伊予むすび屋の思い出ごはん

美和優希

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3.恋する特製カレーオムライス

3ー1

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 今日はいつになく忙しい。

 きっと私が民宿むすび屋で働きはじめてから最も忙しい日になるだろう。


 八月に入って数日が経った今夜は、むすび屋に団体のお客さんが泊まっている。

 部屋は全て満室。

 いつもは幽霊のお客様用にと用意してある部屋でさえ、今日はすでに老夫婦で埋まっていた。
 とはいえ、この老夫婦の霊はすでに成仏していて、この世に降りて来て泊まりに来た、いわゆる観光目的なのだそうだ。

 そういった場合はこちらで特別成仏を手伝う必要がないので、扱いは一般のお客様と同じでいいと聞いている。

 唯一違う点は、夕食時に“霊の思い出の料理”をお出しすることだ。
 普段は一般のお客様と幽霊のお客様で、食堂を使う時間をずらして対応している。今日もその予定だったが、老夫婦の霊は今日のむすび屋の混雑している様子を見て、ゆっくりくつろぎたいからと客室での夕食を希望されていた。

 こういった成仏した霊の観光目的の宿泊は、お盆のある八月に多く見られるらしい。


 一方で晃さんたちでさえ滅多と見ない人数の団体客は、どうやらどこかの会社の人たちのようだ。全員スーツ姿だったので仕事関係なのは間違いなさそうだ。

 それにしても出張や研修だとしたら街なかのビジネスホテルなどを利用しそうなものだが、接客にあたった晃さんの話によれば、宿を取った人がむすび屋のホームページを見て、独断と偏見で決めたらしい。

 その話を聞いて、ホームページなんてものがあったことを初めて知ったのだけど、それはここだけの秘密にしておこう。



「あ、ケイちゃん。悪いけど、手空いとるなら、晃と談話室の机と椅子も食堂にかくの手伝ってくれん?」

「書く……、ですか?」

 食堂の清掃に入ろうとしたところで、厨房から出てきた拓也さんに早口でそう言われたものの、何を言われたのかわからなかった。

 聞き返そうとしたが、すぐにまた厨房に引っ込んでしまった拓也さんにその声は届かなくて、私は呆気にとられて厨房へ続く出入り口を見つめた。

 団体客は夕食時に宴会を希望しているため、拓也さんは準備に勤しんでいて忙しそうだ。わざわざ聞きに行くのも申し訳ないが、意味がわからなければ頼まれたことができない。

 厨房へと一歩踏み出したとき、ちょうど後ろから声がかかる。


「“かく”は伊予弁で“運ぶ”という意味だ」

「晃さん!?」


 ふり返ると、両脇に椅子を抱えて食堂に入ってきた晃さんがいた。


「だから今のは、談話室の机と椅子を運べってことだ。俺も最初に愛媛に来たとき、たまに何言ってるかさっぱりわからないときがあったな」

 当時のことを思い出しているのか、晃さんは軽く苦笑する。


「そうなんですか?」


 関東から出てきた私には、伊予弁は関西弁に近い、独特なイントネーションを持っているように聞こえる。
 やっぱり方言ならではの独特な言い回しもたくさんあるのだろう。


「ああ。例えばだな、“模造紙”ってあるだろ? あれをこっちでは“とりのこ用紙”って言うんだ」

 晃さんと二人がかりで、二つある談話室の机を順に食堂に運ぶ。


「こっち来てすぐの頃、当たり前のようにとりのこ用紙を取ってこいって言われたときは、とりのこって何?ってなってすげえ焦ったな。模造紙のことを言ってるんだってわかったときは、マジかよってなった」

「へぇ」


 晃さんは、もともとは関東で育って、中学三年生の途中で愛媛に来た。それからむすび屋の先代のオーナーであるおじいさんと、おじいさんと同居していた拓也さんたち家族と暮らすようになったというから、私と同じように方言に困ることも度々あったようだ。


「あとは、“ラーフル取って”って言われたときも何のことかわからなかったな。聞けば“黒板消し”のことだったみたいだが」

 同じ言葉なのに、土地が違うとこれだけ言葉が違うのだから不思議なものだ。

 こういった話をするのは初めてで、少しワクワクしている自分がいる。

 いくら晃さんたちは皆親族とはいえ、そんな個々の細かい話までは話題に上らないし、私も仕事を覚えることに夢中でじっくりそんな話をすることもなかった。

 だから、今日はそんな風に昔の思い出話をしてくれて、何だか距離が縮まった気がして嬉しかった。

 晃さんってあまり表情に変化もないし、拓也さんみたいに気さくな感じでもなく、少し取っつきづらいところがあったから。私をここで雇ってくれた恩人だからできれば仲良くなりたいけれど、今のところ上手くいっていない。


「……どうした?」


 考え事をしているのが顔に出ていたのか、晃さんは不思議そうに首をかしげる。


「いえ。何だか嬉しいなと思って。晃さんがこんな風に自分のことを話してくれることって初めてですから」

「そうか?」

 クールに言いながらも、晃さんの顔は少し照れたように赤みを帯びている。


「そうですよ。伊予弁にまつわるエピソード、ものすごく興味深いです。他にもまだありますか?」

「特にねえよ。もうあとは俺一人でやれるから、おまえはそろそろ自分の仕事に戻ってろ」


 興奮する私にあっさりと言って、晃さんは出ていってしまった。


「……はーい」


 何だか膨らんでいた気持ちも一気にしぼんでしまった。
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