もう一つの空

春瀬由衣

文字の大きさ
上 下
17 / 24
複雑な家庭事情

第十七話 決心

しおりを挟む
 ポタリ、ポタリと涙が太ももに落ちてきて、不意に僕は思い出した。そうだ、僕が腕に小刀を突き立てた前に、マリアさんが僕の足に熱いスープをこぼしたんだった。

 確かにそのスープはとても熱かったけど、火傷になるほどじゃなかったはず......と思うけど実際火傷になってしまったんだろう。そうでなければ、足に包帯が巻かれている理由に説明がつかない。

 スープが僕の足にこぼれた後に、僕が自死を試みてしまった――なるほど、それでマリアさんが気に病んでしまったのか。スープと死にたがりの間にはなんの因果関係もないっていうのに。

「――ッたっ」

 筋肉が引きつるような痛みを覚えて僕は足を引っ込めてしまう。僕のために涙を流したまま眠ってしまっていたマリアさんが飛び起きた。僕の目を見て、僕に意識があると確認するや、さめざめと泣いていたさっきまでとは真逆の、叫ぶような泣き方で泣き出した。心配をかけたのは僕なのにちょっと面食らってしまったくらいだ。

「ごめんね、ごめんね……――」

 声にならない声でしゃくりあげるのを見てさすがの僕も居心地が悪い。こんな不自由な、働くことも許されない世界なんてとっとと見限って逃げ出してしまおうとまで思っていたのに不思議なことだ――この人たちをこれ以上悲しませてはいけないという抑止力が僕を引き留める。

「こちらこそ、ごめんなさい」

 ぼそりと呟いた言葉は空中を誰にも聞かれずに浮遊した。泣き叫ぶマリアさんには聞こえていないだろう。

「――ッ!」

 自分の無力さゆえに師匠を死なせてしまった。そして現実を直視できないあまり記憶障害まで起こして僕を庇った師匠を忘れた。それだけでどうしようもない罪なのに、レオさんとマリアさんに迷惑をかけては師匠に怒られる。

「ごめんなさい、マリアさん!」

 ハッとした顔でマリアさんは泣き止み、僕の顔を見て、❘跪《ひざまず》くようにして僕の上半身の横にピタリと接し、腕を伸ばして僕を抱きしめてくれた。今度は僕がわんわん泣く番だった。

 名も顔も知らぬ母親というものも、僕が泣いたときには抱きしめてくれたのだろうか? 生まれてすぐ捨てられたのか、ある程度まで育ててくれたのか、物心なんてついているわけもない幼少期のことは覚えていない。

 万が一僕に対する実の母親からの愛情が全くなかったとしても、それはそれでいいと思った。

 僕を捨てた人のことよりも、僕は僕を愛してくれる人を愛したい。貧民街とは全く違う世界に放り込まれてしまったけれど、拾ってくれた二人の顔に泥を塗らないように頑張って慣れよう。一刻も早く仕事がしたいけど――それは後でもいい。

 願わくば、各家庭の機械の修理をして稼いだお金をお二人に差し上げたい。市長の秘書なんてやっているレオさんにとっては微々たるお金だろうけど、今の僕にできることはそれくらいしかないから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する

美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」 御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。 ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。 ✳︎不定期更新です。 21/12/17 1巻発売! 22/05/25 2巻発売! コミカライズ決定! 20/11/19 HOTランキング1位 ありがとうございます!

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...