ひみつは指で潰してしまえ

nuka

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一章

(4)かわいいあの子

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 ◇要一視点

 昼間は気持ちのよい快晴だったのに、やはり梅雨明けはまだ先のようで、夜には小雨が降り出した。

 正真の従兄弟、梅澤要一は母親と二人の夕食を終え、自室のドアを閉めた。
 食事中、延々と昼間のパーティーでの愚痴を聞かされたので一人になってホッとする。
 また母と正真の母の百合子とで一悶着あったらしい。もともと犬猿の仲の二人が、パーティーでは来賓の対応のためにずっと一緒にいたのだから無理もない。
 疲れているなら食事なんてデリバリーでいいのに、わざわざ愚痴まみれの手料理を用意されて、要一まで疲れてしまった。

 といっても、母は善良な人でよく頑張っていると思う。百合子のことは要一も嫌いだ。
 百合子はいつも機嫌がよくて明るい女性だが、真面目な父の妹とは信じられないほど、度を超えて奔放な性格をしている。
 息子の正真のことも育児放棄同然で、正真はいつも家に一人だ。中学までは見逃せないと、父と母がしょっちゅう正真を家につれてきた。要一は遊び相手が来て嬉しかったけれど、子供なりに遠慮して、部屋の隅っこで心細そうにしている正真は、本当に可哀相だった。

 激しい雨音が聞こえて外を見ると、ドシャ降りにかわっていた。滝のように雨が流れ落ちる窓ガラスに不機嫌な自分の顔が映っている。
 すでに三回不在着信を残しているけれど、もう一度こちらからコールしてみようかと思った時、窓越しにスマートフォンが光った。

「おい正真、お前どこに行ってたんだよ、いきなり声もかけずにいなくなるなんて、なんだよ」
 待ちかねた電話に、文句が口をついてでる。
「ゴメン、先に行っちゃって。もしかして心配した?」
 当然、心配した。忽然といなくなった正真を、要一はあちこち探したし、戻ってくるかもしれないとしばらく待った。
 でもそんな言い方をされれば天邪鬼が顔を出して、心配したとは絶対に言いたくなくなる。

「そうじゃない、声くらいかけろって言ってるんだ。せめてメールぐらい出来るだろ。それに、こんな時間までずっと遊んでいたのか? 昨日も言ったけど、正真に遊んでる暇なんてないよ」
 言い終える前から正真は繰り返し謝っていた。
「帰ってきたのはもう少し前だよ、疲れて少し寝ちゃって…。まだ9時前だし、勉強は今からするからさ」
 分かっているから、という正真の声は確かに疲れて聞こえる。

「──なあ、さっき母さんから聞いたぞ。パーティーの後、お前が派手な年上の男と出て行ったって。……誰?」
「えっ……」
 聞いたとたん、正真が声をうわずらせた。
 ホテルのロビーで出くわした母いわく「華やかな二十代の青年」。
 上品な風貌で不審な感じはしなかったと言っていたけれど、この調子じゃきっとろくな奴じゃないんだろう。

「母さんの知り合いで……。気分転換にドライブに連れていってくれたんだ……」
「おい、勉強がキツイからって、現実逃避か?」
 ドライブという言葉は、妙に要一のカンに障った。

「いくら母親の知り合いでも、年の離れた男とドライブなんて気持ち悪いよ。遊んでもらって楽しかったか? だけど変に優しい奴は下心があるに決まってる、誘われてホイホイつき合ってたら痛い目にあうぞ」

 正真はなにも答えない。どうせ図星だろう。少なくとも要一は間違ったことは言っていないつもりだ。

 色白で華奢な正真は、男子しかいない学校では一際目立つ。それに柔らかい雰囲気をまとっているから、色んな奴から声をかけられている。

 でも正真が親しくするのは決まって、正真にすごく親切な奴ばかりだ。
 正真が友人を性格が合う合わないよりも、自分に優しいかで選ぶことを、要一はずっと不快に思っていた。

「とにかく! 勉強しろよ。来月の全国模試はトップから1000番を目指さないと」
 そう言ったら黙りこんでいた正真がやっと返事した。
「無理だよ!」
「そんなことないだろ。俺達の学校は都内トップで、毎年200人も合格しない。正真はその入試をパスしているじゃないか。それに、未来の院長が三流の医大卒なんてわけにいかないんだからそれくらい……」
「合格したのは中学の時だろ…。あの時は良くても、もうスピードについていけなくなってる」
 正真は泣きそうな声で言って、それからハァー、と重いため息をついた。
「まぁ、言いたいことはよく分かった。頑張るから。……ごめん、さっきからちょっと頭痛くて……」
「……おい、具合が悪いのか?」
 
 母に頼んで、すぐに家まで車で迎えに行こうと思ったが、「大丈夫だよ」と電話が切られた。



 ◇百瀬視点

「そんなに怒らなくてもいーでしょ。……あ、いやいや違うよ。マジ悪かったって。困ってたんだから、迎えに行けば良かったよね、ゴメンね、ホントゴメン」

 月曜の朝、明るい光が滲みる徹夜明けの目を擦りながら、百瀬はスマホ越しにペコペコ頭を下げていた。
 よたよたと冷蔵庫まで歩いて眠気冷ましのドリンクを取り出し会話の合間にイッキ飲みする。
 1時間前に飲んだので最後だと思っていたのに、やっと作品が仕上がったところで彼女からの別れ話の電話がきたのでまだ寝れない。

 美大を卒業したての、駆け出しの画家である百瀬は、小さい仕事を時間の足りる限り引き受けて、なんとか生活している。
 月刊誌の連載はありがたい定期収入だが、漫画は慣れない上に作業量がキツくて、先週、久しぶりに腱鞘炎になってしまった。
 おかげで予定通りに仕事がさばけず、徹夜つづきだ。

「昨日は俺が悪かったよ。次は絶対に迎えに行くから。俺だってホントは泊まって欲しかったんだよ。ずっと会えてないもんね? そうだ、次のデートはどうする? 行きたいとこある?……」

 彼女が怒っているのは昨日、飲み会帰りに迎えに来てという電話を百瀬が断ったせいだ。終電はまだあったし、締め切りに終われてそれどころじゃなかった。
 彼女は納得してくれたと思っていたけど、朝になったらこの事態だ。卒業以来、忙しくてろくに会ってなかったのも良くなかった。

「ねぇーお願い。許してよ。次のデートで絶対、埋め合わせするから」
 彼女から告白されたときは嬉しかったし、一緒にいると楽しかった。こんな些細なことで別れたくない。
 同じ美大から一般企業に就職した彼女の出勤時間はもうすぐのはずで、それまでどうにか話をつないで切り抜けようと、眠たい頭を叩いて頑張っている。

(このあと、1時間は寝れっかなぁ…)
 ふと気を抜いてアクビをすると、つい声まで出て、彼女に気づかれてしまった。

「信じられない、もうホントに別れるから! ばいばい」
「えっ、待ってよ!……モシモシ?、……」
 あっけなかった。虚しいツーツー音に仕方なくスマホを机におく。
「あーあー……」
 手に当たった画材が転がり、膝をついてひろうと、もう立ち上がりたくなくなった。そのまま目を閉じて床に転がる。
 彼女のことは好きだったけれど、かけ直す気力は湧かなかった。


「じゃあお届け、よろしくお願いしまーす」
 しばらくして取りに来てくれたバイク便に絵を渡して、やっと一息ついた。

 仮眠していた間、彼女からの電話なんかもなく、本当に終ってしまった。
 彼女本人がどうというより、自分を好きだと言ってくれた人がたった一年でいなくなったことが寂しい。
 恋人との別れはいつもこのパターンだ。百瀬はずっと仲良くしたいのに、ある日突然、相手が怒って、去ってしまう。

 ボンヤリと曇天を見ていると、励してくれるようなグッドタイミングでメッセージが届いた。
 ”こんにちは”と可愛いスタンプに文字が続く。

『来週行くから、住所教えてもらえますか?』
 相手は正真で、今はちょうど学校は昼休みくらいの時間だった。
 そういえば、正真が土曜にウチに来るんだった。楽しみで、ちょっと元気が湧いてくる。

『実はついさっき、彼女にふられちゃった。今すごい落ち込んでる』
 住所を送ったついでに、私信も入れてみた。
 送ったあとで、いきなりこんなの言われても困っちゃうよな、と後悔したけれど、返事はすぐにきた。

『元気だして!』

 シンプルな励ましのメッセージに、妙に想像が膨らんだ。
 どんな顔して言ってくれたんだろう。突然の失恋話に、驚いてるのか笑ってるのか。
 もしかしたら、どーでもいいと無表情かもしれないけど……。

(ショウマって、可愛い顔なんだよな。ハッキリした顔なのに柔らかで……色白で……)

 白くなめらかな上質紙が、正真の肌に見えてきて、痛む手で鉛筆をとった。

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