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2章 かぶき者

5 かぶき者の殿様

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「嘘だ」

 そう言うのがやっとだった。

 松平定良公は・・・。

 必死に記憶を探る。
 美貌の殿様で、桑名藩史にも記述がある。
 町で、殿様を見かけた女が、一目惚れし、思慕のあまり病気になってしまった。
 それを伝え聞いた殿様は気の毒に思い、自分の下着を贈ったところ、女はそれを食って死んだという伝説がある。(これホント)
 かぶき者を好み、大火事や水害に見舞われた城下に出かけて行き、自ら領民の救助にあたったという。(これもホント)

 桑名にこんな殿様がいたのかと感動したのを覚えている。
 好きな殿様の一人だ。
 二十七歳の若さで亡くなっている。

 今の藩主、定重公は、養子だ。
 定良公には子供がいなかった。

 いなかったはずだけど・・・。

「嘘ではない。殿によく似ている。証拠などありはせぬが、それだけで十分だろう」

 久松がいつの間にか近づいて、手が伸び、頬を愛おしげに撫でた。

 呆然としている景司を抱きしめてくる。

「昨夜は申し訳ござらぬ。邪魔が入らぬようにして確かめたかったゆえ、許されよ」

 抵抗され、拒否されてはゆっくりと楽しめない、いや、確かめられないからだろう。
 だからってひどい。

 これで、殿様のような扱いも理解できる。
 久松といえば、藩主家に近い家柄だ。
 当てずっぽうで言っているわけではないだろう。
 信じるしかないんだろうか。
 父上は、このことを知っていたのだろうか。

「兵衛介は、よう育ててくれた。そなたの母は、兵衛介の妹、律どの。そのことは極秘のことゆえ、家中で知る者はおらぬ。それがしは、殿の小姓をしておったゆえ、殿が町へ出られるおりには、供として従っていた。律どのは城へはあがらず、お二人は、殿が外へ出られたおりのいっときを共に過ごされたのだ」
「・・・」
「それがしも、律どのがみごもられたことは知らなかった。おそらく殿もご存知ではなかっただろう。まもなく病に倒れられ、外に出ることはできなくなったゆえな」

 定良公は、病弱で、妻も迎えていなかった。
 と書かれていたんじゃなかったっけ。

 久松は抱きしめている腕を解いて、景三郎の顔を、両手で挟むようにして覗き込む。
 その目はうっとりと細められ、今にも愛撫が始まりそうだった。

 景司は拒むように久松を睨みつけた。

「兵衛介は、頭を悩ませたであろうな。なぜそなたの元服が遅れていたのか。この顔で、城に上がればどうなると思う」
「・・・」
「亡くなられて二十年近くになるが、殿の顔を覚えておる者はまだ多い。城内は騒然とするであろう」

 父上は、元服させてやれなくてすまないと言っていた。

「吉村又右衛門は、疑いをかけていた。まあ、当然、噂があったであろうな。そなたが亡き光徳院さま(定良公の院号)に生写しであると。真相を確かめるために、又右衛門は、兵衛介を屋敷に呼び、問いただした」

 景司は、はっとして目を見開いた。
「兵衛介は、生き証人である己を葬ることで、真相を闇に葬った。そなたの命を助ける代わりに、片瀬家をこの世から消したのだ」
「そんな・・・」
 涙が頬を伝い落ちた。
「父上は、おれのために・・・おれが、殺した・・・!」
 嗚咽になった。

 久松が、崩れかける景司を支えるように抱きしめた。

「そうではない。片瀬の家を潰したのは又右衛門だ。吉村は、自らもかぶき、かぶき者に甘い殿を苦々しく思っていた。ご公儀も取り締まりに力を入れるようになっていたし、松山からご養子を迎えることが決まっていた。すべて都合が良すぎる。それがしは、殿は、吉村に殺されたに相違ないとみている。殿の弱り様は、あまりに急だった。・・・そなたを探し出すのに一年かかったが、共に仇を討とうではないか」

 今の景司に、久松の言葉は入ってこなかった。

 それが事実だとしたら、痛すぎる。
 今頃、その重みを、意味を理解した。

 おれは生きてちゃいけないんだ。

 前藩主のご落胤なんて、争いの種にしかならない。

「父上・・・」
 子供のように泣きじゃくる。
 父上がいなくては、どうやって生きたらいいかわからない。

 誰の言うことも聞くことはない。すべて自分で決めろと、父は言った。

 わからない。

 今は、何かにすがっていたかった。
 目の前の久松にすがりついた。
 自分から腕をまわす。

 久松の手が背中を優しく撫でた。
 首筋に、唇が吸い付いてきた。
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