12 / 40
2章 かぶき者
5 かぶき者の殿様
しおりを挟む
「嘘だ」
そう言うのがやっとだった。
松平定良公は・・・。
必死に記憶を探る。
美貌の殿様で、桑名藩史にも記述がある。
町で、殿様を見かけた女が、一目惚れし、思慕のあまり病気になってしまった。
それを伝え聞いた殿様は気の毒に思い、自分の下着を贈ったところ、女はそれを食って死んだという伝説がある。(これホント)
かぶき者を好み、大火事や水害に見舞われた城下に出かけて行き、自ら領民の救助にあたったという。(これもホント)
桑名にこんな殿様がいたのかと感動したのを覚えている。
好きな殿様の一人だ。
二十七歳の若さで亡くなっている。
今の藩主、定重公は、養子だ。
定良公には子供がいなかった。
いなかったはずだけど・・・。
「嘘ではない。殿によく似ている。証拠などありはせぬが、それだけで十分だろう」
久松がいつの間にか近づいて、手が伸び、頬を愛おしげに撫でた。
呆然としている景司を抱きしめてくる。
「昨夜は申し訳ござらぬ。邪魔が入らぬようにして確かめたかったゆえ、許されよ」
抵抗され、拒否されてはゆっくりと楽しめない、いや、確かめられないからだろう。
だからってひどい。
これで、殿様のような扱いも理解できる。
久松といえば、藩主家に近い家柄だ。
当てずっぽうで言っているわけではないだろう。
信じるしかないんだろうか。
父上は、このことを知っていたのだろうか。
「兵衛介は、よう育ててくれた。そなたの母は、兵衛介の妹、律どの。そのことは極秘のことゆえ、家中で知る者はおらぬ。それがしは、殿の小姓をしておったゆえ、殿が町へ出られるおりには、供として従っていた。律どのは城へはあがらず、お二人は、殿が外へ出られたおりのいっときを共に過ごされたのだ」
「・・・」
「それがしも、律どのが孕られたことは知らなかった。おそらく殿もご存知ではなかっただろう。まもなく病に倒れられ、外に出ることはできなくなったゆえな」
定良公は、病弱で、妻も迎えていなかった。
と書かれていたんじゃなかったっけ。
久松は抱きしめている腕を解いて、景三郎の顔を、両手で挟むようにして覗き込む。
その目はうっとりと細められ、今にも愛撫が始まりそうだった。
景司は拒むように久松を睨みつけた。
「兵衛介は、頭を悩ませたであろうな。なぜそなたの元服が遅れていたのか。この顔で、城に上がればどうなると思う」
「・・・」
「亡くなられて二十年近くになるが、殿の顔を覚えておる者はまだ多い。城内は騒然とするであろう」
父上は、元服させてやれなくてすまないと言っていた。
「吉村又右衛門は、疑いをかけていた。まあ、当然、噂があったであろうな。そなたが亡き光徳院さま(定良公の院号)に生写しであると。真相を確かめるために、又右衛門は、兵衛介を屋敷に呼び、問いただした」
景司は、はっとして目を見開いた。
「兵衛介は、生き証人である己を葬ることで、真相を闇に葬った。そなたの命を助ける代わりに、片瀬家をこの世から消したのだ」
「そんな・・・」
涙が頬を伝い落ちた。
「父上は、おれのために・・・おれが、殺した・・・!」
嗚咽になった。
久松が、崩れかける景司を支えるように抱きしめた。
「そうではない。片瀬の家を潰したのは又右衛門だ。吉村は、自らもかぶき、かぶき者に甘い殿を苦々しく思っていた。ご公儀も取り締まりに力を入れるようになっていたし、松山からご養子を迎えることが決まっていた。すべて都合が良すぎる。それがしは、殿は、吉村に殺されたに相違ないとみている。殿の弱り様は、あまりに急だった。・・・そなたを探し出すのに一年かかったが、共に仇を討とうではないか」
今の景司に、久松の言葉は入ってこなかった。
それが事実だとしたら、痛すぎる。
今頃、その重みを、意味を理解した。
おれは生きてちゃいけないんだ。
前藩主のご落胤なんて、争いの種にしかならない。
「父上・・・」
子供のように泣きじゃくる。
父上がいなくては、どうやって生きたらいいかわからない。
誰の言うことも聞くことはない。すべて自分で決めろと、父は言った。
わからない。
今は、何かにすがっていたかった。
目の前の久松にすがりついた。
自分から腕をまわす。
久松の手が背中を優しく撫でた。
首筋に、唇が吸い付いてきた。
そう言うのがやっとだった。
松平定良公は・・・。
必死に記憶を探る。
美貌の殿様で、桑名藩史にも記述がある。
町で、殿様を見かけた女が、一目惚れし、思慕のあまり病気になってしまった。
それを伝え聞いた殿様は気の毒に思い、自分の下着を贈ったところ、女はそれを食って死んだという伝説がある。(これホント)
かぶき者を好み、大火事や水害に見舞われた城下に出かけて行き、自ら領民の救助にあたったという。(これもホント)
桑名にこんな殿様がいたのかと感動したのを覚えている。
好きな殿様の一人だ。
二十七歳の若さで亡くなっている。
今の藩主、定重公は、養子だ。
定良公には子供がいなかった。
いなかったはずだけど・・・。
「嘘ではない。殿によく似ている。証拠などありはせぬが、それだけで十分だろう」
久松がいつの間にか近づいて、手が伸び、頬を愛おしげに撫でた。
呆然としている景司を抱きしめてくる。
「昨夜は申し訳ござらぬ。邪魔が入らぬようにして確かめたかったゆえ、許されよ」
抵抗され、拒否されてはゆっくりと楽しめない、いや、確かめられないからだろう。
だからってひどい。
これで、殿様のような扱いも理解できる。
久松といえば、藩主家に近い家柄だ。
当てずっぽうで言っているわけではないだろう。
信じるしかないんだろうか。
父上は、このことを知っていたのだろうか。
「兵衛介は、よう育ててくれた。そなたの母は、兵衛介の妹、律どの。そのことは極秘のことゆえ、家中で知る者はおらぬ。それがしは、殿の小姓をしておったゆえ、殿が町へ出られるおりには、供として従っていた。律どのは城へはあがらず、お二人は、殿が外へ出られたおりのいっときを共に過ごされたのだ」
「・・・」
「それがしも、律どのが孕られたことは知らなかった。おそらく殿もご存知ではなかっただろう。まもなく病に倒れられ、外に出ることはできなくなったゆえな」
定良公は、病弱で、妻も迎えていなかった。
と書かれていたんじゃなかったっけ。
久松は抱きしめている腕を解いて、景三郎の顔を、両手で挟むようにして覗き込む。
その目はうっとりと細められ、今にも愛撫が始まりそうだった。
景司は拒むように久松を睨みつけた。
「兵衛介は、頭を悩ませたであろうな。なぜそなたの元服が遅れていたのか。この顔で、城に上がればどうなると思う」
「・・・」
「亡くなられて二十年近くになるが、殿の顔を覚えておる者はまだ多い。城内は騒然とするであろう」
父上は、元服させてやれなくてすまないと言っていた。
「吉村又右衛門は、疑いをかけていた。まあ、当然、噂があったであろうな。そなたが亡き光徳院さま(定良公の院号)に生写しであると。真相を確かめるために、又右衛門は、兵衛介を屋敷に呼び、問いただした」
景司は、はっとして目を見開いた。
「兵衛介は、生き証人である己を葬ることで、真相を闇に葬った。そなたの命を助ける代わりに、片瀬家をこの世から消したのだ」
「そんな・・・」
涙が頬を伝い落ちた。
「父上は、おれのために・・・おれが、殺した・・・!」
嗚咽になった。
久松が、崩れかける景司を支えるように抱きしめた。
「そうではない。片瀬の家を潰したのは又右衛門だ。吉村は、自らもかぶき、かぶき者に甘い殿を苦々しく思っていた。ご公儀も取り締まりに力を入れるようになっていたし、松山からご養子を迎えることが決まっていた。すべて都合が良すぎる。それがしは、殿は、吉村に殺されたに相違ないとみている。殿の弱り様は、あまりに急だった。・・・そなたを探し出すのに一年かかったが、共に仇を討とうではないか」
今の景司に、久松の言葉は入ってこなかった。
それが事実だとしたら、痛すぎる。
今頃、その重みを、意味を理解した。
おれは生きてちゃいけないんだ。
前藩主のご落胤なんて、争いの種にしかならない。
「父上・・・」
子供のように泣きじゃくる。
父上がいなくては、どうやって生きたらいいかわからない。
誰の言うことも聞くことはない。すべて自分で決めろと、父は言った。
わからない。
今は、何かにすがっていたかった。
目の前の久松にすがりついた。
自分から腕をまわす。
久松の手が背中を優しく撫でた。
首筋に、唇が吸い付いてきた。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説


ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる