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六 姫さま行方知れず
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佐伯さまと顔を見合わせた。
体が震えてくる。
近習の一人が様子を見に、山道を走って行った。
どうしよう。姫さまに何かあったら。
ありえない想像を慌てて打ち消した。
姫さまに何かあったら、藩は終わりだ。
そんな選択をするはずがない。
それに、今は私が姫さまなのだから、姫さまが狙いならば、私が狙われるはず。
ということは?
狙いは若殿?
私は思わず身震いした。
そうだ、若殿がいなくても、藩はやっていける。
かえって邪魔な存在・・・
変な妄想を振り払うように首を振る。
いいえ、きっと猟師が獣を撃ったんだわ。
早く帰って来て!
何でもなかったと、お二人で笑って戻ってきて!
程なくして、様子を見に行っていた近習の一人が走って戻り、馬に乗って駆けていった。
その後から、若殿と一緒に山に入った近習が戻ってきた。
こちらに来て膝をついた。
「姫さまはすぐにお戻りを。この者に案内させます」
と、もう一人の近習を指した。
顔も目も真っ赤で、動揺しているのがわかる。
「まさか・・・」
「若と、腰元どのが、谷に落ちました。城へ知らせにやりましたので、応援が来ると思います。それがしは探索を続けますので、お早く安全なところへ」
天地がひっくり返るとはこのことだ。
どっちが上なのか下なのかわからなくなり、真っ暗になった。
目を開けると、天井が見えた。
夜具に寝かされている。
お寺に戻って来たのだ。
私は半身を起こして、飲み物を探した。喉がカラカラに乾いている。
枕元に吸い口があり、飲み干したあと、
「佐伯どの。・・・佐伯はおるか」
と呼んだ。
「はい」
襖が開いて、佐伯さまが控えている。
「かまわぬ、近う」
早くどうなったか知りたい。
佐伯さまが襖を閉めて、そばに寄るのを待って言った。
「姫さまは?」
佐伯さまが首を横に振る。
「未だ、何も。あれから二日経ちましたが、お二人とも見つからぬ様子」
「二日?」
私、そんなに寝ていたの?
「江戸表に早馬を立てました。殿のご指示を仰ぎます。探しに行きたいのはやまやまなれど、姫さまもそれがしも、ここを動けませぬゆえ」
姫を守る役目の佐伯さまが、腰元を探しに姫のそばを離れることはできない。
「あの方を呼んでください。山で何があったのか、聞きます」
若殿のそばにいた近習のことだ。
「池田どのは、今もおそらく山で若殿をお探ししていると思いますが」
そのあたりの情報は届いているらしい。
「ならば夜にでも」
佐伯さまは一瞬、驚いた顔になったが、ほっとしたように少し強張った頬が緩んだ。
「は、かしこまりました。お呼びして参ります」
「頼みます」
もう少しだけ、姫さまの代わりを務める覚悟をした。
姫さまがお戻りになるまで、できることはしておかなければ。
若殿の近習、池田十郎どのは、憔悴し切った様子だったが、来てくれた。
「未だ見つからぬのですか」
私は軽装のまま向かい合っている。
形式なんぞ、構っている場合ではなかった。
「それが、いくらお探ししても何も出てこないのです。獣に食われたとしても、痕跡が残るはずです」
「ならば、生きていると思っても良いのですね」
遺体もないのならば、望みはある、ということだ。
「しかし、鉄砲の弾は当たっております」
池田どのが苦しげに言った。
「当たった?」
私は目を見張った。
「詳しくお聞かせくださいますか」
池田どのが話された内容を、例のごとく、私の想像で再現してみる。
若殿は、何度も登られている山なので、すいすい登って行った。
初めは姫さまを気遣うふうだったが、姫さまが意外に健脚なので、いつものように登っていく。
「そなた、馬が好きなのか?颯が女子に触らせるなど、初めてだから驚いた」
「若さまは良い馬をお持ちですね。惚れ惚れいたしました。颯どのに気に入っていただけたら嬉しいですわ」
「今度乗せてやろう」
などと、親しげに話されていたようだ。
やがて、道が開け、若殿が見せたいと言っていた景色の見える場所に着いた。
「どうだ!」
若殿が自慢げに指差す。
城下が一望できた。
「綺麗・・・」
姫さまが、とびっきりの笑顔で応えた。
雲一つない青い空と、山々の稜線、お城と家々の屋根が日に煌めいて・・・
「若、あまり前に出られては、谷に落ちますぞ」
と池田どのが注意したという。
「本当は頂上まで行くと良いが、ここで戻るか」
と若殿が、谷に背を向けたとき、
「危ない!」
という姫さまの叫び声と、銃声が同時に響いた。
姫さまが若殿の腕を引いたが、銃弾が当たった衝撃で、体がのけ反り、落とすまいと若殿の体を支えようとした姫さま諸共に谷へ落ちた。
「若殿が狙われたのですね」
私は、池田どのに念を押した。
「はい、それは間違いないものと・・・」
悔しげに呻き、つぶやくように漏らす。
「修理さまに探索の人数を増やしてくれるよう頼んでいるのですが、出してくださらない。・・・もしや、修理さまの差金なのでは・・・」
「・・・」
「や、失礼いたしました。姫さまもお付きの方を心配なさっておられるでしょう。必ず探し出しますので、ご安心を」
「池田どのも、くれぐれも、ご無理なさらず」
深々と頭を下げて、池田が辞した。
五日経っても、二人の消息はわからなかった。
体が震えてくる。
近習の一人が様子を見に、山道を走って行った。
どうしよう。姫さまに何かあったら。
ありえない想像を慌てて打ち消した。
姫さまに何かあったら、藩は終わりだ。
そんな選択をするはずがない。
それに、今は私が姫さまなのだから、姫さまが狙いならば、私が狙われるはず。
ということは?
狙いは若殿?
私は思わず身震いした。
そうだ、若殿がいなくても、藩はやっていける。
かえって邪魔な存在・・・
変な妄想を振り払うように首を振る。
いいえ、きっと猟師が獣を撃ったんだわ。
早く帰って来て!
何でもなかったと、お二人で笑って戻ってきて!
程なくして、様子を見に行っていた近習の一人が走って戻り、馬に乗って駆けていった。
その後から、若殿と一緒に山に入った近習が戻ってきた。
こちらに来て膝をついた。
「姫さまはすぐにお戻りを。この者に案内させます」
と、もう一人の近習を指した。
顔も目も真っ赤で、動揺しているのがわかる。
「まさか・・・」
「若と、腰元どのが、谷に落ちました。城へ知らせにやりましたので、応援が来ると思います。それがしは探索を続けますので、お早く安全なところへ」
天地がひっくり返るとはこのことだ。
どっちが上なのか下なのかわからなくなり、真っ暗になった。
目を開けると、天井が見えた。
夜具に寝かされている。
お寺に戻って来たのだ。
私は半身を起こして、飲み物を探した。喉がカラカラに乾いている。
枕元に吸い口があり、飲み干したあと、
「佐伯どの。・・・佐伯はおるか」
と呼んだ。
「はい」
襖が開いて、佐伯さまが控えている。
「かまわぬ、近う」
早くどうなったか知りたい。
佐伯さまが襖を閉めて、そばに寄るのを待って言った。
「姫さまは?」
佐伯さまが首を横に振る。
「未だ、何も。あれから二日経ちましたが、お二人とも見つからぬ様子」
「二日?」
私、そんなに寝ていたの?
「江戸表に早馬を立てました。殿のご指示を仰ぎます。探しに行きたいのはやまやまなれど、姫さまもそれがしも、ここを動けませぬゆえ」
姫を守る役目の佐伯さまが、腰元を探しに姫のそばを離れることはできない。
「あの方を呼んでください。山で何があったのか、聞きます」
若殿のそばにいた近習のことだ。
「池田どのは、今もおそらく山で若殿をお探ししていると思いますが」
そのあたりの情報は届いているらしい。
「ならば夜にでも」
佐伯さまは一瞬、驚いた顔になったが、ほっとしたように少し強張った頬が緩んだ。
「は、かしこまりました。お呼びして参ります」
「頼みます」
もう少しだけ、姫さまの代わりを務める覚悟をした。
姫さまがお戻りになるまで、できることはしておかなければ。
若殿の近習、池田十郎どのは、憔悴し切った様子だったが、来てくれた。
「未だ見つからぬのですか」
私は軽装のまま向かい合っている。
形式なんぞ、構っている場合ではなかった。
「それが、いくらお探ししても何も出てこないのです。獣に食われたとしても、痕跡が残るはずです」
「ならば、生きていると思っても良いのですね」
遺体もないのならば、望みはある、ということだ。
「しかし、鉄砲の弾は当たっております」
池田どのが苦しげに言った。
「当たった?」
私は目を見張った。
「詳しくお聞かせくださいますか」
池田どのが話された内容を、例のごとく、私の想像で再現してみる。
若殿は、何度も登られている山なので、すいすい登って行った。
初めは姫さまを気遣うふうだったが、姫さまが意外に健脚なので、いつものように登っていく。
「そなた、馬が好きなのか?颯が女子に触らせるなど、初めてだから驚いた」
「若さまは良い馬をお持ちですね。惚れ惚れいたしました。颯どのに気に入っていただけたら嬉しいですわ」
「今度乗せてやろう」
などと、親しげに話されていたようだ。
やがて、道が開け、若殿が見せたいと言っていた景色の見える場所に着いた。
「どうだ!」
若殿が自慢げに指差す。
城下が一望できた。
「綺麗・・・」
姫さまが、とびっきりの笑顔で応えた。
雲一つない青い空と、山々の稜線、お城と家々の屋根が日に煌めいて・・・
「若、あまり前に出られては、谷に落ちますぞ」
と池田どのが注意したという。
「本当は頂上まで行くと良いが、ここで戻るか」
と若殿が、谷に背を向けたとき、
「危ない!」
という姫さまの叫び声と、銃声が同時に響いた。
姫さまが若殿の腕を引いたが、銃弾が当たった衝撃で、体がのけ反り、落とすまいと若殿の体を支えようとした姫さま諸共に谷へ落ちた。
「若殿が狙われたのですね」
私は、池田どのに念を押した。
「はい、それは間違いないものと・・・」
悔しげに呻き、つぶやくように漏らす。
「修理さまに探索の人数を増やしてくれるよう頼んでいるのですが、出してくださらない。・・・もしや、修理さまの差金なのでは・・・」
「・・・」
「や、失礼いたしました。姫さまもお付きの方を心配なさっておられるでしょう。必ず探し出しますので、ご安心を」
「池田どのも、くれぐれも、ご無理なさらず」
深々と頭を下げて、池田が辞した。
五日経っても、二人の消息はわからなかった。
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