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3. 墓荒らし

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『あ、恵?今どこにいるのよ。もう夕飯の支度できてるわよ?あんたもこれからシフト入ってるんでしょ?」

「ごめん、お母さん。今日遅くなるわ。バイトは交代できる子探したから。ちょっと……おばあちゃんがね……」

「おばあちゃん?」


 祖母の話をした途端、スマホの向こうにいる母の声のトーンが下がった。私が向かった場所は、祖母の墓があるお寺だった。夕暮れで間も無く陽が落ちるという時に、墓地にいることを母に知られたくなかった。

 祖母は5年前に死んだ。自宅の浴槽で孤独死していた。私たち家族とは別居しており、発見まで2ヶ月以上も経っていた。当時は真夏で、見つかった時はほとんど腐乱していて顔だけでは性別が判断できない状態であった。

 葬儀の時、私は両親に連れられて葬儀に参列した。当然、顔を見ることはできずに火葬された。祖母は伊豆に生まれたが、幼い頃に村が戦火を浴び疎開。九州地方を転々としていた。終戦後戻ってきた時は焼け野原だったという。高度経済成長期に東京に落ち着き、母が生まれた。それから村は復興の目処が立たずに廃れ、今は知る人ぞ知る怪談に出るくらいだけの存在となった。

 もうすぐ祖母の命日。私が大学に入学してから、家族3人が食卓に揃うことはほとんどなくなった。私は学費を稼ぐためにバイトを掛け持ちし、父も出張や創作活動などで忙しい日々を送っていた。そんなこんなで、ここ数年お墓参りに行けていなかった。祖母はこの事で怒っているのだろうか。


『ねえ、恵……。あなたも感じるの?』

「え……どういうこと?」

『足音するんでしょ?ぴちゃ、ぴちゃって……』

「お母さんも聞いてたの?何でもっと早く言ってくれなかったの?」

『怖がらせたくなくて……。今、色々大変だと思って。ねぇ、その音いつから聞こえる?」


 偶然母も同じ音を聞いたらしく、同時に祖母が気に入っていた香の匂いが漂ってきたという。私が食堂で体験したことと同じことが母の身にも起きていたようだ。


「今日が初めて……。お母さんは?」

『実は、亡くなってから何回も……。でも、おかしいわよね。恵の方が一番感じやすいのに、何で今頃になって……」


 最新の現象が起きたのは母が先だったようだ。祖母が何かを伝えようとしている。そんな予感がして、不安が頭から離れなかった。意を決して、母に真実を伝えなければならないと思った。


「今ね、おばあちゃんのお墓の近くにいるの」

『え!? 恵、こんな時間に何でそんなところにいるの?大丈夫なの?』

「おばあちゃんからもらったお守りがあるから大丈夫だと思う。それでね、今度の心スポ巡り、伊豆になったの……。おばあちゃんが住んでた村の跡地に行くことになった。ごめん、友達がどうしても行きたいって言うから、断れなかった……。でも、絶対に海には行かないから。これだけは約束します」

『まったく……分かったわ……。でも、絶対に巻き込まれるのだけは勘弁だからね。恵、色々と連れて帰って来やすいから。何かあったら、そこのお坊さんにお祓いしてもらいなさい。いいわね?』

「うん……じゃ、切るね」


 ここのお寺のお坊さんとは知り合いだった。よくお盆になるとこのお寺のお坊さんが、祖母の家にある仏壇の前でお経を唱えてくれたのを覚えている。そして、今は心スポ巡りの後の行きつけのお祓い場となっていた。

 私は恐れ恐る寺の門を潜った。電灯が本堂を照らしている。


『ザッザッザッザッ』


 ふと何かを擦るような音が右側から聞こえた。その場所を見ると、二階建ての戸建ての付近で箒で掃除をしている中年くらいのお坊さんがいた。


「あの……こんばんは」


 私の声に気がつくと、彼はにこやかに笑いながら会釈をした。私もそれに釣られてお辞儀を返した。


川鵺かわぬえさんのところのお孫さんでしたかね?お久しぶりです。もう暗くなってきてますし、ここで話すのも何なので、どうぞ中へ」

「ど、どうも…………」


 彼は私をすんなりと建物の中に通した。そこはお坊さんの家族が生活していた場所であった。今は違う場所に住んでいるらしく、お坊さんだけの休憩所となっていた。


「毎年色んな方が来られますから、旅行後のお祓いとか言って。もう、体が覚えてしまって。こうして掃除してないと気が落ち着かないんですよ。夏になると、この時間帯にお祓いに来る方がたまにいるんです……。できれば、変なところには行って欲しくないのですが……。そういえば、最近お見かけしませんでしたね。当分、お墓参りにも来られていないようで……。いつも私が代理でやらせて頂いてますが、せっかくなので後でお線香あげにいきますか?」

「あぁ、はい。帰りにあげていきます。実はお話があって……。その祖母のことなんです……。ちょっと、信じられない話かもしれませんが……」


 夕暮れ時にお寺に来ることは滅多になく、その不安からか手汗が酷くなった。廊下を進むと来客用の部屋に案内され、その窓からは墓石が並ぶ光景が目に見えた。


「寺の敷地内に家を建てることは家内にも反対されましてね。息子が今5つなのですが、変なものが見えるって言い始めてね。それで、家族は今普通の住宅街に住んでます。忙しい時はここで寝泊まりしてます。で、話って……」

「お坊さんは、私たちのことどれくらい知ってますか?私、家系が……その……さっき仰られた息子さんのように、見えるんです……。祖母も母も……。それで、母が亡くなった祖母の気配を感じてるようで。私も、今日大学内で祖母が愛用していたお香の香りを嗅いだんです。そのお香、祖母が亡くなってから捨ててしまって、もう持ってないんです。なので、自宅や大学でその匂いがするのは変だなって思って……。それで、その匂いがする前に必ず足音がするんです。濡れた感じで、ペチャっていう音が何回か」

「足音……ですか。なるほど……。いくつも心霊現象の相談に乗っていますが、ご家族が同時に同じ体験をするという話はあまり聞いた事がないですね。もしかしたら、先祖代々持っている「霊感」がそうさせているのかもしれませんね。あなた確か、恵さんでしたよね。我妻 恵わがつま めぐみさん」

「はい、そうですが」

「実は……私も困ってたことがありまして、我妻さんのところなら何かわかるかもしれません」


 私がそう返事をすると、お坊さんは表情を硬くして私の顔を見ていた。


「5年ぐらい前でしたかね。度々川鵺さんのお墓が荒らされましてね。今回もやられてしまって……。恐らく誰かの悪戯だとは思うのですが、そのやり方が尋常じゃなくて、警察に提出するために一応証拠の写真を撮っておいたんです」


 お坊さんは私に一枚の写真を見せて来た。泥のような黒ずんだ手形が墓石のあちこちに付いており、線香の火も水で消えていたという。墓の付近も水浸しになっており、この写真を撮る前日に添えた花も一晩の内に腐ってしまったという。


「手形はともかく、花が一晩の内にこんなに黒くなるまで腐ることなんてないと思うんですよ。それで、この水なのですが、塩の匂いがするんです。恐らく海水ではないかと思います。我妻さんのご自宅にもご連絡を差し上げたのですが、これが始まった時からずっと繋がらない状態になってて、ご連絡を差し上げられなかったんです」

「そ、そうなんですか……。両親はお墓に関しては何も……。電話は普通に繋がってると思うんですけど……」

「そうですか……」


 私はある違和感を感じていた。母はしょっちゅう学生時代の友人と飲みに行くことが多く、電話もしたりするのだが、今まで特に電話の調子がおかしいということはなかった。だが、お坊さんが言うには私の自宅だけ電話がかからなかったのだと言う。さらに、現象が起きた時期と、電話が繋がらなくなった時期がちょうど重なる。

 
『プルルルルルル、プルルルルルルル』

「電話だ……」


 その直後、固定電話から着信が入った。お坊さんは立ち上がって、白い電話の受話器を取る。


「もしもし……もしもーし……。あれ?おかしいな……もしもし?」


 気にしないようにしていたがどうしても気になってしまい、お坊さんの方に目を向けた。電話の相手は一向に出てこないようだ。


「悪戯なら切りますけど」

『ピトッ、ピトッ』


 その時、受話器の話口から、水が垂れていることに気がついた。その水は彼の足元に徐々に水溜まりを作っていく。


「あ、あの……」


 無視できなくなった私は、お坊さんに声をかけた、その時だった。


『グポッ……ジョロジョロ』

「うわぁっ!!」


 水の勢いが激しくなり、その音でお坊さんは受話器を放り投げた。その後もビチャビチャと音を立てながら水が流れ出ていた。


「何だ……これは……」

「お坊さん、これ……」


 私はその水溜りの中に数本の長い髪の毛が浮かんでいることに気がついた。そして、部屋には微かな磯の香りが漂っていた。


「これ、この電話から……?」

「やっぱり………この家系はここに入れちゃいけなかったんだ……帰れ……」

「お坊さん?」


 お坊さんは、急に手のひらを返したかのように態度が変わった。私のことを避けているようだった。


「線香はあげなくていい!早く、ここから出て行け!!お前たちは、呪われてるんだ!」

「わ……わかりました……。失礼します……」

 
 あまりにも急な出来事で思考が追いついていかなかった。ただ、私は彼の言われた通りに指示に従うしかなかった。あたりを見渡せば、すっかり陽が落ちていた。急いで最寄駅の電車に乗り、訳もわからず帰路についた。

 

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