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3.恋する特製カレーオムライス
3ー8
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「客想いなのはいいが、あまり煮詰めるとあとでおまえがしんどくなるんだからな」
持っていたモップを壁に立て掛けると、晃さんは厨房の方へ入っていった。
晃さんの姿が完全に厨房の中へ消えたのを見届けて、私は小さく息を吐き出した。
霊たちの抱える事情は様々だ。
案外あっさり解決できる未練もあれば、どうしたって不可能な未練もある。
どうにかしたいからといって、成仏できないぐらいに抱えている“想い”というものに首を突っ込みすぎると、こちらも精神的負荷が大きくなる。
私がここで働きはじめた頃、晃さんが気をつけろと注意を促して来たけれど、事情を知ってしまうと放っておけないのだから仕方ない。
しばらくしてゴトンと目の前で音がしたかと思えば、私の前に抹茶色のかき氷が置かれていた。
抹茶のシロップがたくさんかかったかき氷の横には贅沢にあんこと白玉と乗せられている。
「ほら、ちょっとはこれ食って気分転換しろ」
「いいんですか!? ありがとうございます」
もしかしてさっき厨房の中に入っていったのは、私にこれを作ってくれるためだったのだろうか。
「おまえは一人じゃない。俺らはおまえの味方なんだから、一人で抱え込み過ぎるなよ」
そんなことを言われて、何だか泣きたくなるくらいに胸がきゅうっとなるようだった。
何だかんだで、晃さんは優しい。
「それ食ったら、何も考えずに部屋戻って寝ろ。昨日は清美さんと一緒だったから、結局休むに休めなかっただろ。時間になったら起こしに行ってやるから」
その場は異論を唱えることもできず、私は目の前のかき氷に集中しようとする。
だけど気が緩むとすぐに清美さんのことが頭の中を過るのだから、これを食べて部屋に戻ったところで、どうせろくに眠ることなんてできないんだろうなと思った。
*
日が暮れて、団体客がぞろぞろとむすび屋に戻ってくる。
昨日は全員がむすび屋での宴会に参加していたのに対し、今晩と明日の夜は希望者だけが食事を取ることになっている。
肝心の清美さんは昼間は出払っていた。私は結局眠ることができずに一人で黙々と考えていたけれど、何ひとつこたえが出ないまま仕事の時間がきてしまった。
明後日には団体客はみんな帰ってしまうというのに、未だ解決の見込みはない。
食堂の混雑のピークが落ち着いて、チャチャの夜ご飯のお皿を回収しにはなれの方へ行くために歩いていると、庭の方から誰かの話し声が聞こえてきた。
「ねえ、私のこと、好きなんだよね?」
角を曲がったところで、遠目に男女二人の姿が見えて思わず建物の陰に隠れた。
そうしているうちに、女の人はどんどんヒートアップしていく。
断片的だし、途中からしか聞いてないけれど、恐らくこれは告白現場だ。
状況的に盗み聞きみたいになってしまったけれど、一旦隠れてしまった以上下手に動けない。
「好きか嫌いか聞かれたら、静のことは好きだと思う。でも、付き合えない……本当に、ごめん」
「私のことが好きなら付き合ってくれたっていいじゃない。納得のいく理由が聞きたいんだけど」
「俺の気持ちのせい、かな」
「何よ、それ。……もういいっ!」
感情的に叫ぶ女の人の声が聞こえた直後、こちらにスーツ姿の女性が駆け込んできた。静さんだ。
まずいとは思ったけれど、隠れる時間も逃げる場所もなくて立ち尽くす。
さすがに今の聞いてたのバレたよね……。
内心盗み聞きしていた後ろめたさと、怒りの矛先がこちらに向くのではないかという心配で酷く緊張する。
だけど、静さんは建物の陰にいた私に目もくれることなく、カツカツとヒールの音を鳴らしながら走っていってしまった。
去っていく後ろ姿を呆然と見送っていると、背後から音が聞こえて振り向く。
「あ、すみません。ここ、もしかして立ち入り禁止でしたか?」
そこには先ほどまで難しい顔をしていた史也さんがいた。私が静さんを見ている間に、近くに来ていたようだ。
「あ、いえ。そんなこと、ないですけど……」
動揺してしどろもどろになってしまった。
二人が話していた場所はお客さんの出入りを禁止しているわけではないけれど、特別凝った庭でもないからか、実際に庭に出る人はほとんどいない。
それこそ昨日、清美さんがそこの生垣の上に座っていたくらいだ。
「もしかして今の聞かれてましたか。お恥ずかしいところを見せて申し訳ないです」
「……すみません」
恥ずかしそうに頭を掻く史也さんに言い逃れもできず、素直に頭を下げる。
気まずさから目を合わせられずにいると、気にした様子もなく史也さんが続ける。
「可能なら、僕のことを叱ってもらえませんか?」
「はい……?」
一体どういうことだろう。
ハッと思って史也さんの周りに目を泳がせるけれど、どこにも清美さんの姿は見えない。
「……初対面の人間にこんなことを言われても困りますよね。無茶言ってすみません」
「いえ。ご希望に添えるかどうかはわかりませんが、お話を聞くくらいでしたら」
私の返事に、史也さんは思い詰めていた顔を僅かに緩めた。
持っていたモップを壁に立て掛けると、晃さんは厨房の方へ入っていった。
晃さんの姿が完全に厨房の中へ消えたのを見届けて、私は小さく息を吐き出した。
霊たちの抱える事情は様々だ。
案外あっさり解決できる未練もあれば、どうしたって不可能な未練もある。
どうにかしたいからといって、成仏できないぐらいに抱えている“想い”というものに首を突っ込みすぎると、こちらも精神的負荷が大きくなる。
私がここで働きはじめた頃、晃さんが気をつけろと注意を促して来たけれど、事情を知ってしまうと放っておけないのだから仕方ない。
しばらくしてゴトンと目の前で音がしたかと思えば、私の前に抹茶色のかき氷が置かれていた。
抹茶のシロップがたくさんかかったかき氷の横には贅沢にあんこと白玉と乗せられている。
「ほら、ちょっとはこれ食って気分転換しろ」
「いいんですか!? ありがとうございます」
もしかしてさっき厨房の中に入っていったのは、私にこれを作ってくれるためだったのだろうか。
「おまえは一人じゃない。俺らはおまえの味方なんだから、一人で抱え込み過ぎるなよ」
そんなことを言われて、何だか泣きたくなるくらいに胸がきゅうっとなるようだった。
何だかんだで、晃さんは優しい。
「それ食ったら、何も考えずに部屋戻って寝ろ。昨日は清美さんと一緒だったから、結局休むに休めなかっただろ。時間になったら起こしに行ってやるから」
その場は異論を唱えることもできず、私は目の前のかき氷に集中しようとする。
だけど気が緩むとすぐに清美さんのことが頭の中を過るのだから、これを食べて部屋に戻ったところで、どうせろくに眠ることなんてできないんだろうなと思った。
*
日が暮れて、団体客がぞろぞろとむすび屋に戻ってくる。
昨日は全員がむすび屋での宴会に参加していたのに対し、今晩と明日の夜は希望者だけが食事を取ることになっている。
肝心の清美さんは昼間は出払っていた。私は結局眠ることができずに一人で黙々と考えていたけれど、何ひとつこたえが出ないまま仕事の時間がきてしまった。
明後日には団体客はみんな帰ってしまうというのに、未だ解決の見込みはない。
食堂の混雑のピークが落ち着いて、チャチャの夜ご飯のお皿を回収しにはなれの方へ行くために歩いていると、庭の方から誰かの話し声が聞こえてきた。
「ねえ、私のこと、好きなんだよね?」
角を曲がったところで、遠目に男女二人の姿が見えて思わず建物の陰に隠れた。
そうしているうちに、女の人はどんどんヒートアップしていく。
断片的だし、途中からしか聞いてないけれど、恐らくこれは告白現場だ。
状況的に盗み聞きみたいになってしまったけれど、一旦隠れてしまった以上下手に動けない。
「好きか嫌いか聞かれたら、静のことは好きだと思う。でも、付き合えない……本当に、ごめん」
「私のことが好きなら付き合ってくれたっていいじゃない。納得のいく理由が聞きたいんだけど」
「俺の気持ちのせい、かな」
「何よ、それ。……もういいっ!」
感情的に叫ぶ女の人の声が聞こえた直後、こちらにスーツ姿の女性が駆け込んできた。静さんだ。
まずいとは思ったけれど、隠れる時間も逃げる場所もなくて立ち尽くす。
さすがに今の聞いてたのバレたよね……。
内心盗み聞きしていた後ろめたさと、怒りの矛先がこちらに向くのではないかという心配で酷く緊張する。
だけど、静さんは建物の陰にいた私に目もくれることなく、カツカツとヒールの音を鳴らしながら走っていってしまった。
去っていく後ろ姿を呆然と見送っていると、背後から音が聞こえて振り向く。
「あ、すみません。ここ、もしかして立ち入り禁止でしたか?」
そこには先ほどまで難しい顔をしていた史也さんがいた。私が静さんを見ている間に、近くに来ていたようだ。
「あ、いえ。そんなこと、ないですけど……」
動揺してしどろもどろになってしまった。
二人が話していた場所はお客さんの出入りを禁止しているわけではないけれど、特別凝った庭でもないからか、実際に庭に出る人はほとんどいない。
それこそ昨日、清美さんがそこの生垣の上に座っていたくらいだ。
「もしかして今の聞かれてましたか。お恥ずかしいところを見せて申し訳ないです」
「……すみません」
恥ずかしそうに頭を掻く史也さんに言い逃れもできず、素直に頭を下げる。
気まずさから目を合わせられずにいると、気にした様子もなく史也さんが続ける。
「可能なら、僕のことを叱ってもらえませんか?」
「はい……?」
一体どういうことだろう。
ハッと思って史也さんの周りに目を泳がせるけれど、どこにも清美さんの姿は見えない。
「……初対面の人間にこんなことを言われても困りますよね。無茶言ってすみません」
「いえ。ご希望に添えるかどうかはわかりませんが、お話を聞くくらいでしたら」
私の返事に、史也さんは思い詰めていた顔を僅かに緩めた。
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