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1章 嵐

4 藩校は男子校より怖い?

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 タイムスリップではないことは、体を見ればわかるのだが、朝のルーティーンが、景司とまったく違うのに、スムーズに体が動いてくれることでもわかる。

 着物を着る手は迷わず動くし、トイレの場所とか(当然和式)、食事の時の所作も滞りなくできる(当然肉なし。ハンバーグ食べたいーー)。

 長く寝たおかげなのか、体と意識の連携がうまくいくようになった気がする。

 体に任せる、という感覚だ。

 食事中は、父と二人で黙々と食べた。

 大学生の姉と、高校に入ったばかりの妹と、母親がいて、賑やかだった現代の片瀬家と違って、女っ気はゼロで、静かなものだ。

「今日から行くのか」
「はい」

 父は、穏やかに笑ったが、よく見ると、性格が全然違った。

 武士はみなそうなのかもしれないが、物静かで、口数が少なかった。

 子供達が聞いてなくてもくだらないことをしゃべりまくっている将司とは、大違いだ。

「無理はするなよ。そして、あまり目立ったことはするな。今更だが・・・」
「はい。わかってます」

 さっき、髪を整えているときに、鏡を見て驚いたばかりだった。
 景司の顔のパーツの一つ一つを、完璧な形にして、品よくまとめた感じ。

 おれってこんなに美形だったっけ?

 自分の顔も、まんざらではないと思っていたが、これほど整ってはいなかった。

 が、顎の細さとか、口元とかは、景司と近い気がするが。

 まずいよ、これ・・・。

 なんか心配になってきた。
 見なきゃよかったと、後悔したところだ。

 自分で意識してどうするんだよ、とツッコミたくなる。

 元々の景三郎の性格はどんな感じなんだろうか。

 この顔なら、たぶん、ツンとしてるな。
 武士だし。

 ポーカーフェイスでいこうと決めていた。

 わからなくなったら、体に聞こうと思っている。
 それできっとうまくいくはずだ。

 片瀬家は中堅どころの400石。
 兵衛介は、用人という要職についている。
 という話だった。

 城に出仕する父を、いってらっしゃい、と見送った。
 もちろん畳に手をついてだ。

 そういうことも、体が覚えている。

 加平次が掃除をし始めていた。

「じい、何か手伝おうか」
「よろしうございます。若さま、人前でその笑顔は見せてはなりませんぞ」

 愛想笑いでも浮かべていたのか、母親が小言を言うように、ため息をついている。
 慌てて、表情を引き締める。

「ねえ、じい。おれ、前と違う?よね。変になってる?」
 優しそうな加平次になら聞いてもいいと思って言ってみた。

「そうですなあ」
 と加平次が首を傾げた。
「若さまは、そのままでようございます。変などと、思うことはありません。加平次には、以前よりも、明るくなられたように思いますが」

 笑うなと言われたのに、照れ笑いになった。
 なんと答えていいかわからないとき、笑ってごまかす癖がある。
 気をつけなければ。

「じゃあ、いくね」

 書物を包んだ風呂敷を掴んで草履を履いた。

「いってらっしゃいませ」

 見送られて屋敷を出た。
 なんとかふらつかずに歩けた。

 右京に送ってもらった道を歩く。
 たぶん、道場の近くに学問所もあるはずだ。

 堀にかかる橋を渡り、城の方へ行く。

 ちらほらと、若い藩士たちの姿が見える。
 あの人たちについていけばいいな、と景司は思い、何食わぬ顔で歩いた。



 たどり着いた藩校は、たくさんの藩士たちで溢れていた。
 どこを向いても男、男、男。

 この世界に、女の人はいないのかと思うほどに、男の人にしか会っていない。
 それほど、男女の世界が違うのだ。

 まるで男子校だな。

 景司は共学にしか通ったことがなく、どんな感じなのか知らなかったが、落ち着かない。
 それに、見知った顔がまったくいなかった。

 見回してみたが、右京もいない。

 なぜか、ふと寂しいと思ってしまった。
 いや、違うし。

 終始うつむきがちにし、広い講義部屋の隅っこに座った。

 持ってきた書物を取り出して見た。

 ちょっと待て!
 漢文・・・。
 しかも筆文字。
 マジか。

 読めん。

 景三郎はこれ読むんだよな。

「なあ、片瀬」
 隣に座った人が、すっと身を寄せたきた。

「右京さまとは、もうちぎったのか?」
 耳元で囁いてくる。
「いえ」
 わざと無表情に言う。
「じゃあ、おれにもまだ望みがあるってことだな」
 と、手を握ってきた。
「・・・」
 なんて言っていいかわからずに黙ったが、気色悪い。
 顔に出ないようにこらえた。

 横目でちらっと見ただけで、目を読めもしない書物に戻す。

 無視無視。

 そうすると、次から次へと男たちがやってきて、似たようなことを耳元で囁き、たもとに何かを入れてくる者もいた。

 手紙?

 下駄箱があったら、手紙がどっさり入っているやつかな。

「わからないところがあったら教えてやるよ」
 と言ってくる男もいて、教えてもらいたい気もするけど、それだけじゃないよね。
 そんな時は、うなずいただけでやり過ごした。

 目立つな、と父が言うのは、こういうことの対処のことだろうか。

 様子見を決め込んで、黙ったまま講義を聞き(いや、半分寝てた)、誰とも親しく話さなかった。
 友達とそうじゃない人の区別がつかないこともある。

 親しげに話して、もし下心のあるやつだったら目も当てられない。

 なんとか終わりまで過ごし、席をたった。

 部屋を出たところで、片瀬、とまた声をかけられた。
 見ると、あのとき、道場で優しくしてくれた青年だった。
「もう大丈夫なのか? 道場には行く?」

 知った人に会って、ほっとし、笑いかけそうになったが、ここもグッとこらえた。
「はい。おかげさまで。・・・道場は迷っています」
 景司が言葉を交わし、頭を下げたことで、皆の視線がさっと集まったように感じた。

「行かれますか?」
 逆に聞いた。

「ああ、そのつもりだけど」
「じゃあ、行こうかな」

 青年の顔がみるみる赤くなった。

 景司は少し後悔した。
 周りの視線に、一瞬、棘のような鋭いものが混ざったように感じたからだ。

 目立たない、というのは難しいものだな。

 今まで注目されるような事態を経験したことがない景司は、もうどうしていいかわからなくなる。
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