上 下
22 / 37
第三章 戸惑い

7 幻夢の森一掃作戦

しおりを挟む
 幻夢の森。
 忌々しき魔女パッヘルの根城。
 暗い雨空のせいか、今日は一段と不気味な雰囲気を漂わせているようにも思える。
 そんな外観を目前にすると、否応なしに気持ちが昂ぶっていく。

 今日こそは――
 今度こそは――

 冷静な視線を送りながらも、胸の中ではそんな思いが激しく駆け巡っていた。
 ジブナール王国親衛隊隊長、ミハエル・マードック。
 隊長に就任してからはや十五年、今年で齢五十にもなる。就任当時に比べるとさすがに身体のキレは鈍くなってきたが、剣の腕だけは未だに誰にも負けないと自負している。
 ただ、剣の腕など今回の任務では飾りでしかないということも、彼は充分に理解していた。むしろ、他の誰よりもといっていいだろう。

 馬の駆ける音が近づいてくる。事前に派遣しておいた偵察兵がこちらに気がついたのだろう。

「隊長! 長旅お疲れ様です!」
「うむ」

 ミハエルは力強く頷いた。

「未だに動きはないか?」
「はい。特には……」
「ご苦労。下がっていいぞ」

 そう言ってからミハエルは、立派な髭を生やした口元に手を当てしばし逡巡した。
 つまりは、まだこちらの存在に気がついていないということなのか?

 前回――二年前の遠征時には、ずばり先手を打たれていた。そもそも、森がどこにも見当たらなかった。あるはずの場所に森がなく、代わりにアルマの町があったのだ。
 道を間違えたのかと引き返し今度は逆の道をいってみると、そこにもアルマの町が――幻夢の魔女にしてやられてしまった。
 慌てて再びもとの場所へ戻ろうとすると、いつの間にか王都へ帰り着いていた。何することなく、何も出来ずに遠征を終えたのだった。
 一千の兵を率いてピクニックにでもいってきたのか、と大臣には怒鳴られるし、向こう三ヶ月は給料なしとの通達は受けるし、はっきりいって散々な遠征だった。
 その時のことを思い出して、ミハエルはピクピクと怒りに打ち震えた。

 そうだ。あの魔女のことだから、今回も何か罠を仕掛けているに違いない。
 ミハエルは一度顔面に当たる雨を拭い、それから背後を振り向いた。そこに自らが率いてきた大勢の兵士たちが控えていた。

「皆の者、決して油断するでないぞ! 相手はあの幻夢の魔女パッヘルだ! すんなりと奇襲を許すはずなどない!」
「はっ!」

 実によく揃った部下たちの返事に満足し、また頷いてみせる。
 その時だった。

「はあー? なにそれ、暑苦しいー」

 ミハエルのすぐそばに控えた馬車の中から、不機嫌そうな声が聞こえてきた。 
 馬車から細い足が伸びて、彼女が中から降りてきた。
 ベージュ色のローブにはひらひらとドレスのようなフリルが施され、頭には大きなつばの羽つき帽子。おまけに日傘のような派手な傘まで差している。
 彼女はまだ十代半ばほどの少女であった。

「キ、キルリーさま?」
「あのさー、たいちょー」

 ずかずかとミハエルに近づき、キルリーは挑発的に彼の顔を覗き込んだ。

「そーゆーの、いらないから。今の大声で魔女に気づかれたらどーすんのよ」
「あ、す、すみません……」
「ったくさー、何年たいちょーやってるんだか」

 呆れたように深い溜め息をつきながら肩を竦める。長い金色の髪がふんわりと揺れた。

「足だけは引っ張らないでちょーだいね。本当はうちらだけでも、余裕でなんとかなるんだから」
「は、はっ!」

 ミハエルは姿勢を正し、右手を胸に当てる敬礼のポーズをとった。

「だから、暑苦しーんだってば」

 大きく欠伸をしながらそう言い捨てるキルリーを、ミハエルは密かに睨みつけてやった。

 くそ! なんだって俺がこんなガキにへこへこせねばならんのだ!

 キルリー・アイザック。
 これから戦を仕掛けるというのにまるで緊張感のないこの娘こそが、世界最強と名高いブラキリス魔法兵団の団長なのだという。
 ミハエルも先日初めて顔を合わせた時は大層驚いたものだった。しかし悔しいことにその実力は本物のようで、演習で見せた彼女の魔法は今まで見た他の誰のものよりも洗練されていた。

 あくまで、人間の使う魔法に限った話ではあるが……

「あー、あのさーあんた」

 キルリーが兵士の一人に声をかける。彼はたしか馬車の御者を務めていた若い男だが。

「は、はい。なんでしょう」
「ここに着くまで何回馬車が揺れたと思う?」
「は?」

 兵士はぽかんと口を開けた。

「だーかーらー」

 苛立たしげにキルリーは眉をひそめる。

「あんたが馬車を五十五回も揺らしたせーで、お尻が痛くて仕方がないって言ってんの。分かる?」
「は、はあ……」
「それ、ちょっと貸しなさいよ」
「え? あっ」

 兵士の持つ馬用の鞭をぶんどる。
 キルリーは感触を確かめるかのように、鞭を撫で回しながら言った。

「さあ、あたしのお尻を痛めた罰よ。今すぐ四つん這いになりなさい。鞭打ち五十五回の刑で勘弁してあげるわ」
「ええ!? そんな……」

 兵士は困惑した表情でミハエルに救いを求めた。
 仕方なしとばかりに、ミハエルは苦笑いを浮かべながらキルリーに近づいていった。

「キルリーさま。冗談はそれぐらいに……」

 ビシィ!

「ぬおっ」

 鞭が一発打ちつけられる。ただし、御者の兵士にではなくミハエルの手の甲にだった。

「な、なにを……?」

 くすくすとキルリーは笑う。

「部下の責任を負いたいってゆーんでしょ? いーよ。あたし、あんたみたいなおっさんを痛めつけるの、大好きなの。さあ、早く馬になりなさい」 
「何を馬鹿な!」

 その時だった。
 一瞬の閃光が走ると同時に、突如として自身の身体が硬直してしまったのだ。

「うっ……! これはまさか!」
「そう、あたしの魔法。あたしがいいってゆーまで、あんたは自分の意志で身体を動かすことはできないよ」
「隊長! 大丈夫ですか!」

 部下たちがざわめきだっている。しかしそちらを振り向くことも、口を開くことさえもできない。

 まさか、こんな小娘に鞭を打たれるだと!? そのような屈辱を受けるわけには……! いや、そんなことをしたらさすがに部下たちが黙っていないだろう。
 すると、キルリーの部下たちも魔法で応戦し始めて、魔女討伐前に停戦状態が解除されてしまうのではないか。

 いかん、なんとしてでもそれだけは避けなくては……!

「お前ら、待て! 待つんだ!」

 部下たちのほうを向いて大声で叫ぶ。そしてしばらくしてから、ミハエルははてと小首を傾げた。

 魔法が解けた……?

「よくよく考えたらこの魔法、どんだけ痛めつけてもノーリアクションだから、つまんないだよね」

 そんな勝手なことを言いながら、キルリーは一度ミハエルの尻をめがけて鞭を振り下ろした。
 鎧に遮られていたため痛みは感じなかったが、ただひたすらに怒りを覚える。

「キ、キルリーさま。そろそろ冗談はやめにしましょうよ」

 必死で愛想笑いを浮かべながら、ミハエルは言った。

「そーね。もう準備は整ったみたいだし」
「準備?」
「あたしの可愛い魔導師ちゃんたちから合図があったの」

 はっとしてミハエルは周囲を見渡した。先ほどまでは兵士に混じってローブ姿の魔導師――すなわちキルリーの部下たちも同伴していたが、今は姿が見えなくなっている。

「キルリーさま! 他の魔導師たちは!?」
「みんなでぐるっと森を取り囲んでるわ。作戦を遂行するためにね」
「そんな! 私は何も聞いていませんよ!」
「今回の作戦の指揮はあたしがとるって、そーゆー話だったでしょ? いちいちあんたに報告する義務なんてなくない?」
「うぐ……!」

 確かに今回の作戦の全権はブラキリス魔法兵団が握っているが、しかし……

「なーに? 文句あんの」
「いえ……」 

 ミハエルは反論の言葉をぐっと飲み込んで、びしっとまた敬礼をした。

「お任せします!」
「暑苦しーんだってば」

 そう言うとキルリーは傘をその場に投げ捨てた。同時に彼女の周りに薄いオーラのようなものがまとわりつく。
 注意深く見てみると、雨が彼女を避けている。そういった魔法なのだろうか。

「さあ、そろそろ始めよーか」
「は?」
「魔女の討伐よ」

 そして彼女は一瞬のうちに空高く舞い上がった。兵士たちから驚嘆の声が上がる。

「キ、キルリーさま!」

 慌てて空に向けて叫ぶ。

「夜を待って奇襲を仕掛けるのではないのですか!?」
「そんなさっぶいことしないわよ。てゆーか、夜は晩餐会にお呼ばれしてるから、それまでに終わらせたいの」
「しかし、まだ相手の罠が仕掛けられていないとは……!」
「さあ、みんなー」

 ミハエルを無視してキルリーは、森の周囲に配置しているという自分の部下たちに呼びかけた。その声は不思議な響きを持っていて、遠く離れているのにまるで耳もとで囁かれているようだった。

「予想通りこの森には魔力を高める障気が漂っているわ。まずはあたしたちの魔力を結集させて、そいつを無効化しちゃいましょー。これでパッヘルも魔物どもも、みーんな無力化するはずよ」

 それを聞いてミハエルは閉口する。

 なんという……

 これがブラキリス魔法兵団の協力を仰いだ理由というわけか。たしかに、そういうことなら今回の作戦は上手くいくかもしれない。

 ついに、ついに、あの魔女に打ち勝てる日がきたのか。

 キルリーの両手から光が溢れ出す。同時に、森の外周の至るところからも七色の光が。
 それらが一つに合わさり、やがて森の上空で巨大な閃光となった。

「さあ、幻夢の魔女パッヘル! あんたの長い長い歴史にピリオドを打ってあげる! アーハッハッハ!」

 雨空のもと、勝ち誇ったキルリーの笑い声が響き渡った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

記憶を失くした代わりに攻略対象の婚約者だったことを思い出しました

冬野月子
恋愛
ある日目覚めると記憶をなくしていた伯爵令嬢のアレクシア。 家族の事も思い出せず、けれどアレクシアではない別の人物らしき記憶がうっすらと残っている。 過保護な弟と仲が悪かったはずの婚約者に大事にされながら、やがて戻った学園である少女と出会い、ここが前世で遊んでいた「乙女ゲーム」の世界だと思い出し、自分は攻略対象の婚約者でありながらゲームにはほとんど出てこないモブだと知る。 関係のないはずのゲームとの関わり、そして自身への疑問。 記憶と共に隠された真実とは——— ※小説家になろうでも投稿しています。

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

冬野月子
恋愛
「私は確かに19歳で死んだの」 謎の声に導かれ馬車の事故から兄弟を守った10歳のヴェロニカは、その時に負った傷痕を理由に王太子から婚約破棄される。 けれど彼女には嫉妬から破滅し短い生涯を終えた前世の記憶があった。 なぜか死に戻ったヴェロニカは前世での過ちを繰り返さないことを望むが、婚約破棄したはずの王太子が積極的に親しくなろうとしてくる。 そして学校で再会した、馬車の事故で助けた少年は、前世で不幸な死に方をした青年だった。 恋や友情すら知らなかったヴェロニカが、前世では関わることのなかった人々との出会いや関わりの中で新たな道を進んでいく中、前世に嫉妬で殺そうとまでしたアリサが入学してきた。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

公爵令嬢はだまっていられない!

西藤島 みや
ファンタジー
目が覚めたら異世界だった、じゃあ王子様と結婚目指して…なんてのんびり構えていられない!? 次々起きる難事件、結局最後は名推理?巻き込まれ型の元刑事…現悪役令嬢、攻略対象そっちのけで事件解決に乗り出します! 転生ものですが、どちらかといえばなんちゃってミステリーです。出だしは普通の転生物、に見えないこともないですが、殺人や詐欺といった犯罪がおきます。苦手なかたはご注意ください。

私はいけにえ

七辻ゆゆ
ファンタジー
「ねえ姉さん、どうせ生贄になって死ぬのに、どうしてご飯なんて食べるの? そんな良いものを食べたってどうせ無駄じゃない。ねえ、どうして食べてるの?」  ねっとりと息苦しくなるような声で妹が言う。  私はそうして、一緒に泣いてくれた妹がもう存在しないことを知ったのだ。 ****リハビリに書いたのですがダークすぎる感じになってしまって、暗いのが好きな方いらっしゃったらどうぞ。

処理中です...