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終章

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 榊葉桔梗と東雲あんずは、ともに行方不明として扱われた。
 警察の捜査により、二人とも桂木寺の深見山に登ったことが判明し、山狩りが行われたが、行方不明者の発見には至らなかった。近隣住民(特に高齢者)が神隠しの再来だと騒いだのも無理からぬことであった。そもそも深見山は遭難できるほど大きな山でもないのだ。
 失踪した少女のうち、榊葉桔梗の方は、地元では才色兼備の有名人であったから、神隠しと関連付けられて少しだけ世間を賑わした。しかし、同時期から発生し始めた連続猟奇殺人事件にかき消されてしまった。
 この事件のインパクトは抜群だった。なにせ被害者は皆、獣に襲われたかのように体を食われているのだ。しかも、三、四日に一度という恐ろしいハイペースで発生するのだから、常にセンセーショナルな情報に飢えているマスコミにとっては、犯人は神様みたいなものだったろう。
 八月三十一日現在、被害者の数は九人にものぼっている。犯人は移動しながら犯行を行っていて、桂木町から徐々に都心へ……三日間の事件は松元町で起きている。
 ちなみに、松元町とは榊葉桔梗と東雲あんずが住んでいた街なのだが、二人の失踪と件の殺人事件を結び付けて考える者などいるはずもなかった。


 榊場桔梗を食らってから一月余りが経った。
 自棄のように人間を殺して食らっている。男も女も隔てなく。昔はこんなに暴食ではなかった。数ヶ月から一年に一度の食事で、私には十分な栄養だった。いや、今だって滋養という意味では満ちている。
 だのに、いくら食っても充たされない。
 あの館で、榊葉桔梗を食い殺した時のような……脊柱を芯から震わせる快楽。あの娘のような逸材を探し求め、手当たり次第に殺して食うが、全て徒労に終わっている。あの時の破滅的な予感は、現実になろうとしていた。
 山を降り、町を渡り、街に来ていた。ここは榊葉桔梗の故郷だ。足が私を勝手に運んだのは、あの娘の生まれた街ならば、彼女に類する獲物が見つかるかもしれないというズレた期待を抱いているからだろう。
 まず食らうべきは、榊葉桔梗の親だ。大丈夫、家の場所は知っている。今すぐにでも食いたいが、昼のうちに動くのは拙い。騒ぎになれば警察やらなんやらに見つかる可能性がある。最悪、全員殺してしまえばよい話ではあるが、面倒ごとは避けられるなら避けたほうがいい。大人しく夜の訪れを待つ。
 もっとも、母親などという旬の過ぎた肉で満足などできそうもないと、今の時点で察しはついているのだが……もはやそれしか寄る辺はない。
 太陽はまだ高い。灰色の道は熱気に揺れている。されど、私は汗をかかない。夏の終わりに怯える太陽の悪足掻きのようで、むしろ寒々しかった。 
 夜が訪れるまでの時間潰しに、榊葉桔梗の学校に向かった。彼女の学校は進学校であるから、自習室がわりに夏休み中も教室を開放していることを知っていた。
 教室の戸を開けるが、自習している生徒は一人もいなかった。高校三年生ならいざ知らず、二年生は実質最後の夏休みを楽しみ尽くすので手一杯らしい。
 私は榊葉桔梗の机に向かい、彼女の席に座ろうとしてやめた。
 座るのは、榊葉桔梗の一つ前の席。
 そこから、じっと、背後の席を見る。
 この景色は、記憶ではなく知識として、とても見覚えがあった。
 東雲あんずはいつだってここから榊葉桔梗を見つめていた……。
 彼女の知識を呼び起こす。そうすれば、我楽多の恋心が蘇り、私の不充分が少しはマシになるかと思った。だが、知識は所詮知識であって、何の感慨も抱かせてはくれない。砕けた仮面が元に戻ることはなかった。
 それでも、どうしてか長い間、榊葉桔梗を幻視していた。
 やがて日が低くなり、朱色が教室を染め上げる。いつか、東雲あんずの胸を締め付けた夕焼けも、今の私の体には沁みたりしない。
 赤の夕日が、諦観のような紫に変わりつつある。私もこれ以上は無駄と諦めて、席を立った。
 その折に、腕に何かが触った。
 着物の袖の中に何か入っているようだ。
 ――取り出せば、枯れ花であった。
 最初はそれすら判然としなかった。萎びた茎の先に、腐った肉のようなものがしな垂れているだけであったから。元の花なぞ判る筈もない。
 いつのまにこのようなものが袖に入ったのか。されど、自然に……何かしらの偶然で迷い込んだものとは思えなかった。もし、そういうことがあるのならば、入り込むのは花の部分だけだろう。茎と花が揃っておるのは、まるで何者かが手折ったようであった。まあ、どうでもよい。
 なんであれ、薄汚い芥に過ぎぬ。
 私は枯れ花を放った。芥は寄り添うように榊葉桔梗の机に落ちた。ただそれだけが、私にはなんとも理解しがたい光景であった。
 ちょうど日が沈んだ。
 頃合いだと、私は教室を後にする。
 飢えた体を引きずる。鉛のように重く、今から食いに行く肉にまるで期待していないのがわかる。
 夏が終わり、新たな季節が巡り出そうとしていた。

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