隠密姫

鍛冶谷みの

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十二 天守炎上

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 天井板が外される気配がして、美鶴は目を開けた。
「影、か」
 その気配にだけ届く声で確かめる。
「はい」
 影は、佐伯の知らせを受けた父から送られた隠密で、美鶴が勝手にそう呼んでいる。
 好きに使えという父の口上を持って、山の中まで美鶴を探しに来てくれた。
 身動きが取れず、一人でどうしていいかわからなかったところだったので、とてもありがたかった。
 大和の様子を一日の終わりに報告に来る。
「もうそろそろ動きがあるやもしれませぬ」
「だろうな」
「お気をつけくださいませ」
「わかった。引き続き頼む」
 やりとりはいつも簡潔だ。
 気配が消えたあと、また寝る。
 同じ部屋で少し離れてぐっすり眠る茜の、穏やかな寝息にほっとする。
 誰かのために、何かができること。
 それも一人ではなくて、仲間と呼べる人たちとはかって何かをすることが楽しくて仕方がなかった。
 この時のために、さまざまなことを学び、身につけてきたのだと思う。
 と言っても、辛くはなかった。好きなようにしてきただけだ。
 わがままを聞いてくれた父に感謝している。
 まだ将来について決断してはいない。
 伊那代にとって、何が一番いいのか、見極めなければならない。
 この短い間に何がわかるのか、甚だ疑問だが、決断するのは、己ではない。
 大和をはじめ、伊那代の人たちだ。
 その手助けをすることが、己の役目だと思っている。
 だが、その前に、命を狙われている大和を守りきれるのか。
 どうやって支えていけばいいのか、よくわからなかった。
 今夜も浅い眠りになりそうだった。


 翌日、藤野が話があると言ってきた。
 しかも二人だけで話したいという。
 こちらとしても、ちゃんと話しておかなければならないと思っていたので受けることにした。
 十郎が知ったらおそらく反対するだろう。
 二人きりなど危険極まりないと。
 すっかり日が落ちて、あたりは真っ暗だが、まだ眠る時刻ではない。
 近習の藤野と二人で連れ立って歩いていても誰も気に留めない。
 藩士の誰一人として味方にできないなんて、やはり藩主としては失格だ。
 藤野をなんとか説得したい。
 領民だけではなく、藩士たちの信頼も勝ち取らなければならない。
 道のりの険しさを思い、途方に暮れるが、やるしかなかった。
「若、どちらに行かれるのですか?」
 所用でしばし離れていた十郎に見つかる。
「修理さまのご用です」
 藤野が答える。
「それがしも一緒に」
「ならん」
 藤野の本音を引き出すためには二人きりの方がいい。
「何故です!信用できませぬ」
 十郎が食い下がる。
 無理もない。
「ではどちらに行かれるかだけでも・・・」
 右拳を十郎の鳩尾に見舞った。
「許せ」
 そのまま床にそっと寝かせる。

 藤野が案内してきた場所は、天守の中だった。
「ここならば、誰にも邪魔されませぬ」
 確かに誰にも話を聞かれることもなく、叫んでも気づかれない。
 大和は思わず唾を飲み込んだ。
「若さまは本当にうつけなのですね」
 藤野も遠慮がない。
「のこのことついてくるなんて。普通は警戒すると思いますが・・・」
「お前の意志なのか?修理のために犠牲になることはない」
「犠牲?」
 低く笑った。
 手燭に照らされて、藤野の顔が不気味に歪んだ。
「俺を殺したら、お前もただでは済まんのだぞ」
 それが何か、と言いたげな様子にぞっとする。
 こいつは話がわかる相手ではないのかもしれない。
「それがしは、修理さまが藩主の座につかれるのを望んでいるだけです」
「それほど叔父上がいいのか」
「平穏を願って何が悪いのです?主人は二人もいりませんよ」
 藤野は持っていた手燭を入り口に向かって投げた。
 戸板に燭が当たって落ちた。
 戸口に背を向けて、藤野が立っている。
 一瞬暗くなったが、床に落ちた火がじわじわと広がり、明るくなっていく。
 まだ消せるほどの火だが、藤野が刀に手をかけ、動けば斬るという殺気を漲らせている。
「焼死にしますか?それとも斬死がお好みで?」
「お前、心中する気か!」
「若さまを殺して、無事には済まないのでしょう?だったらここで死ぬのも同じこと」
 何を言っても無駄のようだ。
 修理が刺客に選ぶだけあって、腕は確かだ。
 右腕一本で勝てるかどうか。
 迷っているうちに炎の熱気が迫ってくる。
「敦盛でも舞われますか」
「くそっ!」
 このままじっとしてはいられない。
 するすると後ろへ下がり、間合いを外すと奥へ進んだ。
 斬り合っている場合ではない。
 どこかに出口はないか。
「往生際が悪いですね」
 藤野が追いかけてくる。
 炎も勢いを増してきた。


 何やら表が騒がしいような気がする。
 茜と佐伯といつ江戸へ出立するか話し合っていた。
 見て参ります、と佐伯が出て行ったが、すぐに戻ってきた。
 さすがの佐伯も顔色を変えている。
「火事のようです。お城が燃えております」
「なに!?」
 のんびりしている茜も、この時ばかりは素早く腰を浮かしている。
 外へ出た。
 城の方角の空がほの赤く染まっている。
 ここはお寺が集まる場所なので、それほど人が多いわけではないが、それでも様子を見に多くの人が出てきていた。
 その時、暴れ馬だ!という叫び声とともに、馬の蹄の音と、いななきが近づいてきた。
「颯?」
 美鶴は、走ってくる馬に向かっていった。
 両手を広げる。
「止まれ!」
 叫んだ。
 颯が竿立ちになった。
 蹴られると見えたのか、悲鳴が上がる。
 目が合った。
「わらわを乗せよ」
 颯が方向を転換し、首を振った。
 鞍も鐙もない。
 袴をはいていてよかった。
 乗れと言っているかのように一瞬颯の動きが止まる。
 刻がない。
 切迫しているのを肌で感じる。
 飛び乗って、両足で背中を強く挟み、ふり落とされないように首にしがみつく。
 颯の疾駆に、体中の血が熱くなった。


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