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第30話 奴隷商、怪物話で盛り上がる

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デリンズ侯爵はおろか、誰一人として見送りに来るものはいなかった。

それが奴隷商としての立場。

分かってはいるが、色々と世話になったことを考えると苦しい気持ちになる。

「マギー、行こうか」
「ええ。でも寂しいわね」

寂しくないといえば、嘘になるが……

この先に広がる出会いを考えると楽しみでもある。

次に向かうのは、当初の目的のドーク子爵領だ。

僕の剣術の師匠にして、我が王国の将軍を代々担っている名門の軍人一家だ。

この子爵家は地理的な理由でオーレック公爵の子飼いにはなっている。

それでも軍閥という側面もあり、子爵家ながらに強い権勢を誇っている。

まぁ、政治の中枢である王宮的には厄介な家ということになる。

……道中は本当に退屈だ。

左手には広大に広がる海が絶えず続いている。

そういえば……

「海には怪物が住んでいると聞いたことがあるな。誰か、見たことはあるか?」
「ロッシュ。何を言っているのよ。それは伝説でしょ? 実際にいるわけないじゃない」

マギーの言うとおりだな。

そんなものがいれば、もっと大騒ぎになっているはずだもんな。

「全くだな」

本当に退屈だ……。

「妾は見たぞ」

ああ、いい天気だな。

「無視するでない。それとも、まだ怒っているのか?」

……当然だ。

旅の途中、食事は馬車の中で取ることが多い。

麦を煮たものを食べることが多い。

それと干し肉だ。

サヤサは肉ばかり食べ、シェラは干した果物ばかり食べている。

それは別にいい。

マリーヌ様はあろうことか麦を煮るのに薬草汁を使ったのだ。

緑色のとても食べられるようなものではない。

だが、貴重な食料を無駄には出来ない。

僕とマギーは鼻をつまみながら、食べることになった。

苦く、臭いも独特だ。

吐き気を感じながら、なんとか完食したのだが……

マギーの様子が急に変わったのだ。

その反応を見て、すぐに分かった。

「また、惚れ薬を混ぜただろ!!」

そのことでずっと怒っていたのだ。

「もういい。それで……本当に見たのか?」
「もちろんじゃ。それは大きかったのぉ」

……。

「で?」
「何じゃ?」

「大きかった以外に何もないのか? 伝説ではたくさんの足が生えていて、とてもくさい息を吐くと聞いたことがあるが」
「どうであろうな……たくさん生えていると言えば生えているし、生えていないと言えば、生えていなかったの」

意味が分からない。

「マリーヌ様。嘘はいけませんよ。それとも幻覚でも見ていたんですか?」
「バカを抜かすな。妾はしっかりと見たぞ。ただ、それが実際にいたのかどうかが分からんのじゃ。ちなみに息は臭くなかったぞ」

……もういいや。

「信じておらんな。じゃあ、見に行くか?」
「本気で言っているのか? 怪物だぞ?」

何やら変な話になってきた。

マリーヌ様は本気なんだろうか?

「それで? どこにいるんですか?」
「お主も信じやすい男じゃの。こんな話を信じるとは」

……この人は……。

「冗談じゃ」

冗談の塊みたいな人が何を言っているんだ?

「そこに止めてみよ。そして、付いてくるがいい。良いものを見せてやろう」

「……」
「ロッシュ。マリーヌ様は本気よ」

マギー、君は一体何を感じ取ったんだ?

「マリーヌ、本気」

シェラまで。

「え? 何の話ですか?」

サヤサ……ずっと馬車の隣で走っていたから聞こえなかったんだな。

「気にしなくていい。サヤサはゆっくりと休んでいるといいよ」
「はい!! 腕立て伏せをしていますね」

……それが君の休憩なら好きにするがいい。

サヤサを除く、僕達は馬車から降り、目的の海に向かった。

この辺りは海岸線が真っ直ぐに伸びている。

「海風が気持ちいいな。マギーは海は初めてだろ?」

王都出身のほとんどは海を知らないものが多い。

「そんなことはないわよ。一度だけ、オーレック領に戻った時に見たことがあるもの」
「そうだったのか。この道から?」

確か、オーレック領は北方街道の先から行けると聞いたことがあるな。

「まさか。南方街道よ。こっちから行ったら、ほとんど山登りになっちゃうもの」

そうだよな。

南方街道も海伝いに続く道だったか。

「見えてきたのじゃ。あれが怪物の正体じゃ」

……あれは……

「夕日?」

沈みゆく太陽が海に照らされて、まるで大きな怪物のように見える。

「そうじゃ。お主らはこれを怪物と言っておったのじゃ」

これが……。

なんか拍子抜けだ。

「まぁ、マリーヌ様が嘘を言っていなかったのは分かりました。けど……」

「気持ちは分かるがな。まぁ、伝説だの噂だのはこんなものじゃ。お主はこれから真実だけを見るのじゃ。こんな与太話を話に出してもならぬ」

…・・・マリーヌ様?

「それが上に立つ者の責だと心得よ」

「はい……」

いつものマリーヌ様ではなかった。

とても威厳があり、まるで……

「さて、帰るとするかの。海風は妾には寒い。せっかくの肌が荒れてしまうわ」

僕はマリーヌ様の後ろを見ていた。

そう……まるで我が母を見ているようだった。

母こそ、この国の王族の正当な血筋。

そして、父に位を譲るまで、この国の柱石でもあった。

偉大な母……その面影をマリーヌ様に見てしまった。

「ねぇ。怪物って本当にいるのね」
「マギー、何を言っているんだよ。夕日だって言って……」

僕は見てしまった。

海の遠く……夕日が映し出す海面に現れた生物を……

二本足で立ち、顎には無数の足が生えているみたいだった。

その巨大な生物はこちらを見ているような気がした。

だが、その姿は一瞬で海の中へ消えていった。

「あれは……」
「こっち見てたわよね? 凄いものを見たんじゃないかしら!」

マリーヌ様はこれを見せようとしたのではないだろうか。

本当に……何者なんだろうか?

僕とマギーは興奮しっぱなしだ。

あんなものを見たのだから。

だが、一人、冷静に海を見る者がいた。

「……シェラも見たよね?」
「見た。懐かしい」

何を言っているんだ?

懐かしいって……。

「驚かないのか?」
「別に。イルス。あれくらい、いっぱい」

ん?

んん?

何を言っているんだ?

あんな物がこの世にいっぱいいる訳ないじゃないか。

それに……ちょっと待て。

「イルスって……イルス領のことか?」
「もちろん」

あれ?

僕ってどこに行くんだっけ?

イルス領……だよな?

あんな怪物がたくさんいる場所に?

えっと……

「どうやって領地経営をしろっていうんだ!」

海風は僕の声を打ち消すほど、強く吹いていた。
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