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4話 天女の行方
一 奪われた相州伝(三)
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淡路屋からの使いが来たとき、洋三郎は往診からちょうど戻ってきたところだった。
知らせに来た手代が、血相を変え、泣きながら来て欲しいと言う。
これはただ事ではないと背筋が凍った。
晒をたくさん用意するように手代に頼み、先に行かせ、道具箱を持って出た。
仙次の店に寄る。
「さちさん、荘兄が襲われた。さちさんも来てくれませんか。身重のおきくさんが心配だ」
「そいつは大変だ。行ってやれ」
仙次が先に反応した。
「うん。わかったわ」
客が何人かいたが、前掛けを外しながら、さちが頷いた。
走った。
そんなに慌ててどうしたんだ。と、笑っていて欲しかった。
嫌な予感がして、怖くて、もう泣きながら走った。
「荘兄!」
断りもせずに座敷に上がる。
おきくなのか、泣き声が聞こえてくる。
遅かったのか?
泣き声が尋常じゃない。
半狂乱と言ってもいいくらいに、取り乱したおきくの声。
部屋に入り、寝かされた荘次郎を見て、息を呑んだ。
「荘兄!」
呼びかけても反応がない。
意識を失っている。
が、息はある。
「みんな、部屋を出て。一人だけ、誰か手伝ってください」
「あたしが」
到着したさちが、息をはずませながら前に出る。
おきくは、父と母に抱きかかえられるようにして部屋を出、さちが、心配そうにしている店の者たちも、外に出し、戸を閉めた。
「酷すぎる」
思わず嗚咽が漏れる。
こんなの見せられたら、正気じゃいられない。
体の状態を確かめていく。
顔が腫れて人相が変わっている。
頭の骨、首、肩、肋骨、背骨・・・。
腕から指まで、正しい位置に直していく。
「おれ、医者失格だ・・・」
冷静でいられない。
悔しくて涙を流しながら、嗚咽しながら、血と汚れをを綺麗に拭き取り、折れている箇所は布で固定していく。
頭から、上半身はほとんど見えないくらいに布を巻いた。
「そんなことないわ。洋三郎さんに診てもらって、荘次郎さんきっと喜んでるはず」
「へったくそって言ってるよ」
「先生、今、八丁堀の旦那が・・・」
障子の向こうで店の者が声をかけてきた。
「なに?」
さちと顔を見合わせる。
同心が来るのは当然なのだが、とてもじゃないが歓迎できない。
洋三郎は立ち上がり、部屋を出ていった。
荘次郎が眠るこの部屋には入れられない。
「何しに来たんだ」
牧の旦那を目の前にして、いきなり喧嘩腰に言った。
廊下で鉢合わせた。
冷静さを欠いている今、抑えが効かない。
「荘次郎さんはご無事ですか。とんだ災難でしたな」
「あんたたちの仕業じゃないのか?」
「まさか。何をおっしゃるやら・・・」
牧が苦笑している。
「武蔵屋さんにも確認は取れました。盗まれたのは相州伝に間違いないようです。白昼堂々と襲うとは」
「だから、あんたたちだろう」
「町を守るのが我々の役目ですよ。言いがかりはやめていただこう」
牧の目が鋭くなった。
「白昼の通りでの犯行は目撃者も多く、発見も早い。これは、脅しでもあるでしょうな」
「脅し?」
「ただ奪うだけなら、人目につかないところでさっさと殺してしまった方が早い。それをわざわざ人に見られる通りでの強行だ。殺しが目的でもない。・・・だとすれば、あれしかないでしょう」
「下手人に心当たりはあるのですか?」
「それはこちらがお聞きしたい」
「言ってもいいのですか?」
「・・・」
睨み合った。
「本当に関わってないと言い切れるのか!」
洋三郎が堪え切れずに、牧の胸ぐらを掴みにいく。
締め上げているせいで、牧が咳き込んだ。
ついてきた岡っ引きが、洋三郎を引き離した。
「やめないか!それ以上やると、しょっぴくぞ!」
と、すごむのを手で制して、牧が前に出る。
「それがしを信用できないのも無理はないでしょう。・・・しかし、これは、町方の事件。下手人は必ずあげてみせますよ」
言い切る牧の気迫に押された。
「・・・」
お大事に、と言い置いて、牧は去った。
「下手人の探索は、牧の旦那に任せよう」
荘次郎の枕元で洋三郎が言った。
悔しいけれど、信用してもいいと思ってしまった。
新兄を甘いと責められない。
「それがいいわ。あの方は、ああ見えて優秀よ。仕事に手をぬくことはない」
さちが頷く。
「味方なら、本当に心強いんだけど」
「荘兄は、落ち着いているようだから、新兄に知らせてくる。あとはお願いします」
「洋三郎さんは動かない方がいいんじゃ。荘次郎さんのそばについていてあげて」
「いや、おれが行かなきゃ。荘兄の状態も話しておきたいし」
「わかった。気をつけて」
武家地に入ると、人気がなくなり、つけられている気配をはっきりと感じ取れた。
微かな足音が、付かず離れずついてくる。
(くそっ!荘兄を酷い目に合わせた奴らか・・・)
荘兄は、相州伝を持っていたから反撃できなかった。
だが、おれは何も持っていない。
応戦できる。
走った。
手近な路地に入り、向こうの道に出て、また走る。
それを何度か繰り返した。
でも、行き先が知られているなら、あまり意味はない。
(早く屋敷に・・・)
まっすぐ駆け込んだ方がいい。
つけてくる気配がないか、立ち止まった。
そのとき、背中に誰かがぶつかってきた。
と同時に、右の背中の肋骨の下あたりに、焼け付くような痛みを感じた。
(そう、きたか・・・)
刃物で抉られる感触。
振り向くこともできなかった。
肩を押されて前に倒れた。
止めは刺してこなかった。
そのまま逃げたらしい。
前なら押さえられるのに、後ろでは何もできない。
(早く・・・新兄・・・)
足に力が入らず、立ち上がれない。
虫のように這って進んだ。
(すぐそこなのに・・・)
手足の感覚がなくなってきて、体が動いているのかどうかわからなくなってくる。
(早く・・・)
知らせに来た手代が、血相を変え、泣きながら来て欲しいと言う。
これはただ事ではないと背筋が凍った。
晒をたくさん用意するように手代に頼み、先に行かせ、道具箱を持って出た。
仙次の店に寄る。
「さちさん、荘兄が襲われた。さちさんも来てくれませんか。身重のおきくさんが心配だ」
「そいつは大変だ。行ってやれ」
仙次が先に反応した。
「うん。わかったわ」
客が何人かいたが、前掛けを外しながら、さちが頷いた。
走った。
そんなに慌ててどうしたんだ。と、笑っていて欲しかった。
嫌な予感がして、怖くて、もう泣きながら走った。
「荘兄!」
断りもせずに座敷に上がる。
おきくなのか、泣き声が聞こえてくる。
遅かったのか?
泣き声が尋常じゃない。
半狂乱と言ってもいいくらいに、取り乱したおきくの声。
部屋に入り、寝かされた荘次郎を見て、息を呑んだ。
「荘兄!」
呼びかけても反応がない。
意識を失っている。
が、息はある。
「みんな、部屋を出て。一人だけ、誰か手伝ってください」
「あたしが」
到着したさちが、息をはずませながら前に出る。
おきくは、父と母に抱きかかえられるようにして部屋を出、さちが、心配そうにしている店の者たちも、外に出し、戸を閉めた。
「酷すぎる」
思わず嗚咽が漏れる。
こんなの見せられたら、正気じゃいられない。
体の状態を確かめていく。
顔が腫れて人相が変わっている。
頭の骨、首、肩、肋骨、背骨・・・。
腕から指まで、正しい位置に直していく。
「おれ、医者失格だ・・・」
冷静でいられない。
悔しくて涙を流しながら、嗚咽しながら、血と汚れをを綺麗に拭き取り、折れている箇所は布で固定していく。
頭から、上半身はほとんど見えないくらいに布を巻いた。
「そんなことないわ。洋三郎さんに診てもらって、荘次郎さんきっと喜んでるはず」
「へったくそって言ってるよ」
「先生、今、八丁堀の旦那が・・・」
障子の向こうで店の者が声をかけてきた。
「なに?」
さちと顔を見合わせる。
同心が来るのは当然なのだが、とてもじゃないが歓迎できない。
洋三郎は立ち上がり、部屋を出ていった。
荘次郎が眠るこの部屋には入れられない。
「何しに来たんだ」
牧の旦那を目の前にして、いきなり喧嘩腰に言った。
廊下で鉢合わせた。
冷静さを欠いている今、抑えが効かない。
「荘次郎さんはご無事ですか。とんだ災難でしたな」
「あんたたちの仕業じゃないのか?」
「まさか。何をおっしゃるやら・・・」
牧が苦笑している。
「武蔵屋さんにも確認は取れました。盗まれたのは相州伝に間違いないようです。白昼堂々と襲うとは」
「だから、あんたたちだろう」
「町を守るのが我々の役目ですよ。言いがかりはやめていただこう」
牧の目が鋭くなった。
「白昼の通りでの犯行は目撃者も多く、発見も早い。これは、脅しでもあるでしょうな」
「脅し?」
「ただ奪うだけなら、人目につかないところでさっさと殺してしまった方が早い。それをわざわざ人に見られる通りでの強行だ。殺しが目的でもない。・・・だとすれば、あれしかないでしょう」
「下手人に心当たりはあるのですか?」
「それはこちらがお聞きしたい」
「言ってもいいのですか?」
「・・・」
睨み合った。
「本当に関わってないと言い切れるのか!」
洋三郎が堪え切れずに、牧の胸ぐらを掴みにいく。
締め上げているせいで、牧が咳き込んだ。
ついてきた岡っ引きが、洋三郎を引き離した。
「やめないか!それ以上やると、しょっぴくぞ!」
と、すごむのを手で制して、牧が前に出る。
「それがしを信用できないのも無理はないでしょう。・・・しかし、これは、町方の事件。下手人は必ずあげてみせますよ」
言い切る牧の気迫に押された。
「・・・」
お大事に、と言い置いて、牧は去った。
「下手人の探索は、牧の旦那に任せよう」
荘次郎の枕元で洋三郎が言った。
悔しいけれど、信用してもいいと思ってしまった。
新兄を甘いと責められない。
「それがいいわ。あの方は、ああ見えて優秀よ。仕事に手をぬくことはない」
さちが頷く。
「味方なら、本当に心強いんだけど」
「荘兄は、落ち着いているようだから、新兄に知らせてくる。あとはお願いします」
「洋三郎さんは動かない方がいいんじゃ。荘次郎さんのそばについていてあげて」
「いや、おれが行かなきゃ。荘兄の状態も話しておきたいし」
「わかった。気をつけて」
武家地に入ると、人気がなくなり、つけられている気配をはっきりと感じ取れた。
微かな足音が、付かず離れずついてくる。
(くそっ!荘兄を酷い目に合わせた奴らか・・・)
荘兄は、相州伝を持っていたから反撃できなかった。
だが、おれは何も持っていない。
応戦できる。
走った。
手近な路地に入り、向こうの道に出て、また走る。
それを何度か繰り返した。
でも、行き先が知られているなら、あまり意味はない。
(早く屋敷に・・・)
まっすぐ駆け込んだ方がいい。
つけてくる気配がないか、立ち止まった。
そのとき、背中に誰かがぶつかってきた。
と同時に、右の背中の肋骨の下あたりに、焼け付くような痛みを感じた。
(そう、きたか・・・)
刃物で抉られる感触。
振り向くこともできなかった。
肩を押されて前に倒れた。
止めは刺してこなかった。
そのまま逃げたらしい。
前なら押さえられるのに、後ろでは何もできない。
(早く・・・新兄・・・)
足に力が入らず、立ち上がれない。
虫のように這って進んだ。
(すぐそこなのに・・・)
手足の感覚がなくなってきて、体が動いているのかどうかわからなくなってくる。
(早く・・・)
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