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第313話 水車

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 ルードが屋敷に住むようになった。まだまだ馴染んでいないが、近くに子供ダークエルフが引っ越してくるようになったら随分と笑顔になることが増えた気がする。とにかく馴染むことを優先させるために、仕事をさせずに村を散歩させたりするだけだった。僕はと言うと、村の畑で土まみれになっていた。久しぶりに触れる土にはたっぷりと堆肥が含まれており、なおかつ錬金肥料が入っている。これほどの土はどこを探しても見つからないだろうな。

 といっても堆肥や錬金肥料はすでに各地に大量に運び込まれて利用が開始されている。年々、肥沃な土地に生まれ変わっていくことだろう。あとは耕運を動物に依存したいところだが、動物はいないのだ。飢餓という時期が十年ほどだったにも拘わらず、地上から大型動物が姿を消したのだ。今は生き残った牛や馬を少しずつ増やしているが、農業用に回ってくるのは少なくとも十年はかかるだろう。

 その代わりに魔の森の動物の利用も考えられるが、魔石の問題が尾を引き、なかなか解決される見込みはない。そんな時にドワーフのギガンスから連絡が入った。ギガンス達ドワーフのおかげで、公国の鍛冶技術は格段に上がっている。一応はドワーフは不介入を原則としているが、軍事に直接的に関わる以外は寛容でいれくれる。そのため、農業に関わる道具類の製造を一部任せたり、技術を公国の技術者に伝えてくれてたりしている。

 今は専ら、脱穀をするための機械を作ってもらっておりメンテナンスをさほど必要としないということで方々で評判が高いのだ。さすがに公国の技術者にはこれほどのものは作れず、ドワーフ製は村から遠隔地に送り、公国製は村周辺で使うことにしている。それはメンテナンスをする技術者が村以外にいないからだ。

 なんとか公国でもこの歪な状況を解決するために技術者を要請する学校を作って、高い水準の技術者を排出しようと努力しているが、一期生が卒業するのは早くても二年から三年ほどかかってしまう。それまでは誤魔化しながら我慢をするしかないだろう。

 話が逸れてしまった。ギガンスから連絡が入ったのですぐにドワーフの里に向かうことにした。ドワーフの里は相変わらずだったが、製品が次々と運び出されていることに驚いてしまった。ドワーフの女衆がその荷車を力強く押していった。

 僕は荷車を見届けてから工房に入った。工房ではドワーフ達が次々と製品を完成させていった。その中でもとりわけ早く製品を作っていたのがギガンスだ。瞬く間に組み上がっていく製品を見ているのは楽しいものだな。僕は一段落着くまでじっとその作業を眺めていた。

 「おお。ロッシュか。よく来たな」

 なんだか親戚に家に来たような気楽さだな。僕はあれこれと指差しながら作っているものを教えてもらっていた。ん? 僕は何しにここに来たんだ?

 「なんだ? もっと知りたいことはないのか? 工房まで来て儂の作品に興味を持ってくれるのはロッシュだけだからな。何でも教えてやるぞ」

 「ありがたいが、僕が来たのはギガンスに呼ばれたからだろ?」

 「ん? んん? あ、ああ!! そうだったな。わっはっは!! すまんかったな。実はお主に見せたいものがあったんじゃ」

 ギガンスがそういうと、奥の方から持ってきたものがあった。これは……水車か?

 「水車ではないか!! 素晴らしい。完璧だ。ほうほう、ここで麦を製粉する事ができるのか。これが実際にあったらどんなに良いか……しかし、これはちょっと小さいな。いや、小さすぎだ。これではただの玩具ではないか」

 ここにあるのはこぶし大くらいのサイズの水車だ。さすがにこれを見て喜べるほど単純ではないぞ。ちょっと持ち帰って屋敷でめでたい気持ちが湧かなくもないが。

 「ロッシュは思ったよりも馬鹿なのか? これは模型じゃ。製品を作る時には、まず精巧な模型を作るところから始まるのは常識ではないか。ちょっと待っておれ」

 そう言うと川に見立てた模型を持ってきて、それに水車の模型を設置した。川の模型に水を流すと、おお!! 水車がくるくると回り、歯車がしっかりと稼働し中の石臼がゴリゴリと動き出した。これならば麦を入れるだけで小麦粉が手に入れることができそうだ。

 「ギガンス、凄い精密な作りだな。恐れ入った」

 「そうであろう。儂が長い時間をかけてこの辺りに適した作りを研究して出来たものじゃからな。魔鉄が使えず、流れが緩やかな場所で使うという条件を解決するのには苦労したぞ。しかも、メンテナンスを多く必要としないものだ。予想より時間がかかってしまったわい」

 僕はギガンスの手を握った。こうせずにはいられなかった。

 「ギガンス。本当にありがとう。これが公国に普及すれば、公国の食糧事情は大きく関わることだろう。しかし、これほどの物を提供しても大丈夫なのか? 不文律があるのではないのか?」

 「おお? 確かにそのとおりだ。ちと、公国に介入しすぎたかもしれんの。夢中だったんで気付かなかったわい。なに、これは儂の趣味みたいなものじゃ。これを勝手にどう使うかはロッシュ次第だ。儂は見てみぬふりをしているぞ。ああ、喉が渇いたの。もしかしたら酒を飲んだら忘れてしまうかもしれんの」

 ギガンスがこれほど面白い男だと思わなかったぞ。僕はカバンから酒を取り出した。これは村の酒だが、北の地で雪中保存で再び醸造をさせたものだ。グルドから送られてきたもので貴重なものとして大切に保管していたのだ。

 「ん? なんじゃこれは? おお……おおお!! これは旨いな。酒精がイマイチだが、香りが抜群じゃな。しかし、この辺りの酒ではないな」

 僕はこの酒の説明をするとギガンスはコクコクと頷いていた。

 「なるほどの。酒とは奥が深いんじゃな。保存方法一つでこれほど味が変わるとはの。鍛冶と一緒じゃな。同じものを作っても、作る人や環境が変われば味わいが変わるものじゃ。それが良いか悪いかは分からんがな。ただ、この酒は良い方向に化けている。もう一杯くれ」

 それから樽が空になるまでお酌に付き合わされた。僕はまだ一口も飲んでいないのだが。すると、他のドワーフの職人もぞろぞろと集まってきた。なるほど、酒の香りをこれだけ漂わせていたら来ないわけがないな。しかし、彼らに配れるほど酒の持ち合わせがないな。

 「なんじゃ。秘蔵の酒はもうないのか。まぁ、一杯だけでも飲めたのは良い経験じゃったわ。今からはいつもの酒をもらうかの。そろそろ……」

 一杯? 一樽の間違いだろうに。もう酔っ払ってしまったのか? ギガンスが辺りをキョロキョロと見渡すとドアが勢い良く開き、荷車ごと工房に入ってきた。工房はこのためかと言わんばかりに、ドアを大きく取ってある用に感じる。その荷車には当然……大量の酒だ。持ち込んだのはミヤの眷属だ。

 「あら? ロッシュ様が珍しいですね。じゃあ、皆を呼んでこようかしら」

 そういうとミヤの眷属は酒を置き去りにして、魔牛牧場の方に向かって全力で走っていってしまった。

 「なんじゃ。酒を置いていってしまうとは。よい心がけじゃな。あやつはいつも持ってきては、飲み過ぎじゃとか文句を垂れてくるんじゃ。今みたいに何も言わずに去ってくれんものかの」

 そんなやり取りがあったのか。しかし、この量はたしなめる気持ちは分かるな。樽にしたら二十はあるだろうかが百リットルは入るだろうから、二千リットル。ここには六人の職人がいる。この人数で飲むというのか。

 「そんな訳ないわ!! ちゃんと里の者たちにも飲ませているわ。まぁ明日の仕事をしなくてもいいというのなら、ここの者たちだけで飲んでしまうがな」

 それからミヤの眷属達が合流し、ギガンスとひと悶着あった。

 「なんじゃなんじゃ。お前さん達に飲ませる分なぞ、ないぞ!!」

 ギガンスは酒を誰が作っているか忘れているのではないか? そんなギガンスの態度には慣れた様子で、後ろを指差した。そこには樽が山積みになっていた。

 「なんじゃ……今日はやけに話がわかるのぉ。酒を持ってきたなら拒む理由はない。今日はとことん飲むぞ」

 ドワーフの里全員で大きな宴会という騒ぎに発展してしまった。工房では手狭ということで屋外でやることになった。当然こうなれば飲み比べに発展していく。吸血鬼は酒を飲めば飲むほど服を脱ぐという癖があるようでどんどんはだけていく。すでに一糸纏わないものもいる。目のやり場に困るな……。

 ドワーフの里と言っても魔の森にあるのだ。当然、魔獣も出てくる。そんな時に出てきた不幸な魔獣はなんと蛇の魔獣だ。味が絶品で、一度食べたら忘れられないのだ。蛇の魔獣の姿を見ただけでよだれが出てくる。そのような獲物を前に何もしない連中ではない。眷属達は裸のまま、蛇の魔獣を狩りに行ってしまった。すると、ギガンスがすっと腰を上げ、工房に向かっていった。

 それから三十分もしないうちに巨大な蛇の魔獣を捕まえて戻ってきた。眷属達は慣れた手つきですばやく捌いていく。瞬く間に魔獣の面影がない肉塊になってしまった。そして、気づいてしまった。ナマで食べるのかと。生で食べても美味しいらしいが、翌日はかなり腹を痛めるらしい。どうしたものか。

 「ふふっ。待たせたの」

 そういってギガンスがバーベキューセットを持ってやってきた。しかも巨大なものだ。こんなものを一瞬で作ってしまうとは……完全に才能の無駄遣いだ。

 僕はそれからも続きそうな宴会から脱出した。もちろん蛇の魔獣の肉をお持ち帰りしてだ。蛇肉は屋敷では大評判で、始めて食べたルードやオリバは悶絶するほどだ。子供ダークエルフにもあげようとすると、ルードが真剣な表情になった。

 「こんな美味しいものを食べてしまったら、足を踏み外さないか心配です」

 ルードが何を心配しているのか、さっぱり分からなかった。もちろん子供たちにも食べさせて大好評だったのは言うまでもない。

 さて、ここからが本題だ。僕は翌日、再びギガンスのもとを訪ねて水車の建設を頼むことにした。といってもドワーフ達は村に行くことを拒むので完成品を運ぶという方法を取った。それから一週間かけて水車が村に試験的に設置された。もちろんドワーフの設計に間違いはない。村に流れる川で十分に水車が機能することが確認されると、ラエルの街、新村にも順次、設置された。その数は三つの町や村で十五基になる。それが川に沿って並んでいるのだ。それだけでも十分に圧巻だ。

 設置されてから麦が次々と製粉されるようになった。水車に設置されている石臼は、従来、手作業でやっていた物に比べて四倍ほど大きいため、一度に製粉される量が多く、しかも目が細かい。さらに水車に備えられた樽に麦を詰め込んでおくと勝手に石臼に流れて製粉をしてくれるしようになっている。人は樽と完成した小麦粉に注意していればよく、一基に常駐する人は三人程度で済むのだ。これは革命的だった。水車の誕生により、麦の製粉までの過程は簡略化されることになった。

 ただドワーフは気まぐれだ。十五基作った時点で製造を止めてしまった。ギガンスが一言。

 「飽きたわい。あとは自分たちで何とかすると良かろう」

 僕から何も言うことはない。ここまでやってくれただけでも儲けものだ。次は米の精米をする水車を作ってもらうことにしよう。さすがにギガンスは呆れたような表情を浮かべていた。

 「新作の酒を一樽じゃ」

 話は済んだ。公国に水車という革命がもたらされたのだった。
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