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9. 浮かぶ真実

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「おい~、遅かったじゃねぇかよぉ」


 祠の近くの道路にしゃがみ込む久が、手を振って合図してくれた。その手には2つに折り曲げられたこっくりさんの紙が大事そうに握られていた。


「おい……明美は?」


 久は固くなった表情でキョロキョロと私たちの周りを見渡した。


「ごめん、それが……色々あって見逃した……」

「は?」


 久はいきなり立ち上がり、達也の胸ぐらを掴み振り回した。


「どういうことだよ!見逃さないように着いて行ったんじゃねぇのかよ!明美どこだよ!」

「久くん、やめて!」


 その騒ぎを聞きつけたのか、少し離れた場所に車を止めていた狩野さんが小走りでこちらに近づいてきた。


「おい、お前達!喧嘩しててもどうにもならんだろ!早く友達を探しに行くぞ!」

「何だこの爺さんは。明美のこと知ってんのか?」

「明美ちゃんの居場所が分かるかもしれないって、協力してくれることになったの。これから海に向かうの。久も一緒に探してほしい」

「早く行くぞ!」


 私たちは自分たちの車に乗り込み、狩野さんの車の後を付けて行った。海に着くまで終始久は落ち着かず、癖の貧乏ゆすりが激しくなっていた。

 海に近づくに連れ、今まで感じたことのない纏わり付くような視線と気配を四方八方から感じた。浜辺の周辺に着くと狩野さんの車が止まったため、私たちも近くに車を止めて降りた。肌にベタつくような湿気と、磯の香りが鼻に付く。


「この近くの崖に空洞があるんだ。そこにもあの祠と似たような供養塔が建てられてる。造られたのは戦後だが、こっちの方が気配がすごいだろう。みんな母親の帰りを待ってるんだ」


 狩野さんが説明した通り、崖下に大きな空洞ができている場所があった。


「暗いから気をつけろよ」


 私たち3人は、空洞の中を手分けして探した。


「明美!どこにいるの!」

「おい!明美!」


 探し始めてから30分以上が経った。どんどん奥に進むに連れ、地面に転がっている石が大きくなっていき足場が悪くなる。とうとう私たちは行き止まりに差し掛かってしまった。


「いねぇのか?」

「ここだよ……」


 右奥から弱りきった女性の声が聞こえた。私が懐中電灯を照らすと、そこには泥まみれになった明美が蹲っていた。


「明美……」


 久が急いで駆け寄った。腕や足に軽い擦り傷を負っていたが、体調に問題はなかった。憑依状態ももう治っているようだ。


「ごめんね、明美……置いて行ったりなんかして……」

「私………何が起きたか、覚えてないの……。気がついたらここにいて……。また、入られたのかな?」

「やっぱり狩野さんの言った通りだったな」


 達也が灯りを明美の背後に照らすと、そこには祠よりも一回り以上大きな供養塔が佇んでいた。


「これが、狩野さんが言ってた供養塔か……」

「花が添えられてる。ここの人が毎日来るのかな」 


 供養塔には文字が書かれていた。崩字で達筆であったが、よくその文字を見ると文末に「神」という文字があった。


「待って……。普通、供養塔に「神」なんて文字書く?なんか、変じゃない?」    

「あぁう……うぁー」


 私たちの背後から、完璧に赤ん坊と思われる声が聞こえてきた。祠の近くで聞いたものとは質が違い、すぐ真後ろにいるような大きさである。

 私たちはお互い顔を見合わせ、ゆっくりと後ろを振り向く。


「きゃあっ!!」


 明美が尻餅をついた。そこには、肌が鼠色に変色し、顔が腐って崩れかけた汚れた赤ん坊が四つん這いで迫ってきていた。
 

『ペチャ……プチャ……』


 動く度に気持ち悪い音を立てながら、赤ん坊はどんどん距離を詰めてくる。


「やめろ!」


 入り口の近くかから、狩野さんの声が聞こえた。彼は小走りで足場の悪い岩の道を通り、私たちを助けにきてくれた。赤ん坊の姿を見た瞬間、紫色のライトのようなものを照らした。


「ギャァァァァァァッ!」


 そのライトに照らされた赤ん坊が、悲鳴をあげ遠ざかっていった。


「いい加減にするんだ。もうこんなことやめよう、紗那さな

「紗那?この子のこと?」


 狩野さんは、聞いたことのない人物の名前を呼んだ。この赤ん坊の正体は、狩野さんが知っているのだろうか。 


『ゴボゴボゴボゴボ』


 突如、悲鳴をあげて蹲っていた赤ん坊が変形し、体をくねくねさせながら大きくなっていった。しばらくするとその赤ん坊は、成人の若い女性の姿に変身した。女性は俯いたまま静かに泣いていた。

 
「どうして……どうしてみんな酷いことするの?」


 紗那と呼ばれた女性は、その整った顔をまじまじと見ていた私に気が付き、柔らかく微笑んだ。


「私の子……おいで……。一緒に帰ろう」


 紗那は唐突に私の方に手を差し伸べてきた。危うくその手を取りそうになったが、狩野さんが彼女の手を払い除けた。


「違う!恵さんはあなたの子供じゃない!」


 狩野さんが声を荒げる。なぜ、私を自分の子供だと思っているの分からなかった。紗那は狩野さんの方を見て、黙ったまま不満気な表情を浮かべた。


「紗那……。もう君の子供はいないんだ。ここにはいないんだよ!もう死んだんだ」

「狩野さん、何で紗那さんは私を自分の子供だと思ってるの?」


 狩野さんは一瞬答えるのを躊躇したようにも見えた。


「生き残りがいるんだ……。籠女が生み出した赤ん坊が。彼女に拐われそうになったところを、間一髪で救い出した男がいたんだ。人間でもなく、化け物でもない子供が生まれた。その子供はやがて、能力者と言われて記事にもされていた。その能力者は、川鵺静子しずこ。君のおばあさんの苗字をどこかで聞き覚えがあった。紗那は、君たちを自分の子供だと信じてずっと探していたんだ」


 私たちは狩野さんの話を聞き愕然とした。人間と海の化け物の間に子供が生まれるなど、俄かに信じがたいことであった。


「籠女は、紗那を含めて海で死んでいった者たちの念の塊が生み出した怪異だ。海から戻ってくる女はその怪異が実体化したもの。念の塊だよ。俺たちの先祖は、それを慰めて神として祀ってやることしかできなかった。生き残った子の子孫のためにも、厄介ごとを起こさぬようにとな。長年、俺はこの怪異について調べていた。どうすれば止めることができるのか」

「じゃあ、彼女は紗那さんであり、籠女でもあるということか」

 
 達也が私の顔を見て何かを悟ったのか、私の前に立ち塞がった。


「恵……。俺は何があっても、お前が何であっても、俺はお前といたいんだ。だから渡さない……。恵は俺たちと同じ人間なんだ」

「何のこと……?」

「もしかして、恵ちゃんの先祖って……」

「ここまでオヤジがフラグ立てといてわかんねぇのか。つまり、恵の先祖がコイツってことだろ?コイツが生み出した赤ん坊の子孫がお前。だから、人並外れた霊能力を持ってた。そうすれば全て辻褄が合う。コイツがお前のことを連れて行きたがってるのも」


 話が入ってこなかった。私が人間ではないというのだろうか。でも、もしそうなのであれば、私のこの呪われた力の存在理由も容易く説明できた。しかし、当然簡単には受け入れられず、久の言葉の中から反論できる材料を探っていたが、考えるうちに「真実」という言葉以外に言い表せなくなっていた。その瞬間、私は膨大な喪失感を覚えた。
 

「私は……化け物……」

「違うよ恵さん。君はこの世界に生きてる。人間だ。君のおばあさんも、お母さんも、みんな……。化け物なんかじゃない」


 紗那は微笑みながら私の元へ歩み寄ってきた。私は避けることもせずその場に立ち尽くした。
 

「お母さんと一緒に、帰ろう?」

「返してよ……」


 私は掴もうとする紗那の手を叩き、彼女の肩を掴んで強く揺さぶった。


「おばあちゃんを返してよ!おばあちゃんは私の家族だった!大切な人だった!もっと一緒にいたかったのにっ……」


 私は溢れてくる感情を抑えられなかった。涙が止まることなく流れてきた。おばあちゃんの命を取ったのはこの女だ。おばあちゃんは、紗那の呪縛を解いて欲しくて私の前に現れた。母には知識が浅い故にその理由が分からなかったのだろう。


「やめて……やめてよ……」


 予想外の私の反応に戸惑いを見せたのか、紗那は声をあげて泣き始めてしまった。すると突然、目の前に白黒の映像が映し出された。紗那ともう1人若い男性がおり、家の中で生まれたばかりの赤ん坊を抱いてる風景であった。紗那は白い布に包まれた赤ん坊を抱きながら、幸せそうに微笑んでいた。だが、男性の表情は固く、何か思い詰めているようだった。

 場面が切り替わり、次は彼女が忙しなく何かを探している風景が映し出された。外の窓から、その背中を目で追う同じ男性がいた。恐らくこの子の父親なのだろう。彼の腕にはあの赤ん坊が抱かれていた。彼女が気づかないうちに、男性は赤ん坊を抱いたまま家を出て行った。

 最後に映し出された光景は悲惨なものであった。断崖絶壁から飛び降り、海に沈んでいく彼女の姿が見えた。最後まで息ができず、窒息しそうであった。

 息苦しさと共に激しい頭痛がして、私は彼女の肩から手を離した。


「見つからなかったんだね……赤ちゃん」


 私が声を沈めてそう言うと、紗那はゆっくりと頷いた。


「それで、あなたは死んだ。あの海で……。全てに絶望して、あなたは人を怨んだ。そして、化け物になったの。自分が経験した苦しみを分からせるために、私たちのような子を産んで、拐って、人を絶望に陥れた。それを繰り返していくうちに大きな怨念が生まれた。それが籠女の正体……。でも、あなたを止めたい人たちがいる。今まで間引きされてきた子供達が……。あの子たちが教えてくれたの。勿論、彼らには悲しみがあったけど、あなたみたいに怨んではなかった。でも、あなたは彼らまでも自分のものにした。みんなくっつけて、色んな怪異を生み出したのね」


 紗那は私の前で崩れ落ちた。そして、今までとは桁違いの勢いで激しく泣いた。ふと彼女の後ろを見ると、父の部屋で見たのとそっくりな籠が置かれていた。大きな岩の影になっていたため、今まで誰も気が付かなかった。だいぶ年月が経ち劣化していたものの形は残していた。私は恐る恐るその籠に歩み寄って、蓋に手をかけた。そこに入っていたのは、既に白骨化している赤ん坊の亡骸だった。

 私はその籠を抱き抱え、紗那に見せようとした。


「この籠……私の……赤ちゃん……」


 紗那は振り返ってその籠に気付き、一瞬で満面の笑みを見せた。あの父親はこの子を捨てられなかったのだろう。だから、この洞窟に置き去りにした。誰かが気付いて拾ってくれると思って。だが、それも虚しく、赤ん坊はこの場所で息を引き取った。それから誰にも見つかることなく時間だけが過ぎていったのだ。

 私はその籠を紗那に渡した。


「いい子ね……よしよし」


 彼女は大事そうにそれを抱き、もう二度と動くことはない亡骸をあやしていた。彼女には普通の赤ん坊に見えているのだろう。


「見つかって、よかったね……」

「うん……。お家に帰ろうね……ゆきちゃん」

 
 紗那は立ち上がり入り口の方へ向かった。既に外は日の出を迎えていた。眩い日光が洞穴の内部を照らした。そのまま立ち去るかと思いきや、彼女は足を止めて私たちの方へ振り向きお辞儀をした。私たちも彼女にお辞儀を返した。顔を上げると、既にそこに彼女の姿はなかった。


「さぁ、ひとまず仕事終わったし、帰ろうか……」


 達也が私の肩を支え、久は怪我した明美をおぶって洞穴を出た。


「ねぇ……あれ……」


 明美が何かに気づいたのか、海岸の方を指さした。そこには、汚れて黒ずんだ着物を着たままの白骨化した遺体が横たわっていた。一目見て、すぐにその遺体が誰のものか判断できた。この夜明けまでのうちに打ち上げられてきたのだろう。長い時間が経っても骨がバラバラになることなく、それはしっかりと人の形を留まらせていた。普通ならば水圧や波で骨が砕けてしまう。海の底に沈んだ子供達がひとつずつ寄せ集めてくれたのだろうか。


「さっきまではなかったよね」

「沙耶さんだ……。この着物」


 私たちは彼女の周りにしゃがみ、手を合わせた。


「一応、警察に連絡を入れたほうがいいだろう。君たちは、とりあえず私の家まで行けるか?これ、携帯の電話番号。何かあったら連絡くれ」

「分かりました、ありがとうございます」


 私たちはその場を後にし、自分たちの車で狩野さんの自宅へ向かった。


 
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