もう一つの空

春瀬由衣

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機械師ロン

第一話 「糞尿の街」

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「ーーったく、窓から汚物を撒くなと何度言ったらわかるんだ市民たちは」

 この街の市長がマントに身を隠して足早に歩く。定期的に清掃をかけてもこの街の道という道は一向に整頓されない。おまけに治安も悪いときた。

 空気の悪いこの一帯には、富豪が建てた「工場マニファクチュア」というものがある。といっても、富豪本人はここには絶対に住まない。うっかり足を踏み入れようものなら、気の迷いで殺されかねない。

 富豪はこの街の貧民たちをこき使うことで財をえているのだ。こき使われる方としてはたまったものではないだろう。ーーそれはわかる。わかるのだが。

 なぜ私がその対処にあたらなければいけないのだろう。

 就任一日目の哀れな市長は、とある工場の工場長に労働者たちが詰めかけ一触即発だという一報を受け事態の終息に奔走しているのだ。

「私は仮にも、革命の英雄タエ・モンブランの子孫なんだぞ!?」

「それがどうした」

「わっ何をする!」

 かつて存在した恐ろしい差別構造を打開した英雄の直系の子孫である彼は、いわば名誉市民として不労所得をいただく立場にある。その自分がなぜ汚れ仕事を、と愚痴ったのだが、すぐそばをぶつかりそうになりながら通り過ぎた浮浪者にびっくりした始末だった。

「何をするっつったって仕事だよ。この街の市長さまが汚物の処理を御所望らしくてね」

 忌々しげに吐き捨てたあたり、この浮浪者は彼を市長だとわかって言っているのだ。市長もそれを察し、こめかみに青い筋を立てた。

「私はタエ・モンブランの直系の孫だぞ?」

「だからなんだと言っている。あんたの祖父は汚れ仕事をやったからこそ英雄なんだ。この街を見てなにも思わぬ人間に興味はない」

 なんだと、と胸ぐらを掴みそうになった頃合いに、聴き馴染みのある声がしたのは幸いだった。このまま殴っていればタエ・モンブランの子孫が市民を殴ったと新聞の一面を飾りかねない。

「市長、市長! こちらです、早く来てください!」

 声の主は、屋敷の執事から市長の秘書という、不名誉な昇進を遂げた彼の部下だった。

「おお、今いくぞ」

 民衆に求められる市長が妬ましいだろう、と見せびらかすつもりで後ろを見返れば、浮浪者はゴミを熱心に漁っていた。やはりというか所詮というか、こいつは浮浪者にすぎないのだと市長は秘書の元へ駆けていく。その足音を背で聞きながら、浮浪者は呟いた。

「最後まで名誉のことしか頭にない奴め、タエの名が聞いて呆れる」

 浮浪者の名を、メロスといった。髭を蓄え長髪で継ぎ接ぎだらけの服をまとい、どう見てもその日暮らしの老人であったが、その実彼は街一番の修理屋で、彼に直せないものはないのだった。
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