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七倉イルカ

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朝の人

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 朝。
 あたしはバス停の前で、あの人を待っている。
 もちろん本当はバスを待っているのだけれど、心はこの時刻、このバス停の前を通り過ぎてゆく、あの人をまっているのだ。
 一周間前、あの人に、このバス停の前で声をかけてもらった時から、あたしの切ない恋が始まったのだ。
 「おはよう。かわいいお嬢さん」 
 何気なく、あの人がくれた朝のあいさつと笑顔。
 あたしより、幾つ歳上なのかしら?
 同年代の男の子なんか、比べものにならない落ち着きと、優し気な雰囲気をもったあの人。
 あたしの想いが届く日はくるの?
 でも、だめ。
 あの人と、あたしの間には、越えられない壁があるの。    
 妻子。その言葉に、あたしの心は重く沈む。
 三日前の夕方。あの人が、奥さんと赤ちゃんを連れ、街を歩いているのを見たのだ。
 綺麗な奥さんと小さな赤ちゃん……。
 そのときのことを思い出し、暗く沈んだあたしの眼が、光を取り戻した。 
 あの人が現れたのだ。
 あたしは緊張しながら、熱い視線を注ぐ。
 ダークグレーのスーツに身を包んだあの人。
  あたしの視線に気づいてくれるかしら。
 と、あたしは横から肘をひっぱられた。
  「エッちゃん。バスが来たよ。早く乗ろう」
 一緒にバスを待っていた、同じサクラ組のコウジくんである。
 「う、うん」
 あたしは、もう遠ざかっていくあの人の背を見ながら、小さくうなずいた。
 そしてコウジくんに手を引かれ、『ぶどう幼稚園』とかかれた黄色いバスに乗り込む。
 「エッちゃん。なにを見てたの」
 「へへへ。内緒」
 隣に座ったコウジくんにたずねられ、あたしはニコリと笑った。
 あと十五年? 二十年? コウジくんが、あの人みたいにステキな男性になったら、結婚してあげてもいいかな。
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