56 / 59
終の音
第56話 あわれ、我が子
しおりを挟む
来てはいけないよ、藤助。こちらには怖い鬼がいる。お父上とかあさんが、力合わせて退治しているんだ。だから、来てはいけない。ここでしばらく待っているんだよ
「ははうえ……」
自分に家族がいることなど、ついぞ思い浮かばなかった隼人から、己を産み落とした者を呼ぶ言葉が吐き出された。彼がそ言葉にどんな情感を込めたのか、彼自身が一番わからない。どこか物欲しげで、吐息のようで、非難するようで、甘えるような声を隼人は解釈できない。それでも、声の主は微笑んだ。
「あなたは様々な名で呼ばれたゆえに、自分の魂を見失っている。藤助と私が呼んだ者と、サトという娘がハヤトと呼んだ者は同じ人間です。あなたは地続きなのですよ」
ハッと隼人は目を見開いた。多数の腕と目を持った化け物は存在せず、自らの母の声ももはや聞こえない。
驚く間もなく、左側の肩関節と股関節に圧迫される痛みが生じ、バネが弾けるように左半身が何かの境界線をくぐり、あるいはまたぎ、風を感じ、躱された太刀が皮膚を切り裂く痛みを覚え、また、先ほどまでしなかった金属音と悲鳴が聞こえるようになった。右半身も同じようであった。
「なぁ、聞こえる? 隼人はん」
一番、この肉体に馴染んだ名前。一番、長くこの命とともに在った名前。その名前が染み渡る。先ほどからずっと、この名を呼ばれ続けていた気もする。
時人という名を与えられ、武士になった。彼に名を与えた武士の頭領は彼の魂を縛り、彼が自由に生きることを望まなかった。時人という名が、鳥籠になった。だからこそ、隼人は、その外から呼びかける声に気づかなかったのだろう。
「隼人はん……。薬師である、ウチを信じてほしい。足元を見て、野の草を摘んで食べて。そう、その蒲公英を」
「わかっ、た」
脚を畳み、腰を折り、その草の根元を摘んで引っ張った。隼人と呼ばれた不死の子が、最後に奪った命であった。
「おい、お前——ッ」
今まさに野草を摘んだ手を、じゃらじゃらと甲冑をつけた者が踏みつけた。
「お前、ただで——、ただで済むと思うなよ、仲間を殺したのはお前だろう! この、疫病神が!」
隼人の手に鈍い痛みが走った。その痛みは隼人の意識を一瞬だけ薄れさせ、隼人の意識の中に潜り込んでいたサトは、弾かれてしまった。もう隼人の魂に、直接話しかけることはできない。
呪いが切れて、サトの肉体と魂は剥がされてしまう。その痛みに耐えながら、サトは隼人がしゃがんでいる方に視線を向ける。
隼人が手を踏みつけている武士をカッとなって殺さないか。再び闇に落ちて疫病神の意のままになってしまわないか。そんなことよりも、ただ、彼がその手に持った、蒲公英を口に含んでくれるように祈りながら……
「ははうえ……」
自分に家族がいることなど、ついぞ思い浮かばなかった隼人から、己を産み落とした者を呼ぶ言葉が吐き出された。彼がそ言葉にどんな情感を込めたのか、彼自身が一番わからない。どこか物欲しげで、吐息のようで、非難するようで、甘えるような声を隼人は解釈できない。それでも、声の主は微笑んだ。
「あなたは様々な名で呼ばれたゆえに、自分の魂を見失っている。藤助と私が呼んだ者と、サトという娘がハヤトと呼んだ者は同じ人間です。あなたは地続きなのですよ」
ハッと隼人は目を見開いた。多数の腕と目を持った化け物は存在せず、自らの母の声ももはや聞こえない。
驚く間もなく、左側の肩関節と股関節に圧迫される痛みが生じ、バネが弾けるように左半身が何かの境界線をくぐり、あるいはまたぎ、風を感じ、躱された太刀が皮膚を切り裂く痛みを覚え、また、先ほどまでしなかった金属音と悲鳴が聞こえるようになった。右半身も同じようであった。
「なぁ、聞こえる? 隼人はん」
一番、この肉体に馴染んだ名前。一番、長くこの命とともに在った名前。その名前が染み渡る。先ほどからずっと、この名を呼ばれ続けていた気もする。
時人という名を与えられ、武士になった。彼に名を与えた武士の頭領は彼の魂を縛り、彼が自由に生きることを望まなかった。時人という名が、鳥籠になった。だからこそ、隼人は、その外から呼びかける声に気づかなかったのだろう。
「隼人はん……。薬師である、ウチを信じてほしい。足元を見て、野の草を摘んで食べて。そう、その蒲公英を」
「わかっ、た」
脚を畳み、腰を折り、その草の根元を摘んで引っ張った。隼人と呼ばれた不死の子が、最後に奪った命であった。
「おい、お前——ッ」
今まさに野草を摘んだ手を、じゃらじゃらと甲冑をつけた者が踏みつけた。
「お前、ただで——、ただで済むと思うなよ、仲間を殺したのはお前だろう! この、疫病神が!」
隼人の手に鈍い痛みが走った。その痛みは隼人の意識を一瞬だけ薄れさせ、隼人の意識の中に潜り込んでいたサトは、弾かれてしまった。もう隼人の魂に、直接話しかけることはできない。
呪いが切れて、サトの肉体と魂は剥がされてしまう。その痛みに耐えながら、サトは隼人がしゃがんでいる方に視線を向ける。
隼人が手を踏みつけている武士をカッとなって殺さないか。再び闇に落ちて疫病神の意のままになってしまわないか。そんなことよりも、ただ、彼がその手に持った、蒲公英を口に含んでくれるように祈りながら……
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
【18禁】「胡瓜と美僧と未亡人」 ~古典とエロの禁断のコラボ~
糺ノ杜 胡瓜堂
歴史・時代
古典×エロ小説という無謀な試み。
「耳嚢」や「甲子夜話(かっしやわ)」「兎園小説」等、江戸時代の随筆をご紹介している連載中のエッセイ「雲母虫漫筆」
実は江戸時代に書かれた書物を読んでいると、面白いとは思いながら一般向けの方ではちょっと書けないような18禁ネタや、エロくはないけれど色々と妄想が膨らむ話などに出会うことがあります。
そんな面白い江戸時代のストーリーをエロ小説風に翻案してみました。
今回は、貞享四(1687)年開板の著者不詳の怪談本「奇異雑談集」(きいぞうだんしゅう)の中に収録されている、
「糺の森の里、胡瓜堂由来の事」
・・・というお話。
この貞享四年という年は、あの教科書でも有名な五代将軍・徳川綱吉の「生類憐みの令」が発布された年でもあります。
令和の時代を生きている我々も「怪談」や「妖怪」は大好きですが、江戸時代には空前の「怪談ブーム」が起こりました。
この「奇異雑談集」は、それまで伝承的に伝えられていた怪談話を集めて編纂した内容で、仏教的価値観がベースの因果応報を説くお説教的な話から、まさに「怪談」というような怪奇的な話までその内容はバラエティに富んでいます。
その中でも、この「糺の森の里、胡瓜堂由来の事」というお話はストーリー的には、色欲に囚われた女性が大蛇となる、というシンプルなものですが、個人的には「未亡人が僧侶を誘惑する」という部分にそそられるものがあります・・・・あくまで個人的にはですが(原話はちっともエロくないです)
激しく余談になりますが、私のペンネームの「糺ノ杜 胡瓜堂」も、このお話から拝借しています。
三話構成の短編です。
春雷のあと
紫乃森統子
歴史・時代
番頭の赤沢太兵衛に嫁して八年。初(はつ)には子が出来ず、婚家で冷遇されていた。夫に愛妾を迎えるよう説得するも、太兵衛は一向に頷かず、自ら離縁を申し出るべきか悩んでいた。
その矢先、領内で野盗による被害が頻発し、藩では太兵衛を筆頭として派兵することを決定する。
太兵衛の不在中、実家の八巻家を訪れた初は、昔馴染みで近習頭取を勤める宗方政之丞と再会するが……
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる