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第一幕
兄弟
しおりを挟む一方、当の暁光と洸清は、鯨一郎をはじめとする護衛を先に邸に帰らせ、未だ森の中で馬を休ませていた。無論、鯨一郎は聞き渋ったが、「二人で話したいことがある」と暁光に頼み込まれ「夜半を過ぎても戻られぬようでしたら、如何に大切な御話のさなかであっても呼びに参りまするぞ」とだけ言い残し、仕方なく帰路についたのである。
水面に落ちた上弦の半月が、暁光の放った小石により大きく歪んだ。どこか遠くで梟が鳴くのを聞きながら、再び手頃な石を池に投げ込む。
「大の男二人に『夜半までに戻れ』とは。鯨一郎の中ではいつまでも我らは幼子のようだ」
「致し方ありますまい。兄上が鯨一郎に心配ばかりお掛けになるからだ」
洸清の溜息に、暁光はこれではどちらが兄やら分からぬな、と苦笑いを零した。暁光にとってはほんの小さな、何気ない呟きであったが、洸清は不機嫌に眉を潜めた。
「それは、あんまりなお戯れではありませんか、兄上。洸清は物心ついたときから一度も兄上を越したことも、越そうと思ったこともございません。兄上にとってはほんの軽口でございましょうが、私には兄上への忠義を軽んじられたように捉えられまする」
驚いたように目を瞬かせる暁光を見上げ、洸清ははっとした後、苦い顔をして「申し訳ございません、口が過ぎました」と頭を下げる。それでも暁光が黙っているので、怒りに触れたかと洸清は踵を返した。
「ご無礼を申しました、頭を冷やして参ります」
「洸清」
速やかに去ろうとする洸清をなるべく穏やかに呼び止め、暁光は髪と同じ色をした睫毛を伏せる。月の冷たい神秘さというよりは、陽の光の力強さを湛えた髪が夜風に静かに漂う。静寂を破った暁光の声は普段と変わらぬ色をしており、洸清は安堵した。
「否、済まなんだ。其方の申す通りであろう。口が過ぎたのは私の方だ」
「いえ、私の方こそ……」
しばし静かな時が流れたが、そのどこか気まずい空気も暁光は平然と破った。
「時に洸清。隋分と話が逸れてしまったが」
「あぁ、件の盗人、でございますか」
洸清も手慰みに馬の鼻を撫でながら、本来こうして人払いをした目的を思い出す。暁光は頷いて、珍しく険しい面持ちで「それがどうやらただの盗人ではないらしい」と続けた。
「ただの盗人ではない? 多少なり我らに所縁のある者ということでございますか」
「どちらかというと因縁だな。『加賀党』は其方も知っておろう」
「えぇ、無論存じております。あれは厄介な連中でございますゆえ」
加賀党とは、京の西方に根城を構える徒党である。その信条は、公主こそがただ唯一のこの京の王であり、幻驢芭、白爪両家は即権威を公主に奉還すべきである、というものだ。
「どうやら件の盗人は加賀党の末席らしいのだ。先の戦で宵殿を廃し公主を擁立すると嘉阮にそそのかされ、敵方に加勢した。……は良いが、兵糧に困り民家を襲い、その際に恐らく件の童の両親も」
「……目も当てられぬ者どもにございまするな」
「加賀党はそういう輩の巣窟だ。……抑、彼らの主張は現実性に欠ける。所詮は徒党の絵空事よ」
「しかし兄上、公主殿下が髪上げをなされば、宵殿は摂政から退き、両家はただ、近臣としてお支えするのでございましょう。公主殿下は今年で十二になられます、髪上げは来月にでも、という頃合いです。ゆえに宵殿は事を急いておられたのではないのですか? 近々公主殿下に全ての権限を奉還するのならば、加賀党などお気に留める必要もありますまい」
洸清の問いに暁光は答えなかった。その沈黙が何を意味するのか。洸清はまさか、と暁光に詰め寄るが、暁光は視線を外し「京を思うのならば、と宵殿と決めたことだ」と呟いた。
「兄上! それはまかりなりませぬ、元より宵殿と兄上は亡き陛下より詔勅を賜り、公主殿下にお仕えするのではなかったのですか」
「……嘉阮の執拗な侵攻も気にかかる。宵殿が釘を刺しておられるが、それで退く相手なら苦労せぬ。公主殿下はまだこの京を背負うべきではない」
「兄上は仰っていたではありませんか、近頃の公主殿下は政も軍略も大変な上達であられると。隣国の動向ならば、実権を握らずとも両家で監視していればよろしい筈」
洸清は一瞬言い淀んだが、兄の目を見て、「……御野心でないならば」と付け足した。
「……なぜ、何も答えて下さらないのですか」
「……」
「兄上!」
暁光は洸清と視線を合わせたまま黙っていたが、やがて馬の蹄の音、鯨一郎の声が近づくとただ一言だけ口にした。
「野心と呼べぬこともないのであろうな」
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