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公爵家付き工房

第19話 ちょっとした日常

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宿屋からの絶叫で通行人を驚かしていた。

「どうして!? どうして!? 行っちゃうんですかぁ」

すっかりキャラが変わってしまったな。

とにかく……

「鼻水が凄いので、離れて下さい」

控えめな美人である女性に抱きつかれるのは男としては嫌ではない。

しかし、洪水のように鼻水が吹き出している女性はちょっと……。

「ご飯ですか? 公爵様のご飯はそんなに美味しかったんですか?」

まぁ、さすがは公爵家! という料理だったかな。

アリーシャもすっかり、餌付けされてしまって……

「もぐもぐもぐ、お菓子、美味しい」

ずっと食べてばかりだ。

それでも公爵屋敷から持ち出してきた食料の底が見えることはなかった。

「いやぁ! 離れたくなぁい。そうだ……一層のこと、公爵家に火を放てば……」

やばい。

この人の目は本気だ。

「屋敷はともかく、僕の工房だけは……」

いや、フェリシラ様がいるな……。

デルバート様だけだったらなぁ……。

「工房? 工房ってなんですか?」

……少しだけ事情を説明した。

「だったら、私も住み込みで……」

なんで、そうなるんだ?

この宿屋はどうなる。

「一層のこと、この宿屋に火を……」

なんなんだ、この人は……

「だってぇ、離れたくないんだもん!!」

困ったな……。

ん? アリーシャ?

「私、貴女にとても感謝しています。ありがとうございました。これはお礼。食べて下さい」

ちゃんとお礼も言えるようになったんだな。

ちょっと見ない間に成長したんだな。

「うええええん。私のアリーシャちゃんがぁ。大人になってくぅ」

……大変だ。

なんとか、逃げるように部屋に戻り、引っ越しの準備を始めた。

「アリーシャはそれを持っていくのか?」

この山のような食料はどうするんだろう?

「ううん。明日までには食べる」

……この量を、か。

しかし、日に日に成長をしているな。

すでに身長で言えば、僕より少し低いくらいだ。

本当に獣人の体はどうなっているんだ?

「明日から本格的に工房で働くことになる。アリーシャにもいっぱい働いてもらうぞ」
「ご飯を食べながら、はダメ?」

まったく……

「ダメだ。工房にご飯は持ち込み禁止だ。それにちゃんと食事の時間を与えるから、その時間内に食べるんだ。いいか?」
「うん。分かった。じゃあ、今からお腹に貯めないと!!」

もう、好きにしてくれ。

僕の方は持っていくものはほとんどない。

もともと私物も少なかったし、武具はほとんど親父の店に持っていっているからな。

でも……溜まりに溜まった金貨。

これを持っていくのは簡単ではないな。

……このお金は公爵に預けてみるかな。

どうせ、お金の使い道は大してないし、盗まれても面白くない。

公爵に預けておくのが、一番いいかもしれないな。

「じゃあ、寝るぞ」
「もぐもぐもぐ。おやすみなさい。親方ぁ」

本当に夜通しで食べるつもりなのか?

まぁいいや。

僕は工房で何を作るか……そんな幸せな妄想をしながら……。

フェリシラ様……。

……。

「親方ぁ。朝だよ」
「ん? アリーシャか……本当に食べきったんだな」

山のようにあった食べ物がすっかり消えて無くなっていた。

にも拘わらず、どうして、アリーシャの腹は膨れていないんだ?

何が、どうやったら、こうなる?

「アリーシャのお腹はどうなっているんだ?」
「別腹だよ」

ん?

「体にはいっぱい、お腹があって……どんなに食べてもお腹いっぱいにならないんだよ」

意味がさっぱり分からない。

とにかく異次元の胃袋を持っているのは確かなようだ。

「工房に向かう前に親父の店に行こうか」
「ふぁい!!」

まだ、食べているのか。

食堂に降りると、豪勢な食事が並んでいた。

「アリーシャちゃん。元気でね」
「うん」

どうやらお別れ会のようなものらしい。

……。

「アリーシャはここで待っていてくれ。僕だけで行ってくるよ」

一応はアリーシャを想って、作ってくれたものだ。

いくら仕事とは言え、連れ出すのは申し訳ない。

最初の扱いに比べれば……本当に良くなったな。

親父の店は相変わらず繁盛しているみたいだ。

「おう。ライルさん。悪いが、今日は武具が仕入れられなかったんだ」

この会話は今では当たり前になっていた。

「今日は報告に来たんだ」

……。

「へえ。公爵さまの工房を……それは凄いですな。それで話とは?」

僕はこれから工房に付きっきりになるだろう。

そうなれば、今のような仕事は出来なくなる。

「中古武具の修繕はやめようと思うんだ」
「そ、そんな……それをやられた日にはうちは潰れてしまう。見てくれ!! 人もこんなに雇ってしまって……店だって、もう一つ作ってしまったんだぞ!」

たしかに親父の店の拡張ぶりは相当なものだ。

噂では街の武具屋からイジメを受けているとか……。

そのせいで最近は仕入れが悪いようだ。

「そこで提案なんだけど……僕の武具を買ってくれないかな?」
「へ? それは今までも……」

言っている意味が違うんだ。

僕がいいたいのは……。

「僕が一から作った武具を買ってほしいんだ。もちろん、最初から高値を言うつもりはないよ。だけど、どうかな?」

公爵の工房を借りられたとしても、公爵から給料が出るわけではない。

自分で稼がないといけない。

だけど、自分の武具には一切の信用はないから……

断られるかな?

「……分かった。ライルさんの言葉を信じよう。今までと同じ取引値で構わない。その代わり、独占ささせてくれるんだろ?」
「ありがとうございます!!」

これでなんとか生活費を稼ぐことが出来るな。

といっても、親父を満足させるだけの武具を作れればの話だけど。

「ところで、アリーシャのお嬢ちゃんは?」
「ダメですよ。売り子はさせませんからね」

「参ったな……あの子が売り子になると売上が凄いことになるんだけどな。ライルさんも将来、自分の店を持った時、お嬢ちゃんを雇ったら、将来安泰だな」

……自分のお店か……

自ら工房で武具を作り、それを売る……。

なんとも甘美な響きだな。

いいかもしれない。

「まずは自分で満足の行く武具を作れてからだね」
「その通りだ。いつでも待っているからな」

これからも親父の店には足繁く通うことになるだろう。

アリーシャに頼むと、後が面倒だからな。

しばらくしたら、力持ちの獣人をもう一人雇おうかな?

そんなことを考えながら、宿屋へと戻った。

食べるアリーシャ。

泣く宿屋の女性。

すぐに引き返したくなる光景だった。
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