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瞬く間に、開戦
第16話 謎多き土地に救いあらんことを
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ファスト亜区のことを詳しく知る者は少ない。その区はつい数ヶ月前に、国際的な取り決めで区から亜区にランクを落とされたが、本人なき同意に対し、遺憾の意一つ示さない。
ファスト亜区は三方を険しい山々に囲まれ、一方を瘴気に侵された土地に面していた。天然の要塞に恵まれた土地柄とそこで育まれた気質からか、幾度も侵略を退ける軍事力を有していながら山々の外の土地を欲しがることもない。限られた土地を奪い合う、大半のメストス階級には理解できぬ行動だった。
気味悪い沈黙の意図を探ろうにも、放ったスパイは帰って来ず、空域を侵犯させた偵察機も行方知らずになる。謎多き区ではあるが、戦争に忙しい他の区にとっては山の外に出てこようとしない、つまり自分たちに危害を及ぼさない区など徐々に優先順位は下がり、やがて誰もファスト亜区に興味を示さなくなった。
そんなファスト亜区にタエが向かう決心をしたのは、かつて彼がメゾン区に引き抜かれ戦闘員になる前、スラムで孤児だったころにある噂を聞いたことがあったからだ。
――ある小国は、清浄空気地域の中にあるにもかかわらず、メストス地域の外で瘴気を吸って生きざるをえない黒肌の民を匿い住まいを与えている。
そのことが他の国にバレては小国は潰される。被差別階級に恵まれた境遇など与えられては、それが対外的に漏れたときに自領土内の黒肌の民に一斉に蜂起されかねない。そうなれば他の区も、総出でファスト亜区を潰しにかかるだろう。バラバラの意思の元にある他区には別々に対処できたが、一斉に攻められては領土を守り切れるかわからない。
そういった理由で大々的に宣伝はできないが、確かにそんな国は存在し、迷える被差別民に救いの手を差しのべているのだ――
オカルトやただの願望の幻想化類いだと一笑に附すという考えもあったが、幼いタエはそうしなかった。それは、迂闊に他の人間に話せばその“国”以外のメストス階級の人間に秘密がばれ、救われたはずの同胞まで殺されてしまうという最悪の結果を招きかねないからである。
「ということは、俺も大概だな。ただの噂にすぎないそれを、結局信用したのだから」
どこかでひそかに救われている同胞がいるに違いないという確信は、救われている同胞がいてほしいという願望が変化した形でしかない。どこにメストス階級の手の者がいるとも知らぬスラム街で、非力な子どもが不確かな噂の真偽を判定する術など持ち合わせているわけもない。
自分への嘲笑をうっすらタエは口元に湛えた。黒肌の民出身の兵士を多数殺してきた自分が、同胞の死を人並みに悲しんでいた時期があったということに戸惑いも覚えてしまう。あのころの自分は清らだったのだろうか?
「博打に近いことをしようとしているのは重々わかっている――そもそもあの噂自体が、世界に瘴気もなく人類が栄えていた頃の人間の集合体の呼び名の“国”なんて言葉を使っているんだからな」
まだ一つの民族が広大な領土を保持できていた国という概念があった頃の人間はきっと驚くのだろう。人類がこれほどまでに狭い土地のなかで領土を争いあっているということに――
『意味のわからん独り言を垂れ流している場合か。ファスト上空に入るぞ』
メゾンの言葉に、タエは遠い記憶から自らの意識を戻した。
「さてさて、謎の区の実態は如何に」
嘲笑ともとれる笑みを顔に貼り付けて、タエはファスト亜区を取り囲む山脈を越えた。
ファスト亜区は三方を険しい山々に囲まれ、一方を瘴気に侵された土地に面していた。天然の要塞に恵まれた土地柄とそこで育まれた気質からか、幾度も侵略を退ける軍事力を有していながら山々の外の土地を欲しがることもない。限られた土地を奪い合う、大半のメストス階級には理解できぬ行動だった。
気味悪い沈黙の意図を探ろうにも、放ったスパイは帰って来ず、空域を侵犯させた偵察機も行方知らずになる。謎多き区ではあるが、戦争に忙しい他の区にとっては山の外に出てこようとしない、つまり自分たちに危害を及ぼさない区など徐々に優先順位は下がり、やがて誰もファスト亜区に興味を示さなくなった。
そんなファスト亜区にタエが向かう決心をしたのは、かつて彼がメゾン区に引き抜かれ戦闘員になる前、スラムで孤児だったころにある噂を聞いたことがあったからだ。
――ある小国は、清浄空気地域の中にあるにもかかわらず、メストス地域の外で瘴気を吸って生きざるをえない黒肌の民を匿い住まいを与えている。
そのことが他の国にバレては小国は潰される。被差別階級に恵まれた境遇など与えられては、それが対外的に漏れたときに自領土内の黒肌の民に一斉に蜂起されかねない。そうなれば他の区も、総出でファスト亜区を潰しにかかるだろう。バラバラの意思の元にある他区には別々に対処できたが、一斉に攻められては領土を守り切れるかわからない。
そういった理由で大々的に宣伝はできないが、確かにそんな国は存在し、迷える被差別民に救いの手を差しのべているのだ――
オカルトやただの願望の幻想化類いだと一笑に附すという考えもあったが、幼いタエはそうしなかった。それは、迂闊に他の人間に話せばその“国”以外のメストス階級の人間に秘密がばれ、救われたはずの同胞まで殺されてしまうという最悪の結果を招きかねないからである。
「ということは、俺も大概だな。ただの噂にすぎないそれを、結局信用したのだから」
どこかでひそかに救われている同胞がいるに違いないという確信は、救われている同胞がいてほしいという願望が変化した形でしかない。どこにメストス階級の手の者がいるとも知らぬスラム街で、非力な子どもが不確かな噂の真偽を判定する術など持ち合わせているわけもない。
自分への嘲笑をうっすらタエは口元に湛えた。黒肌の民出身の兵士を多数殺してきた自分が、同胞の死を人並みに悲しんでいた時期があったということに戸惑いも覚えてしまう。あのころの自分は清らだったのだろうか?
「博打に近いことをしようとしているのは重々わかっている――そもそもあの噂自体が、世界に瘴気もなく人類が栄えていた頃の人間の集合体の呼び名の“国”なんて言葉を使っているんだからな」
まだ一つの民族が広大な領土を保持できていた国という概念があった頃の人間はきっと驚くのだろう。人類がこれほどまでに狭い土地のなかで領土を争いあっているということに――
『意味のわからん独り言を垂れ流している場合か。ファスト上空に入るぞ』
メゾンの言葉に、タエは遠い記憶から自らの意識を戻した。
「さてさて、謎の区の実態は如何に」
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