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第三幕
惜別
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鯨一郎達が森林へ差し掛かったときには、既に加賀党と清高の隊との決着はついていた。個々の実力は、武家と徒党では雲泥の差があったが、多勢に無勢であった。数で勝る加賀党が清高の陣を滅ぼしたとの報せが、宵君の耳に入るのも時間の問題であろう。
加賀党の者どもは、遺体から武具や上等な絹を剥ぎ取り、果ては最期を遂げた武人に対しあらゆる侮辱をはたらいた。
「……これが我らのお味方か」
「汚らわしくとも確かな武功。咎めるわけにも参りません。奴らが去ったら、またここへ清高殿に詫びに参りましょう」
止まった馬の歩みを再び促した鯨一郎、繁國に対し、明頼は未だ呆然と死者が弄ばれる様を見ていた。いつも幻驢芭の為、宵君の為尽くして来た彼らの最期を、本当にこのような無惨なものにして良いのか。
『――上様。跡取りは嫡男、宵様の他にありませぬ。明頼様は……上様の杞憂にございましたな』
清高の笑い声が蘇る。決して快くは思われていなかった。それでも。
異変に気づいて振り返った鯨一郎と繁國を一瞥し、明頼は手網を引いた。明頼を乗せた馬は、ゆったりと竹藪の中を抜け、下品な言葉を吐きながら遺体を足蹴にする雑兵へ近づく。顔を上げた男は怪訝そうに明頼をじろりと睨んだが、やがて唾を散らし笑い出した。
「誰かと思えば、幻驢芭の坊ちゃんじゃねぇか。この戦でも何の役にも立ってねぇあんたが、あの山部清高をぶっ殺したあっしなんざに何の御用で?」
「お前が清高を討ったのか」
馬にから降り、明頼は男が踏みつけた横顔を見下ろす。うつ伏せに倒れた背中のどこにも、斬り傷は見当たらない。決して背を見せず戦った、立派な最期だったのだろう。
「だったら何だよぉ」
へらへらと草履の裏を遺体の頬に擦り付ける男を突き飛ばし、明頼は脇差を抜き、遺体の髪を掴み上げた。まだ柔らかい首筋に刃を当て、刀身に足をかけ、ぐっと押し込む。体重をかけて骨を砕き、一筋高く飛び散った血を頬に浴びながら、ついに清高の首を斬り落とした。上がった息を飲み込み、ずしりと重い頭部を男の懐へ押しつける。
「その首級を連れて疾く本陣へ戻れ。死んだ敵ではなく、生きた敵に執着せぬか。私の愛する者達を愚弄するのは許さぬ」
先刻までの笑みが青褪めた男は、未だ武具を盗むことに夢中になっている者どもを怒鳴りつけ、もつれた足取りで去っていった。頭部を失った遺体の傍へ跪き、明頼は静かに両手を合わせる。緩く交差した指は、まだ人の首を断った感触に震えているが、明頼は深く息を吐き、目を伏せたまま笑った。
「……よく兄君に仕えてくれた。お前を失ったことは、東軍の痛手となろう。お前が居ないというだけで、こちらは随分と気が楽だ」
それは今の明頼にかけられる、この上ない敬意と弔いの言葉だった。
「――ご報告申し上げます。加賀党との交戦により、清高殿お討死。これにより森林の布陣は両軍、壊滅致しました」
縁台の前に跪き、泥に塗れた一人の歩兵が、東軍本陣の宵君、並びに恭也をはじめとする馬廻衆に告げる。傍らの兵が差し出した火鉢に煙管を打ち、宵君は小さく笑った。
「短絡で野蛮な徒党如きに敗れるとは、清高も老いたな。存外に使えぬ男だ」
「宵殿……」
「墮速から報せが届いた。森林を迂回し明頼、繁國、鯨が近づいている」
凍てつくような目が、恭也を見上げる。白く細い息を吐き、宵君は灰の中に煙管の火を落とした。
「洸清と同じく追い返すも良し、討つも良し……寝返るも良し。好きにせよ」
火鉢を持った者が下がる。微かに笑って胡床から立ち上がる宵君に、恭也は暫し怪訝そうにしていたが、やがて固く目を伏せた。
「……御意」
目蓋の裏には、無邪気な顔をした妻が蘇る。その声が楽しそうに語るのは、幼い頃から共に育った洸清のことだ。恭也の妻は洸清と親しい友人であり、恭也もまた彼らと共に多くの時を過ごして来た。
「貴方という人は、本当に……」
顔も知らぬ雑兵の御魂をも想い、祈りを捧げるような男が、長く傍で仕えた清高の死を悼まぬわけがない。冷酷な言葉により「東軍を離れ、旧き友人を選びたいというなら構わぬ」とささやかに背中を押されたのだと恭也は気づいた。
「宵殿は人たらしでございますな」
「はて、何の事やら」
笑みを浮かべる横顔には、何だバレてしまったか、と文字の滲むようだった。恭也は今一度会釈をし、馬の背に跨る。緩く駆け出した馬の手綱を握り締める。自分よりも若くありながら全てを包もうとする宵君の慈愛に、恭也ら老将の憂いは、いつも容易く拭い去られてしまうのだ。
――これだから狡いのだ、この方は。
さすが、人心掌握もお達者でいらっしゃる、と呟く口元には清々しい笑みが浮かんだ。
加賀党の者どもは、遺体から武具や上等な絹を剥ぎ取り、果ては最期を遂げた武人に対しあらゆる侮辱をはたらいた。
「……これが我らのお味方か」
「汚らわしくとも確かな武功。咎めるわけにも参りません。奴らが去ったら、またここへ清高殿に詫びに参りましょう」
止まった馬の歩みを再び促した鯨一郎、繁國に対し、明頼は未だ呆然と死者が弄ばれる様を見ていた。いつも幻驢芭の為、宵君の為尽くして来た彼らの最期を、本当にこのような無惨なものにして良いのか。
『――上様。跡取りは嫡男、宵様の他にありませぬ。明頼様は……上様の杞憂にございましたな』
清高の笑い声が蘇る。決して快くは思われていなかった。それでも。
異変に気づいて振り返った鯨一郎と繁國を一瞥し、明頼は手網を引いた。明頼を乗せた馬は、ゆったりと竹藪の中を抜け、下品な言葉を吐きながら遺体を足蹴にする雑兵へ近づく。顔を上げた男は怪訝そうに明頼をじろりと睨んだが、やがて唾を散らし笑い出した。
「誰かと思えば、幻驢芭の坊ちゃんじゃねぇか。この戦でも何の役にも立ってねぇあんたが、あの山部清高をぶっ殺したあっしなんざに何の御用で?」
「お前が清高を討ったのか」
馬にから降り、明頼は男が踏みつけた横顔を見下ろす。うつ伏せに倒れた背中のどこにも、斬り傷は見当たらない。決して背を見せず戦った、立派な最期だったのだろう。
「だったら何だよぉ」
へらへらと草履の裏を遺体の頬に擦り付ける男を突き飛ばし、明頼は脇差を抜き、遺体の髪を掴み上げた。まだ柔らかい首筋に刃を当て、刀身に足をかけ、ぐっと押し込む。体重をかけて骨を砕き、一筋高く飛び散った血を頬に浴びながら、ついに清高の首を斬り落とした。上がった息を飲み込み、ずしりと重い頭部を男の懐へ押しつける。
「その首級を連れて疾く本陣へ戻れ。死んだ敵ではなく、生きた敵に執着せぬか。私の愛する者達を愚弄するのは許さぬ」
先刻までの笑みが青褪めた男は、未だ武具を盗むことに夢中になっている者どもを怒鳴りつけ、もつれた足取りで去っていった。頭部を失った遺体の傍へ跪き、明頼は静かに両手を合わせる。緩く交差した指は、まだ人の首を断った感触に震えているが、明頼は深く息を吐き、目を伏せたまま笑った。
「……よく兄君に仕えてくれた。お前を失ったことは、東軍の痛手となろう。お前が居ないというだけで、こちらは随分と気が楽だ」
それは今の明頼にかけられる、この上ない敬意と弔いの言葉だった。
「――ご報告申し上げます。加賀党との交戦により、清高殿お討死。これにより森林の布陣は両軍、壊滅致しました」
縁台の前に跪き、泥に塗れた一人の歩兵が、東軍本陣の宵君、並びに恭也をはじめとする馬廻衆に告げる。傍らの兵が差し出した火鉢に煙管を打ち、宵君は小さく笑った。
「短絡で野蛮な徒党如きに敗れるとは、清高も老いたな。存外に使えぬ男だ」
「宵殿……」
「墮速から報せが届いた。森林を迂回し明頼、繁國、鯨が近づいている」
凍てつくような目が、恭也を見上げる。白く細い息を吐き、宵君は灰の中に煙管の火を落とした。
「洸清と同じく追い返すも良し、討つも良し……寝返るも良し。好きにせよ」
火鉢を持った者が下がる。微かに笑って胡床から立ち上がる宵君に、恭也は暫し怪訝そうにしていたが、やがて固く目を伏せた。
「……御意」
目蓋の裏には、無邪気な顔をした妻が蘇る。その声が楽しそうに語るのは、幼い頃から共に育った洸清のことだ。恭也の妻は洸清と親しい友人であり、恭也もまた彼らと共に多くの時を過ごして来た。
「貴方という人は、本当に……」
顔も知らぬ雑兵の御魂をも想い、祈りを捧げるような男が、長く傍で仕えた清高の死を悼まぬわけがない。冷酷な言葉により「東軍を離れ、旧き友人を選びたいというなら構わぬ」とささやかに背中を押されたのだと恭也は気づいた。
「宵殿は人たらしでございますな」
「はて、何の事やら」
笑みを浮かべる横顔には、何だバレてしまったか、と文字の滲むようだった。恭也は今一度会釈をし、馬の背に跨る。緩く駆け出した馬の手綱を握り締める。自分よりも若くありながら全てを包もうとする宵君の慈愛に、恭也ら老将の憂いは、いつも容易く拭い去られてしまうのだ。
――これだから狡いのだ、この方は。
さすが、人心掌握もお達者でいらっしゃる、と呟く口元には清々しい笑みが浮かんだ。
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