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5話 対決 龍と天女
一 罠(一)
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新一郎が身を寄せたのは、神谷道場で兄弟子だった、清水の道場だった。
神谷道場はすでになく、高弟たちがそれぞれに道場を開いていて、清水もその一人だ。
五年前に神谷先生が亡くなり、道場がなくなるとき、一緒にやらないかと声をかけてくれたのが清水だった。
そのときは、なぜか気が乗らなくて、断ったのだが、清水はそのことをまったく気にしていなかった。
中立的な立ち位置だった新一郎は、そのとき、高弟の誰にもついていかなかった。
道場暮らしではなく、仙次についていくことを選んだのだ。
「どうしたんだ、立花。久しいな」
「ご無沙汰しております」
八つ年上の清水は、当時から、少し崩れたところがあって、近寄りがたい雰囲気を醸し出していたのだが、あれから五年経って、一匹狼のように己の流儀を曲げずに、おもねっていない感じがかえって親しみやすいと感じるようになっている。
大人になった、ということだろうか。
「あのとき一緒に来なくてよかったぞ。この通り、道場も繁盛しておらんし、ならず者の集まりのようになっているからな」
と、豪快に笑った。
先ほど少し、道場を覗いたが、類は友を呼ぶのたとえ通り、浪人に近い身なりの御家人の子弟、渡世人のような目つきの鋭い者が多いようだった。
「どこかに仕官でもしていたか。で? しくじって浪人になって、行くところもない、で、おれのところに来た」
と、目を細めて、新一郎の顔色を注意深く探るように見る。
「そんなところです」
「真面目なお前がしくじるようには見えんが、悪いやつに騙されたか、女に引っかかったか、人の罪でも代わりに被ったとか、そんなところか?」
「まあ・・・」
「どれかだろう? まあいいや。誰かに追われている、とかな」
ニヤニヤと、人の不幸を楽しむように笑っている。
「・・・」
「言いたくなければいいけどな。ここは大身のやつはいねえし、気楽にしろや。銭は出せねえが、たまに門人に稽古でもつけてもらえればいい。お前が稽古をつけてくれればちっとは道場らしくなるだろう。おれは、人に教えるというのがどうも苦手でな。実は助かる。・・・腕は落ちてねえだろうな」
「後で確かめてください」
「おう、試してやる」
根掘り葉掘り聞かないところも都合がよかった。
「こちらは昔同門だった立花だ。おめえたちに敵うかどうか、腕試ししたいやつは立ちあってみろ」
思い思いに稽古していた門人たちは、突然現れた侍を、値踏みするように眺めた。
新一郎は、壁にかけてある木刀を一本とり、素振りをくれて感触を確かめる。
「どうした! 日頃の鍛錬の成果を見せてみろ!」
清水が門人たちを鼓舞するように、声をかけた。
「やあっ!」
いきなりそばにいた門人が打ち込んできた。
木刀で受けて、押し戻すと、あっけなく後ろに飛んだ。
それが呼水となって、次々に、いや、束になってかかってきた。
試合というより、喧嘩に近い。
多勢に無勢だが、新一郎は、門人たちの間を縫うようにして、動いた。
ある者は竹刀を叩き落とし、胴に打ち込み、肩を打ち、小手を打った。
手加減しているが、何人かが床に転がり起き上がれない。
「ほう、なかなかのものだな。以前より凄みが増したな」
清水の目が光る。
「こら! もう終わりか! だらしねえぞ、おめえら! 立花に鍛えなおしてもらえ!」
と喚いた。
ひと月ほどがまたたく間に過ぎた。
立花家からも、仙次たちからも離れて過ごすのは、十年前に屋敷を出て、神谷道場で暮らすことになったときと似ている。
その間、何事も起こらなかった。
起こっていても、ここまで届かないのかもしれない。
それは、花ふぶきの名が独り歩きし、虎視眈々と狙うものが水面下で食指を伸ばしていたのに気づかずにいた、ほんの数ヶ月前の己の姿とも重なる。
だが、今は何も知らずにいたその頃とは違う。
(本当に、このままでいいのか・・・)
焦りが時々抑えきれなくなって、門人たちに厳しく当たってしまうことがあった。
体を動かしていると紛れるので、新一郎は、ほとんど休みなく道場に出ている。
新一郎が出ることで、道場の雰囲気が以前とは変わってきて、清水が言ったように、ならず者の集まりではなくなってきた。
だが、逆に、新一郎の雰囲気は、以前よりもまして浪人らしくなっていくようだった。
己の指導でコツを掴み、上達していく門人たちを見ているのは楽しい。
許されるのなら、このままここにいて、道場を手伝うのもありだなと思い始めている。
しかし、そんな思いなどお構いなしに、やはり水面下で何かが動いていた。
牧からの文が届けられたのだ。
話したいことがあり、今夜組屋敷に来てほしい、という内容だった。
神谷道場はすでになく、高弟たちがそれぞれに道場を開いていて、清水もその一人だ。
五年前に神谷先生が亡くなり、道場がなくなるとき、一緒にやらないかと声をかけてくれたのが清水だった。
そのときは、なぜか気が乗らなくて、断ったのだが、清水はそのことをまったく気にしていなかった。
中立的な立ち位置だった新一郎は、そのとき、高弟の誰にもついていかなかった。
道場暮らしではなく、仙次についていくことを選んだのだ。
「どうしたんだ、立花。久しいな」
「ご無沙汰しております」
八つ年上の清水は、当時から、少し崩れたところがあって、近寄りがたい雰囲気を醸し出していたのだが、あれから五年経って、一匹狼のように己の流儀を曲げずに、おもねっていない感じがかえって親しみやすいと感じるようになっている。
大人になった、ということだろうか。
「あのとき一緒に来なくてよかったぞ。この通り、道場も繁盛しておらんし、ならず者の集まりのようになっているからな」
と、豪快に笑った。
先ほど少し、道場を覗いたが、類は友を呼ぶのたとえ通り、浪人に近い身なりの御家人の子弟、渡世人のような目つきの鋭い者が多いようだった。
「どこかに仕官でもしていたか。で? しくじって浪人になって、行くところもない、で、おれのところに来た」
と、目を細めて、新一郎の顔色を注意深く探るように見る。
「そんなところです」
「真面目なお前がしくじるようには見えんが、悪いやつに騙されたか、女に引っかかったか、人の罪でも代わりに被ったとか、そんなところか?」
「まあ・・・」
「どれかだろう? まあいいや。誰かに追われている、とかな」
ニヤニヤと、人の不幸を楽しむように笑っている。
「・・・」
「言いたくなければいいけどな。ここは大身のやつはいねえし、気楽にしろや。銭は出せねえが、たまに門人に稽古でもつけてもらえればいい。お前が稽古をつけてくれればちっとは道場らしくなるだろう。おれは、人に教えるというのがどうも苦手でな。実は助かる。・・・腕は落ちてねえだろうな」
「後で確かめてください」
「おう、試してやる」
根掘り葉掘り聞かないところも都合がよかった。
「こちらは昔同門だった立花だ。おめえたちに敵うかどうか、腕試ししたいやつは立ちあってみろ」
思い思いに稽古していた門人たちは、突然現れた侍を、値踏みするように眺めた。
新一郎は、壁にかけてある木刀を一本とり、素振りをくれて感触を確かめる。
「どうした! 日頃の鍛錬の成果を見せてみろ!」
清水が門人たちを鼓舞するように、声をかけた。
「やあっ!」
いきなりそばにいた門人が打ち込んできた。
木刀で受けて、押し戻すと、あっけなく後ろに飛んだ。
それが呼水となって、次々に、いや、束になってかかってきた。
試合というより、喧嘩に近い。
多勢に無勢だが、新一郎は、門人たちの間を縫うようにして、動いた。
ある者は竹刀を叩き落とし、胴に打ち込み、肩を打ち、小手を打った。
手加減しているが、何人かが床に転がり起き上がれない。
「ほう、なかなかのものだな。以前より凄みが増したな」
清水の目が光る。
「こら! もう終わりか! だらしねえぞ、おめえら! 立花に鍛えなおしてもらえ!」
と喚いた。
ひと月ほどがまたたく間に過ぎた。
立花家からも、仙次たちからも離れて過ごすのは、十年前に屋敷を出て、神谷道場で暮らすことになったときと似ている。
その間、何事も起こらなかった。
起こっていても、ここまで届かないのかもしれない。
それは、花ふぶきの名が独り歩きし、虎視眈々と狙うものが水面下で食指を伸ばしていたのに気づかずにいた、ほんの数ヶ月前の己の姿とも重なる。
だが、今は何も知らずにいたその頃とは違う。
(本当に、このままでいいのか・・・)
焦りが時々抑えきれなくなって、門人たちに厳しく当たってしまうことがあった。
体を動かしていると紛れるので、新一郎は、ほとんど休みなく道場に出ている。
新一郎が出ることで、道場の雰囲気が以前とは変わってきて、清水が言ったように、ならず者の集まりではなくなってきた。
だが、逆に、新一郎の雰囲気は、以前よりもまして浪人らしくなっていくようだった。
己の指導でコツを掴み、上達していく門人たちを見ているのは楽しい。
許されるのなら、このままここにいて、道場を手伝うのもありだなと思い始めている。
しかし、そんな思いなどお構いなしに、やはり水面下で何かが動いていた。
牧からの文が届けられたのだ。
話したいことがあり、今夜組屋敷に来てほしい、という内容だった。
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