後ろ脚に似た形を取ることが出来る。
目の前の犬神憑きは、まさしく、そのような後ろ脚をしていたのだ。
と、研水の体が、ズズッと動いた。
退いたのではない。半獣人に向かって、前へと動いたのだ。
自らの意志ではない。
後ろから押されたのである。
そのわずかな動きに犬神憑きが反応し、口吻がさらにめくれ返った。
「こ、こら。押すな。
押すでない、六郎!」
研水は犬神憑きを刺激しないよう、声を低くして、背中を押す六郎を叱責する。
「せ、先生……、犬神憑きでございます。
さあ、診てくだされ」
背後の六郎が、震える声で無茶苦茶なことを言う。
「や、やめよ。押すな」
「ささ、お早く」
診るも何も、六郎は研水を生贄にして、その間に逃げるつもりであるとしか思えなかった。
怖ろしい下男である。
「痛ッ!」
ついには薬箱の角でグリグリと背中を押され、研水は思わず声をあげると、半獣人との距離を半歩詰めた。
犬神憑きの唸りが喉の奥に消える。
そして剛毛に包まれた体がわずかに沈んだ。
襲い掛かってくる。
研水は死を覚悟した。
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