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十九
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町屋川は、城下の南を流れており、上流へ物資を運ぶ荷船が行き交う川だが、まだ早朝のためか、船影はない。
朝靄が立ち込める河原に立つ、二つの人影。
里絵は、土手に立つ織絵を見つけて走り寄った。
「どんな感じ?」
「あのまま。半刻は経ったかしら」
上意討ちの討手が現れ、果たし合いが行われることになった。
風が吹き、靄が次第に薄くなってきた。
双方とも、向き合ったまま動かない。
「どうして帰らなかったんだろう」
里絵がつぶやいた。
「帰れば、許されるんでしょ?」
黙って立っているのも辛くて、姉に問いかける。
「八重さまの話ではね。禄高は二百石の馬廻組だったそうよ」
「もったいない。帰ったほうが得なのにね。そうすれば、討手に狙われることもないのに」
八重もわからないと言っていた。
織絵にはわかるのだろうか。
「そうね」
姉の目は、二人に注がれたまま動かない。
少しの動きも見逃さない、といった強い意思を感じる。
「あの人は、武芸者なのよ。頭を下げて、元の家に戻るよりも、剣に生き、剣に死す生き方がしたい。そう思ったんじゃないかしら」
「・・・」
「たとえ、討たれたとしても。きっと後悔しない」
「姉上は、どうして剣を捨てたの?」
「私は武芸者じゃなかった。だから、道場を譲っても後悔しなかった。今の暮らしが楽しいわ」
「武芸者か・・・宮本武蔵みたいだね。今の師範」
織絵が苦笑した。
「どこから宮本武蔵が出てくるのよ」
「勝つよね」
「さあ、どうだか。勝敗は時の運よ」
「わかっているけど・・・」
どこにも力みがないように見える。
あの立ち姿だ。
「風のように立ってる。あのとき、姉上と立ち合ったときと同じ」
「風、ね」
柳が風に揺れるように、吹かれるままに。
また風が吹いた。
もうすっかり日がのぼって、視界が開けてきた。
まだ動かない。
「もし負けたら、どうするの? そんなことはないと思うけど」
「そうね。そのときは、道場をたたむわ。もう戻る気はないから」
「え? 嫌だ、そんなの」
思わず織絵の袖を掴んだ。
才介の結果に、道場の全てがかかっている。
「時々怖くなるんだ。いつまでこうしていられるんだろうって。小弥太はきっと、どこかにお婿さんに入って、出仕するようになるんだろうし、みんな大人になって、それぞれに生きていく。なのに、私は、どうしていいかわからない。道場がなくなったら、今日からそうなるじゃない。そんなの嫌だ」
「里・・・」
「みんなと、離れ離れになりたくない」
「里、ちゃんと見てなさい。・・・本物の立ち合いを」
「あっ」
討手が動く。
猛然と斬り込んだ。
頭上を狙って、刀を上段から振り下ろした。
右に体を傾けただけでかわす。
返す刀で二撃目が来る。
これも、体を揺らすようにしてかわした。
相手の、大きな動きに対して、最小限にしか動いていない。
しかも、軽く、しなやかな動きだ。
斬り込まれているのに、刀を構えず、打ち合おうとしない。
相手が、河原の石に足を取られ、体勢が崩れかけたときでも、その隙を突いたりしなかった。
一番いい形を狙う余裕さえ見えた。
(すごい・・・)
里絵の体が熱くなってくる。
刀は、闇雲に抜くものじゃないんだ。
己の未熟さが痛いほどに身に沁みた。
それは本当に一瞬だった。
才介の腕と一体化したような刀が、柳のようにしなり、討手に襲いかかった。
才介が刀を振るったのは、その一撃のみである。
懐紙で刃の血を拭い、鞘に収めている。
剣に生きることの厳しさを目の前に見て、里絵は息をのんだ。
その道を、才介は選んだのだ。
私は・・・。
怖いなんて、言ってられない。
男だろうが、女だろうが、そんなことはどうだっていい。
「もう少し、走ってくる」
もうじっとしていられない。
道場の存続は約束された。
いけーっ!
と叫ぶ父の声が、頭の中でこだまする。
織姫道場の騒動は終わらない。
<了>
朝靄が立ち込める河原に立つ、二つの人影。
里絵は、土手に立つ織絵を見つけて走り寄った。
「どんな感じ?」
「あのまま。半刻は経ったかしら」
上意討ちの討手が現れ、果たし合いが行われることになった。
風が吹き、靄が次第に薄くなってきた。
双方とも、向き合ったまま動かない。
「どうして帰らなかったんだろう」
里絵がつぶやいた。
「帰れば、許されるんでしょ?」
黙って立っているのも辛くて、姉に問いかける。
「八重さまの話ではね。禄高は二百石の馬廻組だったそうよ」
「もったいない。帰ったほうが得なのにね。そうすれば、討手に狙われることもないのに」
八重もわからないと言っていた。
織絵にはわかるのだろうか。
「そうね」
姉の目は、二人に注がれたまま動かない。
少しの動きも見逃さない、といった強い意思を感じる。
「あの人は、武芸者なのよ。頭を下げて、元の家に戻るよりも、剣に生き、剣に死す生き方がしたい。そう思ったんじゃないかしら」
「・・・」
「たとえ、討たれたとしても。きっと後悔しない」
「姉上は、どうして剣を捨てたの?」
「私は武芸者じゃなかった。だから、道場を譲っても後悔しなかった。今の暮らしが楽しいわ」
「武芸者か・・・宮本武蔵みたいだね。今の師範」
織絵が苦笑した。
「どこから宮本武蔵が出てくるのよ」
「勝つよね」
「さあ、どうだか。勝敗は時の運よ」
「わかっているけど・・・」
どこにも力みがないように見える。
あの立ち姿だ。
「風のように立ってる。あのとき、姉上と立ち合ったときと同じ」
「風、ね」
柳が風に揺れるように、吹かれるままに。
また風が吹いた。
もうすっかり日がのぼって、視界が開けてきた。
まだ動かない。
「もし負けたら、どうするの? そんなことはないと思うけど」
「そうね。そのときは、道場をたたむわ。もう戻る気はないから」
「え? 嫌だ、そんなの」
思わず織絵の袖を掴んだ。
才介の結果に、道場の全てがかかっている。
「時々怖くなるんだ。いつまでこうしていられるんだろうって。小弥太はきっと、どこかにお婿さんに入って、出仕するようになるんだろうし、みんな大人になって、それぞれに生きていく。なのに、私は、どうしていいかわからない。道場がなくなったら、今日からそうなるじゃない。そんなの嫌だ」
「里・・・」
「みんなと、離れ離れになりたくない」
「里、ちゃんと見てなさい。・・・本物の立ち合いを」
「あっ」
討手が動く。
猛然と斬り込んだ。
頭上を狙って、刀を上段から振り下ろした。
右に体を傾けただけでかわす。
返す刀で二撃目が来る。
これも、体を揺らすようにしてかわした。
相手の、大きな動きに対して、最小限にしか動いていない。
しかも、軽く、しなやかな動きだ。
斬り込まれているのに、刀を構えず、打ち合おうとしない。
相手が、河原の石に足を取られ、体勢が崩れかけたときでも、その隙を突いたりしなかった。
一番いい形を狙う余裕さえ見えた。
(すごい・・・)
里絵の体が熱くなってくる。
刀は、闇雲に抜くものじゃないんだ。
己の未熟さが痛いほどに身に沁みた。
それは本当に一瞬だった。
才介の腕と一体化したような刀が、柳のようにしなり、討手に襲いかかった。
才介が刀を振るったのは、その一撃のみである。
懐紙で刃の血を拭い、鞘に収めている。
剣に生きることの厳しさを目の前に見て、里絵は息をのんだ。
その道を、才介は選んだのだ。
私は・・・。
怖いなんて、言ってられない。
男だろうが、女だろうが、そんなことはどうだっていい。
「もう少し、走ってくる」
もうじっとしていられない。
道場の存続は約束された。
いけーっ!
と叫ぶ父の声が、頭の中でこだまする。
織姫道場の騒動は終わらない。
<了>
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