隠れ刀 花ふぶき

鍛冶谷みの

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1話 四兄妹

二 荘次郎の飛び道具(五)   

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 弓は、奉公の邪魔になるので、武蔵屋に預かってもらっていた。

 たまの休みに武蔵屋に行き、稽古してきた。

 的に集中する刻は、落ち着き、頭がすっきりし、考えもまとまり、本来の自分に戻れる。

 妬まれ、いじめられて辛い時も、
 お嬢さまに好かれて、嬉しくて胸が躍る時も、程よく静めてくれた。

 淡路屋に弓を持ち込んで引くのは初めてだった。
 ずっと隠していたからだ。
 裏庭の木に、丸い的を吊るして、荘次郎は弓を引いていた。

 おきくが物珍しげに、かっこいいー!としきりに手を叩いて褒めていたが、じきに飽きたとみえて引っ込んだ。

「若旦那さま。用心棒のご浪人さまがおいでになりました」
 と店の方から小僧が知らせに来た。
「用心棒?八丁堀の旦那の紹介だと言ってたか?」
 一応確かめてみる。
「はい。そのようにおっしゃっていました」
「そうか。じゃあ、庭の方に回って来てもらっておくれ」

 牧がどんな浪人者を送り込んできたのか、興味津々だった。

 ちょっと脅かしてやろうか。

 どれほどの腕を持っているのか試してみたかった。

 うなぎの寝床のような家なので、庭も細長くて狭い。
 その長さを利用して、急拵えでも、わりにいい稽古場になっている。

 足音が近づいてくる。
 矢を取り、弓を構えた。
 弦を引く。
 背後の人の気配が止まった。
「弓か・・・」
 のんびりと低い声がした。
 放たれた矢は、的に突き立った。
「さすがだ。腕が上がったんじゃないかな。・・・荘次郎だろ?立花新一郎と申す。・・・こちらで雇ってもらえるだろうか」
「・・・」
 素早く矢をつがえて脅してやろうと思ったのに、肩が波打って振り返られなかった。
 ようやく振り向いて声の主を見たが、涙でぼやけてしまっている。
「兄上・・・?」
 両手が塞がっていて、流れる涙が頬を伝い落ちるままだ。

 目で確かめるよりも先に、体がわかっていた。
 声は低くなっているが、話し方が兄のものだった。
 用心棒というと、尾羽打ちからした浪人を思い浮かべるが、目の前に立った新一郎は、総髪で身なりは粗末だが、うらぶれた感じはない。
 どことなく品があって、柔らかく穏やかな雰囲気は変わっていなかった。
 はにかんだ笑みを浮かべて言った。
「相変わらずの男前だな。兄弟の中で一番賢くてモテる男だと思っていたが、その通りだった。お店の主人になっていたとは驚いたな」
「よく言うよ。この顔のどこが男前だよ」
 涙でぐちゃぐちゃなのに・・・。

 悪いことと、いいことは同時に起こるものらしい。


 夜。
 おきくは父母と共に寝てもらうことにし、荘次郎は、兄と寝所にいる。
 布団は一つだ。
 新一郎は寝ずの番をするのだ。

「あいつが先に兄上と接触していたのか」
 荘次郎は、八丁堀の旦那をあいつ呼ばわりした。
 人物は保証すると自信たっぷりに言っていたのを思い出す。
 知っていて黙っているなんて、人が悪い。
「なんとなくだが、胡散臭くないか?」
「信用していいか、おれもよくわからなかったが、一人では埒があかんと思って乗ったんだ。今では良かったと思っている」
「刀好きが厄介だな」
「確かにな。牧の旦那は、おれたちを使って花ふぶきを手に入れたいんじゃないかな」
「それは確実だ」
 二人で頷き、笑い合った。
 こんなふうに二人で話し合えることに喜びが湧いてきて、油断すると目頭が熱くなってくる。
 独りになったんじゃない。
 この喜びを、洋三郎にも、波蕗にも味わって欲しかった。

「早く寝た方がいいぞ」
 と、新一郎が言うが、興奮して寝られそうになかった。
 話したいことはたくさんあった。

「心配なのは、波蕗だ」
 洋三郎が花ふぶきの持ち主ではないとわかったとき、波蕗に牙が集中してしまう。
 荘次郎のように、無いと突っぱねられないからだ。
 自分たちが先に波蕗を見つけなければ、力づくで奪いに来る者たちから守ることができない。
「早く探しださければな」
 新一郎の顔も曇った。

「なぜ今頃になって、花ふぶきが狙われるんだと思う?」
「内通する者がいるんだと思う。旦那が言っていたんだ。金が動くと。金に困った誰かが漏らしたんじゃないか。そうでなければ、花ふぶきのことが漏れるはずがない」
「金か。思い当たらないな。とにかく急がねばならんな。今はおれたちの力を結集する時だ。やはり八丁堀の旦那の力を借りるしかない。・・・もう灯りを消すぞ。いつまでも明るいと賊も来れんだろう。おれは外に出ている」
「悪いな、兄上」
「なに、これがおれの仕事だ」

 この日は何も起こらず、朝になった。


「おまえさまのお顔が明るくなりました。お兄さまにはずっといてもらいましょうよ」
 朝餉の膳を運んできたおきくが、そのまま居座っている。
 昨日、用心棒は生き別れになっていた兄だと紹介したとき、すごい偶然だと自分のことのように喜んでいたおきくだった。
 新一郎はかしこまってきちんと正座し、黙々と箸を動かしていた。
 その微動だにしない姿に、思わず笑みがこぼれてしまう。
 おきくも見惚れてしまっている。
 浪人者とは思えない上品な食べっぷりに、育ちの良さが滲んでいて、先ほどの言葉が自然と出てしまうのだ。
「どうする?兄上。良かったらここに住みなよ」
 新一郎が首を振っている。
 食べ終わって箸を置き、手を合わせた。
「ご馳走さまでした。かたじけのうござる」
 頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそ、お粗末さまでございました」
 おきくもつられて頭を下げている。
 荘次郎は堪えきれなくなって笑い出した。

 新一郎は湯呑みを取り上げてお茶を飲んだ。
「ありがたいが、おれは用心棒だ。仕事が終われば用はなくなる」
 荘次郎は頷いた。
「わかってる。ちょっと言ってみただけだよ」
「残念だわ。ゆっくりお休みになって下さいね」
 新一郎は今から一眠りする。
「おまえさまは今日からちゃんとお店に出て下さいましね」
 おきくの口調は、先ほどの新一郎に対するものとは違って尖っていた。

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