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5話 対決 龍と天女
一 罠(三)
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新一郎が連れてこられたのは、奉行所ではなく、私邸だった。
座敷牢に、縄を解いて入れられた。
錠がかけられる。
「しばらくの間、姿をくらませてもらう。もちろん拷問などということもいたさぬ。取り調べではないのでな。その必要はない」
それはそうだ。
白状させるのが目的ではない。
「なんのつもりだ。消すのではないのか」
的場という浪人が、そう言っていたが。
「殺しはせぬ。殺すつもりならあの場でそうしている。同心殺しの罪を着せてな」
坂下が無表情に告げた。
「そなたが浪人のままなのは好都合。お家再興などともなれば、我らには手が出せぬところであった。もし、手にあまることがあれば、奉行所に引き渡す。月番は北町だ」
土岐は南である。
「同心殺しは間違いなく死罪。我らが手を下すこともない。・・・それが嫌なら大人しくしていることだ。そなたの腕は、度々試させてもらった。こちらも犠牲は少ない方が良いのでな」
脅しの文句をさらりと言う。
「牢とはいえ、扱いは悪くないだろう。浪人の扱いではない。貴人のように迎えよと、殿も仰せだ。くれぐれも粗相のないようにと。・・・感謝してもらいたいものだ」
この状況をありがたがれと言われても、神経を逆撫でされているようにしか思えない。
「なぜ牧の旦那を殺した。殺さずとも、あの場におれを呼び寄せることはできただろう」
坂下が、はじめて薄く口元を歪めた。
「牧は知り過ぎた。だが最後まで役に立ってくれた。そなたを信用させ、孤立させ、誘き出す。完璧なまでの仕事をしてくれた」
「嘘だ!」
思わず格子を掴んで詰め寄った。
みんな謀だというのか。
牧のあの言葉はすべて、策略だと?
以前から、もう罠にはまっていた?
だとしたら、なんと無様なのか。
悔しくて胸が痛い。
頭が混乱して、なにを信じていいかわからなくなる。
坂下が憐れむような目で見下ろした。
「信じていたのか。・・・おめでたいな」
新一郎は首を振った。
(違う。死人に口なし。信じるな。・・・敵の言うことなど信じない!)
「なぜ殺したかだと? 殺さねば、同心殺しの罪を被せられぬ。それとも、そなたに斬らせた方がよかったか」
「外道が・・・」
罵ることしかできない己が情けなかった。
そして、奉行の罠は、それだけではなかった。
「しばらくゆるりとするが良い。大人しく待っていれば、花ふぶきもまもなくこちらに参るであろう。そなたが牧を殺めたことは、町中に知れ渡る。奉行所の者が探索に動く。ここにいるとも知らずにな。それに伴って、そなたを助けようとする動きが必ずあるはずだ」
坂下の笑みが凶悪なものとなった。
「大目付を動かすほどのな。どうなるか、そこで見ているがいい」
仙次が項垂れて店に戻ってきた。
まだ、暖簾を出していない。
「どうしたの? おとっつぁん。具合悪そう。大丈夫?」
母のよねと共に開店の支度をしていたさちが駆け寄る。
「今日は店を開けられねえ。こんなんじゃ、客に飯なんざ出せねえや」
堪えていた涙がぽたぽた落ちた。
「だからどうしたって言うの?」
さちがじれったそうに先を促す。
「旦那が、・・・牧の旦那が・・・」
大の男が声を上げて泣き出した。
「ほんと、これじゃ店は無理ね」
「旦那がどうしたって?」
よねが仙次のただならぬ気配に語気を強めた。
「お亡くなりになっちまったんだよ! 八丁堀じゃえらい騒ぎになってる」
「なんですって!?」
絶句した。
「斬られたそうだ」
「それって、まさか!・・・口封じじゃ・・・」
「滅多なこと言うんじゃねえ!」
「だって、そうとしか考えられないじゃない!」
さちが声を荒げる。
お奉行さまに逆らうような探索をしていたから、という言葉を飲み込んだ。
誰かに聞かれたら大変だ。
「誰の仕業かわかってるの?」
「・・・」
仙次が口をつぐんだ。
そして、また泣き出す。
「おとっつぁん、何やってんのよ。旦那の仇を捕まえなきゃ! 岡っ引きの名折れでしょ」
さちが励ますように仙次の背中を叩いた。
「さち! おれあどうしていいかわからねえ。・・・よく聞け」
仙次は涙でぐしゃぐしゃな顔のまま、娘の肩を掴んで揺さぶった。
「奉行所は、牧の旦那を殺めたのは、新さんだと言って、探し始めている。ここにも、役人が来るかもしれねえ」
「新さん? ・・・なんで新さんなの? 新さんがそんなことするわけないじゃない!」
「聞かれても、何もしゃべるんじゃねえぞ。わかったな」
「・・・」
さちの目が、すっと細められた。据わったと言うべきか。
「そうだった。あたしったら、取り乱すとこだった。新さんなんて知らない。何も言うことなんてなかったわ」
「さち・・・」
こんなときのために、新さんはここを出て行ったのだ。
行き先を告げずに。
落ち着かなきゃ。
「で? おとっつぁんは、新さんを捕まえるの? まあ、新さんのために一度は岡っ引きをやめたんだったわね。おとっつぁんには無理でしょ」
「おめえ、何言ってんだ、親に向かって・・・だから悩んでるんじゃねえか」
「牧の旦那もいないとなれば、決まっているじゃない。お奉行さまに義理だてすることがあるかってことよ」
「まあ、そうだが・・・」
「あたしたちに、何ができるか、考えなきゃ」
「ああ。泣いている場合じゃねえやな」
さちは声をひそめた。
「これは、新さんを貶めるための罠に違いない。とうとう、始まったのね」
「おい、さち、なにをするつもりだ」
遠くを睨むように見ていたが、思い立って、前掛けを外した。
「ちょっと行ってくる」
座敷牢に、縄を解いて入れられた。
錠がかけられる。
「しばらくの間、姿をくらませてもらう。もちろん拷問などということもいたさぬ。取り調べではないのでな。その必要はない」
それはそうだ。
白状させるのが目的ではない。
「なんのつもりだ。消すのではないのか」
的場という浪人が、そう言っていたが。
「殺しはせぬ。殺すつもりならあの場でそうしている。同心殺しの罪を着せてな」
坂下が無表情に告げた。
「そなたが浪人のままなのは好都合。お家再興などともなれば、我らには手が出せぬところであった。もし、手にあまることがあれば、奉行所に引き渡す。月番は北町だ」
土岐は南である。
「同心殺しは間違いなく死罪。我らが手を下すこともない。・・・それが嫌なら大人しくしていることだ。そなたの腕は、度々試させてもらった。こちらも犠牲は少ない方が良いのでな」
脅しの文句をさらりと言う。
「牢とはいえ、扱いは悪くないだろう。浪人の扱いではない。貴人のように迎えよと、殿も仰せだ。くれぐれも粗相のないようにと。・・・感謝してもらいたいものだ」
この状況をありがたがれと言われても、神経を逆撫でされているようにしか思えない。
「なぜ牧の旦那を殺した。殺さずとも、あの場におれを呼び寄せることはできただろう」
坂下が、はじめて薄く口元を歪めた。
「牧は知り過ぎた。だが最後まで役に立ってくれた。そなたを信用させ、孤立させ、誘き出す。完璧なまでの仕事をしてくれた」
「嘘だ!」
思わず格子を掴んで詰め寄った。
みんな謀だというのか。
牧のあの言葉はすべて、策略だと?
以前から、もう罠にはまっていた?
だとしたら、なんと無様なのか。
悔しくて胸が痛い。
頭が混乱して、なにを信じていいかわからなくなる。
坂下が憐れむような目で見下ろした。
「信じていたのか。・・・おめでたいな」
新一郎は首を振った。
(違う。死人に口なし。信じるな。・・・敵の言うことなど信じない!)
「なぜ殺したかだと? 殺さねば、同心殺しの罪を被せられぬ。それとも、そなたに斬らせた方がよかったか」
「外道が・・・」
罵ることしかできない己が情けなかった。
そして、奉行の罠は、それだけではなかった。
「しばらくゆるりとするが良い。大人しく待っていれば、花ふぶきもまもなくこちらに参るであろう。そなたが牧を殺めたことは、町中に知れ渡る。奉行所の者が探索に動く。ここにいるとも知らずにな。それに伴って、そなたを助けようとする動きが必ずあるはずだ」
坂下の笑みが凶悪なものとなった。
「大目付を動かすほどのな。どうなるか、そこで見ているがいい」
仙次が項垂れて店に戻ってきた。
まだ、暖簾を出していない。
「どうしたの? おとっつぁん。具合悪そう。大丈夫?」
母のよねと共に開店の支度をしていたさちが駆け寄る。
「今日は店を開けられねえ。こんなんじゃ、客に飯なんざ出せねえや」
堪えていた涙がぽたぽた落ちた。
「だからどうしたって言うの?」
さちがじれったそうに先を促す。
「旦那が、・・・牧の旦那が・・・」
大の男が声を上げて泣き出した。
「ほんと、これじゃ店は無理ね」
「旦那がどうしたって?」
よねが仙次のただならぬ気配に語気を強めた。
「お亡くなりになっちまったんだよ! 八丁堀じゃえらい騒ぎになってる」
「なんですって!?」
絶句した。
「斬られたそうだ」
「それって、まさか!・・・口封じじゃ・・・」
「滅多なこと言うんじゃねえ!」
「だって、そうとしか考えられないじゃない!」
さちが声を荒げる。
お奉行さまに逆らうような探索をしていたから、という言葉を飲み込んだ。
誰かに聞かれたら大変だ。
「誰の仕業かわかってるの?」
「・・・」
仙次が口をつぐんだ。
そして、また泣き出す。
「おとっつぁん、何やってんのよ。旦那の仇を捕まえなきゃ! 岡っ引きの名折れでしょ」
さちが励ますように仙次の背中を叩いた。
「さち! おれあどうしていいかわからねえ。・・・よく聞け」
仙次は涙でぐしゃぐしゃな顔のまま、娘の肩を掴んで揺さぶった。
「奉行所は、牧の旦那を殺めたのは、新さんだと言って、探し始めている。ここにも、役人が来るかもしれねえ」
「新さん? ・・・なんで新さんなの? 新さんがそんなことするわけないじゃない!」
「聞かれても、何もしゃべるんじゃねえぞ。わかったな」
「・・・」
さちの目が、すっと細められた。据わったと言うべきか。
「そうだった。あたしったら、取り乱すとこだった。新さんなんて知らない。何も言うことなんてなかったわ」
「さち・・・」
こんなときのために、新さんはここを出て行ったのだ。
行き先を告げずに。
落ち着かなきゃ。
「で? おとっつぁんは、新さんを捕まえるの? まあ、新さんのために一度は岡っ引きをやめたんだったわね。おとっつぁんには無理でしょ」
「おめえ、何言ってんだ、親に向かって・・・だから悩んでるんじゃねえか」
「牧の旦那もいないとなれば、決まっているじゃない。お奉行さまに義理だてすることがあるかってことよ」
「まあ、そうだが・・・」
「あたしたちに、何ができるか、考えなきゃ」
「ああ。泣いている場合じゃねえやな」
さちは声をひそめた。
「これは、新さんを貶めるための罠に違いない。とうとう、始まったのね」
「おい、さち、なにをするつもりだ」
遠くを睨むように見ていたが、思い立って、前掛けを外した。
「ちょっと行ってくる」
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