花浮舟 ―祷―

那須たつみ

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第四幕

愛憎

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 「……なぜですか、兄上」

 額に滲んだ汗を拭い、洸清は眉を顰める。昇りきった白日のもと、久方ぶりに二人きりで打ち合う。しかし暁光の双刀は槍の切っ先を防ぐばかりで、首筋の薄皮を破ったきり洸清を傷つける気配はなかった。

「なにゆえここへ来てまでも、貴方はまことを見せては下さらないのですか」

「……先の答えが私のまことだ」

 いいえ、と洸清は首を振る。暁光の迷いは、今まで目にしたことがないほど如実にょじつに表情、手つきに表れていた。応えたいが、喪う覚悟はならぬ。そのような迷いが祟り、ついに洸清の槍を捌き損じた。

「この丘に貴方がお一人でいらっしゃる背を認め、私はこの上ない喜びを感じたのです。昔日のように、ただ々笑い合った兄弟に、今一度戻ったようで」

 暁光の右の手の太刀が弾かれ、がしゃりと数尺先の地に落ちる。残った片割れを利き腕に持ち替え、暁光の喉を狙った洸清の槍を防ぐ。緋色の目を細め、交わった刃を支えに太刀を振るい、長大な十文字槍を薙ぎ払った。

「……ならば、昔日に戻ろうではないか」

 洸清の手を離れ背後を舞った槍は草原へ深く突き刺さる。暁光の一振りの力強さに、洸清は一瞬感嘆を漏らした。草を踏む足音に兄を振り返るが、暁光は洸清の脇を抜け、己の太刀を深緑の槍と交差させ突き立てる。白爪の家紋が日を反射し、兄弟どちらかの墓標であるかのように温い風に吹かれていた。

「来い、洸清」

 暁光は右の拳を固く握り、洸清の目を睨む。

「兄上?」

「来ぬなら、それでも良いぞ」

 目を瞬かせる洸清の頬に、穏やかな風を裂いて暁光の拳が叩き込まれた。衝撃で両足が地を離れ、傍の木の幹に背を打ち付ける。瞼まで痺れてしまったような痛みに顔を顰め、暁光を見上げた拍子に鼻腔から温かい血が流れた。

「戻ろうではないか、些細ないさかいで殴り合う、ただの兄弟に」

 口内に滲む鉄の味を吐き出し、洸清は幹に凭れながら立ち上がった。

「京の為でも、公主殿下の為でもない。白爪の当主としてでもない。今、私は兄としてお前を殴った」

 ただの兄として、従わぬ生意気な弟を。暁光は口元を拭う洸清に歩み寄り、胸倉を掴み上げた。

「お前の返事を聞かせよ、洸清」

 ぐらつく奥歯を噛み締め、洸清は暁光の目を鋭く睨む。このような目差しを兄に向けるのは初めてだ。

「如何した? 今の私とお前は平民の兄弟。……痛かったのだろう? ほら、殴り返してみろ」

 不慣れな口調も、挑発的な笑みも、兄にはとても似合わない。しかしどこか懐かしい心地がした。首を傾げる暁光の手を振り払い、洸清は兄の左の頬を目掛けて固く拳を握る。

「うるせぇんだよ、このクソ兄貴!」


 鈍い音がぶつかり、暁光がよろめいた。純粋で単純な痛み、怒りを滲ませた赤い目が洸清の兄を敬愛する心を射抜く。

「痛ってぇな……」

 鼻を覆った指の隙間から血液が零れ落ちるのを目にし、洸清は我に返る。暁光は脇へ顔を逸らし、血に塗れた白い欠片を吐き捨てた。

「兄上! 申し訳ございません」

「……先刻さっきまで殺そうとしていた相手に、頬を殴った程度で謝るとは妙な奴だな」

「しかし、よりによってお顔を傷つけるなど、何たるご無礼……」

 少しお待ちを、と慌てて掛布を裂き小川へ向かう洸清を眺めながら、暁光は微笑んだ唇を噛む。

 ――まことに、町人か農民の生まれであったなら、このような時が穏やかに、延々と続いたのだろうか。

 端切れを清水で濡らし駆け戻る洸清から、暁光は目を逸らさずにはいられなかった。

「兄上?」

 洸清の心配そうな表情に否、と曖昧な笑みを浮かべ、大岩の上に腰を下ろす。

「失礼します、兄上」

 その傍らへ跪き、洸清は冷えた布を暁光の頬へ添えた。呆れるほど慎重な手つきで、赤錆に汚れた口元を拭う。「自分で」と暁光が申し出るのも聞かず、それどころか腫れた右の拳まで手に取るので、暁光はそっと無言で咎めた。

「それよりも、お前が先であろう」

「私は良いのです」

 「ならぬ」と洸清の手から湿った布を奪い取り、ぐい、とその顔を拭う。すっかり乾いてしまった血糊は強く擦らねば落ちず、洸清は「痛いです、兄上」と声を上げた。





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