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少年はラフィールを知る
かつては馬鹿だった
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「思えば初めに違和感を覚えたのは、初等部に通ってた頃だったか。あの時はまだ自分が“王子”だってことを知らなくて、ただ純朴に父上に甘えられてた時期だったよ。欲しい物にせよ、したいことにせよ。それが父上の権力の元で叶ってたってことには、全く気が付かなかった。ただの馬鹿なガキだったんだ」
ラフィールは過去の自分を嘲笑うかのように、嫌に軽快な口調で口を開いた。だけどその裏腹で、ラフィールのボクを抱く力が、徐々に強まっていく。
自然とボクは、ラフィールがこう言う事に不慣れなのだと悟った。こういう弱みと言えばいいのか、そういう部分を見せること自体に、ラフィールは慣れていないのだろう。
だからボクに出来ることは、ラフィールから離れないことだと思った。ボクは猫の後を追いながらも、しっかりとラフィールの腕の中に身を寄せて、耳を傾ける。
受け入れたかった。知りたかったから、ラフィールのことを。どんな形であれ……、受け入れられるボクになりたかった。
「ある時俺は、近くの街に遊びに出かけた。そこで何人かの人間の子供と知り合ってな。時々街に出ては、一緒に遊びまわったりしてたんだ。――そういえば、シラカと出会ったのもその時期だったか」
「えっ。あ、あの人そんな前からの知り合いなの……」
「ああ。……いや、まあその話は置いとこう。ともかくシラカと、俺と、その人間の子供同士で遊びまわる日々が続いてた。だけどある日、俺は気が付いたんだ。……奴らは、俺の金が目当てだったってな」
その瞬間。ラフィールの横顔に、僅かに影が落ちたような気がした。
「その日の俺は、財布を忘れて出たんだ。まあいいかと思って取りに帰らず、そのまま奴らに会ったんだ。そしたら財布が無いと知った途端、奴らは態度を変えたよ。急に俺を爪弾きにして、返事もしなくなりやがったんだ」
「そんな露骨に態度を変えたの……?」
「露骨過ぎだって話。昨日までニコニコしてた奴らが、急に無視してくるんだぜ? ……後で知ったんだが、俺が王子だっていうことは世間ではそこそこ知られてたらしい。だから要は、俺はただの金づるだったのさ。どうりで毎回毎回オモチャやらを買わされるわけだよ」
「毎回オモチャ!? いや、そりゃおかしいって。き、気づかなかったのそれで?」
「だから馬鹿だったんだよ。俺は。……そもそも俺は、友達が何なのかすら知らなかった。だからアレが普通なんだと信じまっててさ。本当、何やってんだろうな。俺」
その時ボクの脳裏に、ふと何週間か前のことが浮かんできた。確かあれは、初めてラフィールに本気で抱かれた直後……。
ラフィールはこんな風に言っていた。『俺に寄って来る奴は山ほど居る。だけどそいつらは、ただ『王子』って肩書に引き寄せられてるだけだ』……って。
あの言葉は、きっとこの話を思い出していたから出た言葉なんだろう。誰も、ラフィールのことを見ていなかったから。
「それから暫くして、マサトが産まれる直前のことだ。俺の周りには山ほどの馬鹿が群がってた。学校でも、街でも。父上の金を搾り取ろうと必死だったよ。……そのためなら、平気で俺と子供を作ろうとする大人だって居た。何考えてんだって話だよ。マジで」
「……」
「それにマサトを利用して、早々に金儲けの算段を企てる奴らも居てな。謁見に来る奴ら全てが、金、金、金。……あの頃の人間にとって、オーク族は。というかウチの王家は、そういう金のなる木みたいな認識でしか無かったんだ」
金のなる木。その言葉を聴いた時、ふとボクの脳裏に疑問が浮かぶ。
「……ねぇ。えっと、へ、変な意味は無いんだけど、その。あの王様って……そんなにお金持ちなの? そんな沢山の人が群がるくらい……」
「ん……まあな。元々ウチには、王が代々受け継ぐ【鉱山】があるんだ。それも世界各地に。そこから取れる宝石やら石炭やら……色々を、人間に売る形で、一族全体を養ってんだよ」
「へぇ……鉱山なんて持ってるんだ? 凄いね、なんか。全然そんな風には見えないのに……」
「まあ言っても俺等は王族だからな。そんな汗水は垂らしてねぇんだけど……。まあとにかく、それプラスで父上はそんなに欲深くねぇから、金が貯まる一方なのよ。ああいう人間は、その金が欲しくてたまらないのさ」
どうやら発端には、政治的な事も絡んでいるらしい。鉱山やらを持ってるとなると、単に友達同士だけのイザコザじゃなさそうな……。
「だからまあ、そんなわけで……。どこぞの国のお偉いさんとか来るわけだよ。美男美女を引き連れて、俺を懐柔しようと目論んだり。俺が王になることを見越して、コネを作ろうと企んだり。……疲れる一方さ」
「……」
「とにかく嫌で嫌で仕方なかった。俺はそういう生活そのものから逃げ出したんだ。だから何もかもを置き去りにして……。その時来たのが、この森だったんだよ」
そしてラフィールが、不自然に足取りを止めた時。急に森の奥から冷たい風が吹き返してきた。
直後。その風に乗って、木々の隙間を通り抜けるように……何処からともなく【霧】が姿を現す。
霧はボクらへと忍び寄り、ほんの瞬きの一瞬のうちに辺り一帯を覆い尽くしてしまい。ボクらはあっという間に、霧の中へと包み込まれてしまった。
「【惑いの森】。入る者全てを拒む、ちょっとした迷路みてぇな森だ。普通の人間が一人で入れば、一生抜け出せねぇ」
「抜け出せない!? い、いや何それっ。めっちゃ危険じゃん……!? 前もって言ってよそういうことは!?」
「安心しろって。俺らには案内人が居るだろ? ――黒猫の後を追えば、迷うことはねぇ。それがこの森のルールだ」
「ルールって……。んん……。だ、大丈夫なの本当に……」
「任せとけ。庭だって言っただろ、この辺は。仮に黒猫を見失っても、俺が側に居れば何も問題はねぇよ。……さ、行くぜ」
ラフィールは黒猫を辿るように、霧の中を悠々と突き進む。ボクは慌てながらも、ラフィールの胸にしがみつきながら、その歩幅に合わせて何とか歩く。
その最中でボクは、『こんな場所一人で来たくない』と思った。ラフィールが居るから、こんな無謀みたいな馬鹿な真似も出来るわけで。
だけど昔のラフィールは、一人でここに来た。……家出をするにしては、ちょっと危な過ぎる気がする。
「とにかくそういう事も色々あって、あの頃は反抗期真っ只中だったわけだ。だから親への反発……みたいな意味もあって、ここに来たんだよ。この森は立入禁止だって何度も聞かされてたからな」
「いや、そりゃ反抗するだろうけど……。無茶し過ぎだよそれ。怪我したらどうすんの……」
「そこまで頭が回らなかったのさ。んで、案の定迷子になって。何日かは森ン中を彷徨い続けた先で……。【アイツ】に出会ったんだ」
『――ニャォゴ……』
「脅すような声で鳴かれたのを、よく覚えてるよ。好き勝手に森の中を歩き回る俺が、気に食わなかったんだろうな。アイツは全身の毛を逆立てながら、俺の前に立ちはだかってきやがって……。まあ、大喧嘩になったわけだよ」
「……ね、猫と?」
「そ。猫と。言ってもアイツ、めちゃめちゃ強いんだぜ? 普通に猪とか狩るからな。でもまあ俺だって強かったわけで……結果は引き分け。正直、ちょっと悔しかったな。腕っぷしには自信があったから」
……子供とはいえ、オーク族と引き分けられるほどの猫って、一体何者……?
「だけど楽しかった。俺は夢中になってアイツを追いかけて、何とか勝とうと毎日躍起になってたもんだよ。何も考えず、ただ自由に森を駆け回って。あの時の俺は、本当に自由だった。何者でもなく、ただありのままの自分で居られた。……だが、ある時……気づいたんだ。そんなの、意味が無いってことに」
「え。……意味が無いって……?」
ラフィールは嬉しげな表情を浮かべた直後、一つのため息をつきながら、何度かの瞬きをする。
そして今度は、何かに呆れるような表情を見せると。『やれやれ』というように首を左右に振った。
「俺は『何がしたかった』のかを、全然考えて無かったんだ。自由になって、王子を捨てて、何がしたいのか。そこん所が分からなくなっちまったんだよ。……自由に生きてどうなる? 好きに生きてどうなる? 俺は、俺は何のために生きるのかが……全く計画になかったのさ」
「……王子を捨てて、生きる理由……?」
「あの時の俺は逃げただけだ。王子っていう過去から、自分から。ただ逃げて、現実逃避したかっただけなんだ。……ガキだったんだよ、何もかもが」
「い、いや。そんなことは無いと思うけど。ラフィールは苦しんでたんだから、それは別にガキとかじゃ……」
「ガキさ。それにマサトだって居たんだぜ? 産まれてなかったとはいえ、置いて逃げたなんて。……フフ。みっともねぇよ」
ラフィールはそう言うと、また自分を嘲笑うかのように頬を緩ませた。だけどその笑顔は、いつもと違って……あまりに苦々しくて。本心から笑っているようには、とても見えない。
その代わりに、ボクはその表情を通して、ラフィールのことを少しだけ知った気がした。……ラフィールにも、弱い部分があるんだと。それでも踏ん張って、何とか今まで生きてきたんだと。
だけどそれよりも前に、ボクには知っている事があった。それは、とっくの昔に分かっていたこと。改めて言うまでもなく、ラフィールには……【それ】があった。
ラフィールを励ましたい。だけど何をどう言えばいいのかわからない。だからボクは、素直に……それを伝えてみることにした。……それが、今のボクに出来ることな気がしたから……。
「だけど……。今は、違うんでしょ……?」
「……ん?」
「前にラフィール、言ってくれたよね。王子じゃなく、一人の男としてボクを愛したいって。……今は王子を止める理由が、あるじゃん……」
その瞬間。ラフィールの腕が、僅かに震えた。だからボクはラフィールと目を合わせて、ちゃんと、自分の気持ちを言葉にした。その震えに……答えられるように。
「ボクね。……ラフィールのことが好きなんだ」
「ッ……」
「確かに馬鹿で、アホで、不真面目で……何考えてるのか分かんないとこも多いけど。でも、その。……一緒に居ると、いつも楽しい。側に居てくれると、心の奥が……暖かくなるんだ。ボク」
「……ミノル。お前……」
「でもそのラフィールは、【いつか】のラフィールが居たからこそなんだ。……ラフィールがその時に、逃げ出したからこそ。そしてそれを後悔して、今まで踏ん張って来たからこそ。……ボクは今のラフィールに、出会えたんだ」
「……」
「だからボクは、笑って欲しくない。昔の自分を笑うなんてして欲しくない。……だって、ボクは今のラフィールも、昔のラフィールも。全部好きだから。……そして、いつか……王子を止めたラフィールのことも。……好きだから……」
それがボクに言える精一杯の言葉だった。全部を知ってるわけじゃない、だから抽象的な言葉しか……言えない。
だけど辛かった。自分を嘲笑うラフィールが、後悔する姿が。だって、その時があったから……今があるのに。
笑いたくない。ラフィールの過去を。どんなものであれ、ボクは受け入れるから。ラフィールがボクを、受け入れてくれたみたいに……。
「……クク。ったく、何でおめーが泣いてんだよ」
「……えっ?」
「涙出てんぞ。……ほら、拭けよ。お前に涙は似合わねぇ」
突然差し出されたハンカチを前に、ようやくボクは自分が涙を流していたことを知る。
そして腕を辿り、ラフィールの顔を見てみると。その顔は……いつものようにニンマリと微笑んだラフィールの顔だった。
……ああ。そうだ。ボクはその顔が好きなんだ。いつもボクをからかってばかりのラフィールが、時たま見せる……その顔が。
「自分でも気が付かないくらい気張ってたんだな。……まあ、無理もねぇか。普段のおめーなら、そんな直球な言葉……言わねぇもんな」
「ん、んむっ……。違うよっ、その、こ、これは……」
「いいって。……っとに、お前は……。……どこまで俺を惹き付ければ気が済むんだ……」
「……んっ……!?」
そしてボクがハンカチを受け取り、涙を軽く拭った瞬間。ラフィールは何の前触れもなく、ボクのことを思い切り……抱きしめた。
だけどそれは、さっきの時とは全く違う、全然苦しくない抱擁。ラフィールの分厚い体が、ボクの全身を包み込むように……優しく迫ってくる。
……今までで一番強かった。だけどそれは、物理的な話ではもちろん無い。……心の問題。ラフィールの心とボクの心が、なんだか……一つになっているような気がして……。……とても、好きだ。
「ありがとよ、ミノル。……お前を好きになって、本当に良かった」
そしてボクはラフィールの胸の中で、その言葉を耳にした。だからその言葉に答えたくて、何かを言おうとしたんだけど。どうにも上手く言葉が出てこない。
だからボクは、静かに抱きしめ返した。ラフィールを強く抱きしめて、心臓の音が聴こえるくらい、胸の奥に……深く沈んだ。深く深く、更に……深くに。
……世界で一番大事な部分に、この想い出を……刻み込んだ。
ラフィールは過去の自分を嘲笑うかのように、嫌に軽快な口調で口を開いた。だけどその裏腹で、ラフィールのボクを抱く力が、徐々に強まっていく。
自然とボクは、ラフィールがこう言う事に不慣れなのだと悟った。こういう弱みと言えばいいのか、そういう部分を見せること自体に、ラフィールは慣れていないのだろう。
だからボクに出来ることは、ラフィールから離れないことだと思った。ボクは猫の後を追いながらも、しっかりとラフィールの腕の中に身を寄せて、耳を傾ける。
受け入れたかった。知りたかったから、ラフィールのことを。どんな形であれ……、受け入れられるボクになりたかった。
「ある時俺は、近くの街に遊びに出かけた。そこで何人かの人間の子供と知り合ってな。時々街に出ては、一緒に遊びまわったりしてたんだ。――そういえば、シラカと出会ったのもその時期だったか」
「えっ。あ、あの人そんな前からの知り合いなの……」
「ああ。……いや、まあその話は置いとこう。ともかくシラカと、俺と、その人間の子供同士で遊びまわる日々が続いてた。だけどある日、俺は気が付いたんだ。……奴らは、俺の金が目当てだったってな」
その瞬間。ラフィールの横顔に、僅かに影が落ちたような気がした。
「その日の俺は、財布を忘れて出たんだ。まあいいかと思って取りに帰らず、そのまま奴らに会ったんだ。そしたら財布が無いと知った途端、奴らは態度を変えたよ。急に俺を爪弾きにして、返事もしなくなりやがったんだ」
「そんな露骨に態度を変えたの……?」
「露骨過ぎだって話。昨日までニコニコしてた奴らが、急に無視してくるんだぜ? ……後で知ったんだが、俺が王子だっていうことは世間ではそこそこ知られてたらしい。だから要は、俺はただの金づるだったのさ。どうりで毎回毎回オモチャやらを買わされるわけだよ」
「毎回オモチャ!? いや、そりゃおかしいって。き、気づかなかったのそれで?」
「だから馬鹿だったんだよ。俺は。……そもそも俺は、友達が何なのかすら知らなかった。だからアレが普通なんだと信じまっててさ。本当、何やってんだろうな。俺」
その時ボクの脳裏に、ふと何週間か前のことが浮かんできた。確かあれは、初めてラフィールに本気で抱かれた直後……。
ラフィールはこんな風に言っていた。『俺に寄って来る奴は山ほど居る。だけどそいつらは、ただ『王子』って肩書に引き寄せられてるだけだ』……って。
あの言葉は、きっとこの話を思い出していたから出た言葉なんだろう。誰も、ラフィールのことを見ていなかったから。
「それから暫くして、マサトが産まれる直前のことだ。俺の周りには山ほどの馬鹿が群がってた。学校でも、街でも。父上の金を搾り取ろうと必死だったよ。……そのためなら、平気で俺と子供を作ろうとする大人だって居た。何考えてんだって話だよ。マジで」
「……」
「それにマサトを利用して、早々に金儲けの算段を企てる奴らも居てな。謁見に来る奴ら全てが、金、金、金。……あの頃の人間にとって、オーク族は。というかウチの王家は、そういう金のなる木みたいな認識でしか無かったんだ」
金のなる木。その言葉を聴いた時、ふとボクの脳裏に疑問が浮かぶ。
「……ねぇ。えっと、へ、変な意味は無いんだけど、その。あの王様って……そんなにお金持ちなの? そんな沢山の人が群がるくらい……」
「ん……まあな。元々ウチには、王が代々受け継ぐ【鉱山】があるんだ。それも世界各地に。そこから取れる宝石やら石炭やら……色々を、人間に売る形で、一族全体を養ってんだよ」
「へぇ……鉱山なんて持ってるんだ? 凄いね、なんか。全然そんな風には見えないのに……」
「まあ言っても俺等は王族だからな。そんな汗水は垂らしてねぇんだけど……。まあとにかく、それプラスで父上はそんなに欲深くねぇから、金が貯まる一方なのよ。ああいう人間は、その金が欲しくてたまらないのさ」
どうやら発端には、政治的な事も絡んでいるらしい。鉱山やらを持ってるとなると、単に友達同士だけのイザコザじゃなさそうな……。
「だからまあ、そんなわけで……。どこぞの国のお偉いさんとか来るわけだよ。美男美女を引き連れて、俺を懐柔しようと目論んだり。俺が王になることを見越して、コネを作ろうと企んだり。……疲れる一方さ」
「……」
「とにかく嫌で嫌で仕方なかった。俺はそういう生活そのものから逃げ出したんだ。だから何もかもを置き去りにして……。その時来たのが、この森だったんだよ」
そしてラフィールが、不自然に足取りを止めた時。急に森の奥から冷たい風が吹き返してきた。
直後。その風に乗って、木々の隙間を通り抜けるように……何処からともなく【霧】が姿を現す。
霧はボクらへと忍び寄り、ほんの瞬きの一瞬のうちに辺り一帯を覆い尽くしてしまい。ボクらはあっという間に、霧の中へと包み込まれてしまった。
「【惑いの森】。入る者全てを拒む、ちょっとした迷路みてぇな森だ。普通の人間が一人で入れば、一生抜け出せねぇ」
「抜け出せない!? い、いや何それっ。めっちゃ危険じゃん……!? 前もって言ってよそういうことは!?」
「安心しろって。俺らには案内人が居るだろ? ――黒猫の後を追えば、迷うことはねぇ。それがこの森のルールだ」
「ルールって……。んん……。だ、大丈夫なの本当に……」
「任せとけ。庭だって言っただろ、この辺は。仮に黒猫を見失っても、俺が側に居れば何も問題はねぇよ。……さ、行くぜ」
ラフィールは黒猫を辿るように、霧の中を悠々と突き進む。ボクは慌てながらも、ラフィールの胸にしがみつきながら、その歩幅に合わせて何とか歩く。
その最中でボクは、『こんな場所一人で来たくない』と思った。ラフィールが居るから、こんな無謀みたいな馬鹿な真似も出来るわけで。
だけど昔のラフィールは、一人でここに来た。……家出をするにしては、ちょっと危な過ぎる気がする。
「とにかくそういう事も色々あって、あの頃は反抗期真っ只中だったわけだ。だから親への反発……みたいな意味もあって、ここに来たんだよ。この森は立入禁止だって何度も聞かされてたからな」
「いや、そりゃ反抗するだろうけど……。無茶し過ぎだよそれ。怪我したらどうすんの……」
「そこまで頭が回らなかったのさ。んで、案の定迷子になって。何日かは森ン中を彷徨い続けた先で……。【アイツ】に出会ったんだ」
『――ニャォゴ……』
「脅すような声で鳴かれたのを、よく覚えてるよ。好き勝手に森の中を歩き回る俺が、気に食わなかったんだろうな。アイツは全身の毛を逆立てながら、俺の前に立ちはだかってきやがって……。まあ、大喧嘩になったわけだよ」
「……ね、猫と?」
「そ。猫と。言ってもアイツ、めちゃめちゃ強いんだぜ? 普通に猪とか狩るからな。でもまあ俺だって強かったわけで……結果は引き分け。正直、ちょっと悔しかったな。腕っぷしには自信があったから」
……子供とはいえ、オーク族と引き分けられるほどの猫って、一体何者……?
「だけど楽しかった。俺は夢中になってアイツを追いかけて、何とか勝とうと毎日躍起になってたもんだよ。何も考えず、ただ自由に森を駆け回って。あの時の俺は、本当に自由だった。何者でもなく、ただありのままの自分で居られた。……だが、ある時……気づいたんだ。そんなの、意味が無いってことに」
「え。……意味が無いって……?」
ラフィールは嬉しげな表情を浮かべた直後、一つのため息をつきながら、何度かの瞬きをする。
そして今度は、何かに呆れるような表情を見せると。『やれやれ』というように首を左右に振った。
「俺は『何がしたかった』のかを、全然考えて無かったんだ。自由になって、王子を捨てて、何がしたいのか。そこん所が分からなくなっちまったんだよ。……自由に生きてどうなる? 好きに生きてどうなる? 俺は、俺は何のために生きるのかが……全く計画になかったのさ」
「……王子を捨てて、生きる理由……?」
「あの時の俺は逃げただけだ。王子っていう過去から、自分から。ただ逃げて、現実逃避したかっただけなんだ。……ガキだったんだよ、何もかもが」
「い、いや。そんなことは無いと思うけど。ラフィールは苦しんでたんだから、それは別にガキとかじゃ……」
「ガキさ。それにマサトだって居たんだぜ? 産まれてなかったとはいえ、置いて逃げたなんて。……フフ。みっともねぇよ」
ラフィールはそう言うと、また自分を嘲笑うかのように頬を緩ませた。だけどその笑顔は、いつもと違って……あまりに苦々しくて。本心から笑っているようには、とても見えない。
その代わりに、ボクはその表情を通して、ラフィールのことを少しだけ知った気がした。……ラフィールにも、弱い部分があるんだと。それでも踏ん張って、何とか今まで生きてきたんだと。
だけどそれよりも前に、ボクには知っている事があった。それは、とっくの昔に分かっていたこと。改めて言うまでもなく、ラフィールには……【それ】があった。
ラフィールを励ましたい。だけど何をどう言えばいいのかわからない。だからボクは、素直に……それを伝えてみることにした。……それが、今のボクに出来ることな気がしたから……。
「だけど……。今は、違うんでしょ……?」
「……ん?」
「前にラフィール、言ってくれたよね。王子じゃなく、一人の男としてボクを愛したいって。……今は王子を止める理由が、あるじゃん……」
その瞬間。ラフィールの腕が、僅かに震えた。だからボクはラフィールと目を合わせて、ちゃんと、自分の気持ちを言葉にした。その震えに……答えられるように。
「ボクね。……ラフィールのことが好きなんだ」
「ッ……」
「確かに馬鹿で、アホで、不真面目で……何考えてるのか分かんないとこも多いけど。でも、その。……一緒に居ると、いつも楽しい。側に居てくれると、心の奥が……暖かくなるんだ。ボク」
「……ミノル。お前……」
「でもそのラフィールは、【いつか】のラフィールが居たからこそなんだ。……ラフィールがその時に、逃げ出したからこそ。そしてそれを後悔して、今まで踏ん張って来たからこそ。……ボクは今のラフィールに、出会えたんだ」
「……」
「だからボクは、笑って欲しくない。昔の自分を笑うなんてして欲しくない。……だって、ボクは今のラフィールも、昔のラフィールも。全部好きだから。……そして、いつか……王子を止めたラフィールのことも。……好きだから……」
それがボクに言える精一杯の言葉だった。全部を知ってるわけじゃない、だから抽象的な言葉しか……言えない。
だけど辛かった。自分を嘲笑うラフィールが、後悔する姿が。だって、その時があったから……今があるのに。
笑いたくない。ラフィールの過去を。どんなものであれ、ボクは受け入れるから。ラフィールがボクを、受け入れてくれたみたいに……。
「……クク。ったく、何でおめーが泣いてんだよ」
「……えっ?」
「涙出てんぞ。……ほら、拭けよ。お前に涙は似合わねぇ」
突然差し出されたハンカチを前に、ようやくボクは自分が涙を流していたことを知る。
そして腕を辿り、ラフィールの顔を見てみると。その顔は……いつものようにニンマリと微笑んだラフィールの顔だった。
……ああ。そうだ。ボクはその顔が好きなんだ。いつもボクをからかってばかりのラフィールが、時たま見せる……その顔が。
「自分でも気が付かないくらい気張ってたんだな。……まあ、無理もねぇか。普段のおめーなら、そんな直球な言葉……言わねぇもんな」
「ん、んむっ……。違うよっ、その、こ、これは……」
「いいって。……っとに、お前は……。……どこまで俺を惹き付ければ気が済むんだ……」
「……んっ……!?」
そしてボクがハンカチを受け取り、涙を軽く拭った瞬間。ラフィールは何の前触れもなく、ボクのことを思い切り……抱きしめた。
だけどそれは、さっきの時とは全く違う、全然苦しくない抱擁。ラフィールの分厚い体が、ボクの全身を包み込むように……優しく迫ってくる。
……今までで一番強かった。だけどそれは、物理的な話ではもちろん無い。……心の問題。ラフィールの心とボクの心が、なんだか……一つになっているような気がして……。……とても、好きだ。
「ありがとよ、ミノル。……お前を好きになって、本当に良かった」
そしてボクはラフィールの胸の中で、その言葉を耳にした。だからその言葉に答えたくて、何かを言おうとしたんだけど。どうにも上手く言葉が出てこない。
だからボクは、静かに抱きしめ返した。ラフィールを強く抱きしめて、心臓の音が聴こえるくらい、胸の奥に……深く沈んだ。深く深く、更に……深くに。
……世界で一番大事な部分に、この想い出を……刻み込んだ。
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