花浮舟 ―祷―

那須たつみ

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第五幕

栄華

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 皐月の朔日。御所の中央、玉座が設えられた紫楽殿しらくでんに、五十の文官、武官が集められた。この日、如月の内乱鎮圧の折に、特に功をおさめた者に褒美を遣わす、論功行賞ろんこうこうしょうが執り行われる。

 純白の絹に黄金の錦糸きんしをあしらった華美な礼服を纏う宵君の姿に、殿内は感嘆に包まれた。宵闇を司る幻驢芭家の当主として、これまで宵君は藍や紺の衣を身に着けることが多かった。白は皇家の象徴として崇められ、式典の際に御門が纏う正装も美しい白である。宵君が王位を継ぎ、婚礼の儀以降初めて行われる公式の式典に、誰もが胸を躍らせていた。

「これより、先の内乱を鎮めるに際し、大いに貢献した五名の論功行賞を執り行う。名を呼ばれた者は、陛下の御前へ出られよ。橋本家当主、頼鹿よるか。其方は三の刻の合戦にて、西軍川辺の陣の不意を突き、これを制圧。其方がもたらした勝因は大きい。よって、頼鹿には二階級の昇格と金二千を授け、橋本家を幻驢芭家臣下五家の筆頭に任ず」

「は、有難き幸せ」

「大儀であった。次に、山部清高きよたか。其方は命を賭して加賀党と奮戦し、本陣への侵攻を食い止めた。その忠義を讃え、山部家現当主、清高が嫡男、高燕こうえんには三階級昇格と金二千を授け、御所官吏に任ず」

「……っ有難き、幸せにございます」

 蘇る在りし日の父の姿に涙を呑み、若い男は深く拝礼した。

「次に――」

 書簡に連なる名を、暁光の凛と通る声が読み上げる。領地を得る侵攻戦とは違い、授けられる褒美の殆どは昇格や権限であった。

「――最後に、相模さがみ虎牙。其方は忍の身でありながら、西軍本陣を率いて術中に嵌め、鎮圧の決め手となった働きは見事なものであった。其方には相模の姓と金千五百を与え、その初代当主とする」

「有難き、幸せ」

 たった一瞬交差した視線に、虎牙は暁光の複雑な念を拾い、すぐにそれを逸らす。虎牙が列に下がると、暁光は書簡を畳み、その場に跪いた。一同の視線が今一度宵君に集まる。ゆったりと腰を上げ、白い袖を広げる姿は、それだけで五十ある鼓動を高揚させる。

「皆大儀であった。これより先も、京の為力を尽くしてくれるか」

「はっ」

 空気を震わせる覇気に満ちた声に、宵君は頷き、仮面の紐を解いた。久方ぶり、或いは初めて露わになった君主の顔に、それぞれが息を呑む。しかしその目差しは揺らぐことなく、宵君の微笑を見詰めていた。

 ――何だ、醜くなどないではないか。

 そのような声さえ、内心で零す者もある。かつて恐れられた白い目と引き攣れた頬さえも、この瞬間より美しき王の姿として皆の目に焼き付いた。


「暁光、前へ」

 宵君に呼ばれ、暁光は玉座の前に跪く。金の清水川の流れる袂から宵君が取り出したのは、上等な紙に綴られた直筆の書状であった。

「これまで皇家、幻驢芭家、白爪家の三つの柱で、この沖去京を守護してきた。無論、其方らの忠義と尽力あってこその柱だ。しかし先の戦によりこの柱の均衡は崩れ、未だ混乱の治まらぬ箇所もある」

 普段、傍に仕えていない下級の武官達は、初めてその表情を見上げながら宵君の言葉を聞いた。時折瞼を伏せては憂うように眉を寄せ、しかし次には力強さを瞳に宿す。甘く心地良い声は元より人の心を強く惹くが、冷たい仮面に隠されていた表情から何人も目を逸らすことが出来なかった。

「ゆえに、より強固な二つの柱で、この京を治め護ることと相成った。王と将軍という巨大な対の柱で。……内乱鎮圧戦に於いて本陣で指揮を務め、また此度の加賀党討伐を見事成し遂げた白爪暁光を、この沖去京の正式な初代将軍に、白爪家を将軍家に任ずる」

 血判の捺された書状に、歓声が上がる。王と将軍。本来、沖去京はそれに近い形で統治されていた。若き御門の崩御ほうぎょに伴い、皇家と白爪家は地中の根であった幻驢芭家の力を頼ったのだ。幻驢芭家当主であった宵君が御門となった今、かつて白日のもと皇家を守護していた白爪家を将軍家とする取決めに、異論を唱える者はなかった。


 后妃の懐妊、暁光の将軍就任。相次ぐ慶事に民衆は浮足立ち、二つの報せから半月が過ぎても、京中が喜びの渦に胸躍らせていた。御所から三里程南に構える、朱塗りと黒い瓦の大門を護る門番達も、晴れやかな心地の中に居た。日除けの内側に滲む汗を拭い、晴天を見上げる。

「おう、ご苦労。今日は陽が強いから、半刻早めに交代するってさ」

「そうかい。じゃあ頼んだ」

 東側に配置された一人の若者は、門の内から現れた男から水筒を受け取り、一口嚥下した。ありがとよ、と竹筒をその手に渡し、交代に立った同僚たちに背を向ける。

「そうだ、お前らも明日は非番だろ? あとで祝い酒を飲もう。おゆきの店に暮れ六つな」

「おぉ、そいつぁ楽しみだ」

 温い風が大門を吹き抜ける。



「――将軍! お待ちしておりました」

 赤鱗を走らせ、暁光は西方の整備を中断して大門へ駆けつけた。慌ただしく駆け寄る役人と視線を交わしたのも束の間、そこに広がる惨状に、思わず眉を顰める。

 むしろの掛けられた地面は膨らみ、そこから覗く手足は、どのように姿勢を曲げようと成らぬ奇妙な形となって、どす黒いものに汚れていた。それは不規則な場所に複数あり、そのうちのいくつかに女や老人が縋って泣いている。朝顔色の小袖が汚れるのも構わず、大柄な死体を抱いて声を上げ続けている酒場の娘。その傍に立ち尽くす男たちは、生気のない表情で呟く。

「昼間、約束したばっかじゃねぇか……どうしてこんな……」

 膝を折り嘆く横顔を役人の持つ松明が照らした。

「何と惨たらしい。加賀党の残党の仕業か?」

「いえ、それが……」

 黒い飛沫の散る大門に眼を向け、暁光は息を呑み、怒りに拳を震わせる。

 そこには大振りな異国の刀で、盟を誓ったはずの隣国の旗が、立ち尽くす面々を嘲笑うように縫い留められていた。



「――嘉阮か」

 静かな声が使者の報告を反芻し、扇子を傍らに置く。御所紫楽殿の宵君にも、早馬が嘉阮の蛮行を報せていた。門番たちを襲ったのは嘉阮の兵士とのことで、皇帝の勅命ちょくめいを示す深紅の軍旗が大門に残されていたという。

「門の内に害を及ぼしてはならぬと、彼らは必死に戦ったのでしょう。嘉阮兵の死体も多くありました。どれもが無駄に痛めつけぬよう急所を的確に突いたものばかり、一方の門番らの亡骸は……まことに、怒りで言葉もありませぬ」

 頭を垂れたまま、言葉を詰まらせ唇を噛む男に、宵君は数度頷いて玉座から腰を上げた。

「相わかった。彼らのその忠誠、生涯忘れ得ぬ私の宝となろう」


 ゆっくりと紡がれる言葉が、声が、徐々に怒りに満ちる。深い水底から這い上がるような、押し潰されそうなほど激しい憎悪の念。

「望み通り、悪夢を見せてやろうではないか。なぁ」


 宵君のそのような感情に、御所に仕官するもの全てが初めて触れた。

「此度の所業、この宵の逆鱗に触れたぞ。嘉阮の愚王よ」


 戦の支度を。


 宵君の短い言葉に、文官、武官の境なく、全ての者が咆哮ほうこうを上げる。その怒りは天さえも動かしたか、唸るいかづちが国境の巨木を切り裂いた。







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