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3章 血染めの髑髏
10 星の導き
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夜になった。
増蔵の行きつけの賭場は、景司にも馴染みの場所になっている。
パーっと行くか、と増蔵が言うのはここのことだ。
伊織も一緒に行く。
「おい、お前ら絶対蔭間茶屋の仲間やろ」
「違うって」
「じゃあ、なんなんや」
「それは、ええっとー・・・」
何て答えていいかわからない。
伊織は黙って微笑するだけだ。
「とにかく仲間だから。腕が立つし、足手纏いにはならないから」
「はいはい。好きにしろや」
子供扱いされるのはいつものことで、頭をぽんぽんされて歩き出す。
数ヶ月前まで時が巻き戻ったような気がした。
賭場に近づくと、中から、いつにも増して激しい怒号が聞こえてきた。
「やっとるなあ」
増蔵が動じることなく入っていく。
中はだいぶ混乱していた。
熊のような大男が一人で暴れていた。
「兄貴、いいところへ!」
増蔵を見つけた若い衆が声をかけてきた。
「あれ? 久しぶりやなあ、景さん」
景司にも声がかかる。
「誰か、こいつを止めてくれ!」
賭場の元締が隅の方に避難しながら喚いている。
力士崩れだとすぐにわかる凄まじい張り手と突きが、男たちを薙ぎ倒し、帯を掴まれた者は、軽々と投げ飛ばされた。
刃物も役に立っていない。
皮膚を傷つけられて流れた血が、余計に大男を逆上させ、手がつけられなくなっている。
周りに相手をする者がいなくなり、新たな敵を求めて顔をめぐらす。
牙を剥くように、歯を剥き出しにして吠えた。
「おい、まずいぞ」
こちらに向かって突進してくる。
増蔵はたまらずに脇へ逃れたが、景司は立ったまま動かない。
熊が景司めがけてぶつかっていく。
強烈な張り手が繰り出されようとしていた。
張り倒される寸前、目が合った。
次の瞬間、どっと倒れたのは、熊の方だった。
何が起こったのかわからず、しんとなった。
沈黙を破ったのは、うつ伏せに倒れたままの大男の泣き声だった。
暴れ方も派手なら、泣き方も派手だ。
「おれは、何も・・・」
みんなが、驚いて見てくるので、慌てて手を振った。
後ろへ少し下りはしたものの、大男が勝手に倒れたのだ。
悔し泣きではないことが、間もなく、独り言のような呟きから判明した。
「神様のお引合せや。・・・ああ・・・こんなことって・・・あああ」
嗚咽が混じって、わけがわからない。
倒れたまま、両手を合わせて拝んでいる。
「夢とちゃうか?・・・めえ開けたら、消えとるんちゃうか・・・」
這うように近づいて、にじり寄り、大きな手で、ガッチリととらえられた。
涙と血と汗とが混ざってぐしょぐしょになった顔を、ぐっと近づけた。
その中の細い目が、精一杯見開かれる。
「やっぱりそうや! 若さまや! 若さまがいらしたのや! ・・・お殿さまのお導きや!」
わーっとまた泣き出した。
顔を胸に押し当て、両腕は景司を支えるようにして抱きしめている。
「こいつ、知り合いか?」
増蔵が気の毒そうに聞いてくる。
「いや、知らない」
答えながら、血の気が引いていく。
この男も、光徳院さまに惚れ込んだ一人なのだ。
「えらいすまんな。おかげで助かった」
元締が言い、若い衆が大男の襟を掴んで引き離そうとした。
これから死ぬほど痛めつけられるのだ。
賭場をめちゃくちゃにしておいて、ただではすまない。
「ちょっと待って」
景司が止めた。
「何をやらかしたんだ?」
「それが、いきなり、イカサマやって叫んで、暴れ出したんで」
「常連?」
「いや、今日初めての野郎で、こっちも訳がわからん」
おそらく負けが込んでかっとなったんだろう。
「少しだけ待ってくれないかな。話がしたい」
悪いやつではなさそうで、素直に渡す気になれなかった。
「そりゃあ、まあ・・・景さんがそう言うなら」
と、元締が言ってくれた。
「ええんとちゃうか。なついとるみたいやし」
増蔵が苦笑する。
「ありがとう。・・・表へ出な」
景司がそう言うと、大男がこわごわと顔を上げた。
「出な」
顎をしゃくって促すと、ようやく離れて立ち上がった。
男は留吉と名乗った。
黙ってついてくる。
冴えた月明かりが、道を白く浮かび上がらせていた。
景司が何か言う前に、留吉は地面に額をすりつけた。
「若さま! わいを家来に、家来にしてくだされ! お願いします」
「人違いだ。若さまと呼ばれる覚えはない」
「人違いなんて、そんな・・・」
「こんな暗がりで、わかるもんか」
「間違えるわけがない。わいはお殿さまに会うてます。お殿さまが病で倒れられて、京へ療養に向かわれるときに、お供をいたしました。お顔を忘れるわけない。あんな美しいお方を。・・・若さまや。若さま以外に考えられへん」
「・・・」
咄嗟に否定できなかった。
藩史にも記述がある。
定良は、療養に出かけるときも、かぶき者らしく行列を美々しく飾り立てた。
乗り物は、定良が仰臥し、看病の小姓が二、三人乗れるほどの大きな輿で、屋形造り。
四方をあかり障子で囲い、領内を行くときは、障子を開け放って、民に別れを告げたという。
その行列の中に、供の力士が二、三十人付き従った。
留吉もその中にいたのだ。
定良は相撲好きで、力士たちを城内へ呼び、度々見物した。
何度もその顔を見ている。
殿さまが亡くなった後は、相撲をやめ、人足などの力仕事をしていた。
が、粗暴な性格のためか、長続きせず、荒れた。
初めての賭場で、若さまに会えたのは、お殿さまのお導きだと何度も言った。
「わいを家来にしてくだされ! 若さまのために働くのがわいのつとめや。どうか、お許しを!」
と土下座した。
「誤解してもらっては困るよ。そんな馬鹿なことがあるもんか。あんたの言うことが本当なら、おれは、こんなところにいやしない。今頃お城でふんぞりかえっているさ」
「いいえ、若さま!」
留吉がキッパリと言った。
「お殿さまの若さまならば、お城よりもまちの方が似合てます。それでこそ若さまや!」
「・・・」
心臓を鷲掴みされるような衝撃が走った。
増蔵の行きつけの賭場は、景司にも馴染みの場所になっている。
パーっと行くか、と増蔵が言うのはここのことだ。
伊織も一緒に行く。
「おい、お前ら絶対蔭間茶屋の仲間やろ」
「違うって」
「じゃあ、なんなんや」
「それは、ええっとー・・・」
何て答えていいかわからない。
伊織は黙って微笑するだけだ。
「とにかく仲間だから。腕が立つし、足手纏いにはならないから」
「はいはい。好きにしろや」
子供扱いされるのはいつものことで、頭をぽんぽんされて歩き出す。
数ヶ月前まで時が巻き戻ったような気がした。
賭場に近づくと、中から、いつにも増して激しい怒号が聞こえてきた。
「やっとるなあ」
増蔵が動じることなく入っていく。
中はだいぶ混乱していた。
熊のような大男が一人で暴れていた。
「兄貴、いいところへ!」
増蔵を見つけた若い衆が声をかけてきた。
「あれ? 久しぶりやなあ、景さん」
景司にも声がかかる。
「誰か、こいつを止めてくれ!」
賭場の元締が隅の方に避難しながら喚いている。
力士崩れだとすぐにわかる凄まじい張り手と突きが、男たちを薙ぎ倒し、帯を掴まれた者は、軽々と投げ飛ばされた。
刃物も役に立っていない。
皮膚を傷つけられて流れた血が、余計に大男を逆上させ、手がつけられなくなっている。
周りに相手をする者がいなくなり、新たな敵を求めて顔をめぐらす。
牙を剥くように、歯を剥き出しにして吠えた。
「おい、まずいぞ」
こちらに向かって突進してくる。
増蔵はたまらずに脇へ逃れたが、景司は立ったまま動かない。
熊が景司めがけてぶつかっていく。
強烈な張り手が繰り出されようとしていた。
張り倒される寸前、目が合った。
次の瞬間、どっと倒れたのは、熊の方だった。
何が起こったのかわからず、しんとなった。
沈黙を破ったのは、うつ伏せに倒れたままの大男の泣き声だった。
暴れ方も派手なら、泣き方も派手だ。
「おれは、何も・・・」
みんなが、驚いて見てくるので、慌てて手を振った。
後ろへ少し下りはしたものの、大男が勝手に倒れたのだ。
悔し泣きではないことが、間もなく、独り言のような呟きから判明した。
「神様のお引合せや。・・・ああ・・・こんなことって・・・あああ」
嗚咽が混じって、わけがわからない。
倒れたまま、両手を合わせて拝んでいる。
「夢とちゃうか?・・・めえ開けたら、消えとるんちゃうか・・・」
這うように近づいて、にじり寄り、大きな手で、ガッチリととらえられた。
涙と血と汗とが混ざってぐしょぐしょになった顔を、ぐっと近づけた。
その中の細い目が、精一杯見開かれる。
「やっぱりそうや! 若さまや! 若さまがいらしたのや! ・・・お殿さまのお導きや!」
わーっとまた泣き出した。
顔を胸に押し当て、両腕は景司を支えるようにして抱きしめている。
「こいつ、知り合いか?」
増蔵が気の毒そうに聞いてくる。
「いや、知らない」
答えながら、血の気が引いていく。
この男も、光徳院さまに惚れ込んだ一人なのだ。
「えらいすまんな。おかげで助かった」
元締が言い、若い衆が大男の襟を掴んで引き離そうとした。
これから死ぬほど痛めつけられるのだ。
賭場をめちゃくちゃにしておいて、ただではすまない。
「ちょっと待って」
景司が止めた。
「何をやらかしたんだ?」
「それが、いきなり、イカサマやって叫んで、暴れ出したんで」
「常連?」
「いや、今日初めての野郎で、こっちも訳がわからん」
おそらく負けが込んでかっとなったんだろう。
「少しだけ待ってくれないかな。話がしたい」
悪いやつではなさそうで、素直に渡す気になれなかった。
「そりゃあ、まあ・・・景さんがそう言うなら」
と、元締が言ってくれた。
「ええんとちゃうか。なついとるみたいやし」
増蔵が苦笑する。
「ありがとう。・・・表へ出な」
景司がそう言うと、大男がこわごわと顔を上げた。
「出な」
顎をしゃくって促すと、ようやく離れて立ち上がった。
男は留吉と名乗った。
黙ってついてくる。
冴えた月明かりが、道を白く浮かび上がらせていた。
景司が何か言う前に、留吉は地面に額をすりつけた。
「若さま! わいを家来に、家来にしてくだされ! お願いします」
「人違いだ。若さまと呼ばれる覚えはない」
「人違いなんて、そんな・・・」
「こんな暗がりで、わかるもんか」
「間違えるわけがない。わいはお殿さまに会うてます。お殿さまが病で倒れられて、京へ療養に向かわれるときに、お供をいたしました。お顔を忘れるわけない。あんな美しいお方を。・・・若さまや。若さま以外に考えられへん」
「・・・」
咄嗟に否定できなかった。
藩史にも記述がある。
定良は、療養に出かけるときも、かぶき者らしく行列を美々しく飾り立てた。
乗り物は、定良が仰臥し、看病の小姓が二、三人乗れるほどの大きな輿で、屋形造り。
四方をあかり障子で囲い、領内を行くときは、障子を開け放って、民に別れを告げたという。
その行列の中に、供の力士が二、三十人付き従った。
留吉もその中にいたのだ。
定良は相撲好きで、力士たちを城内へ呼び、度々見物した。
何度もその顔を見ている。
殿さまが亡くなった後は、相撲をやめ、人足などの力仕事をしていた。
が、粗暴な性格のためか、長続きせず、荒れた。
初めての賭場で、若さまに会えたのは、お殿さまのお導きだと何度も言った。
「わいを家来にしてくだされ! 若さまのために働くのがわいのつとめや。どうか、お許しを!」
と土下座した。
「誤解してもらっては困るよ。そんな馬鹿なことがあるもんか。あんたの言うことが本当なら、おれは、こんなところにいやしない。今頃お城でふんぞりかえっているさ」
「いいえ、若さま!」
留吉がキッパリと言った。
「お殿さまの若さまならば、お城よりもまちの方が似合てます。それでこそ若さまや!」
「・・・」
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