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1.友情を繋ぐ柚子香るタルト
1ー8
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*
一瞬、成仏しようと消えかけていたおばあさんだけど、今すぐに消えてしまいそうな様子ではなくなっている。けれど何となくおばあさんの周りはうっすらと光り輝いている。
恐らくこれがおばあさんにとって、チャチャと過ごす最後の時間になるのだろう。
最初こそ飯塚さんがチャチャの名前を呼んでいたことに驚いたが、どうやらおばあさんのお手製の赤いビーズの首輪にはネームタグがつけられていたからなのだそうだ。そう言われて見せてもらったネームタグには、マジックで『チャチャ』と書かれていた。
チャチャは二年前に民宿に迷い込んで来たところを保護されて、飼い主を探したけれど見つからなかったためにそのまま民宿で暮らしているそうだ。
これまでの経緯を聞かせてもらいながら歩く。飯塚さんが足を止めたのは、大きな古民家風の建物の前だった。
古民家を囲むように植えられた生垣は、しっかりと手入れされているのが見てとれる。
木造の門構えの扉は開いていて、その脇には『民宿むすび屋』と書かれている。
「どうぞお入りください」
丁寧に民宿むすび屋の敷地内へと案内される。
紺色ののれんがかけられている玄関の引き戸を開けて、中へ入る。
「いらっしゃいませ」
私たちに気づいて声をかけてきたのは、玄関を入ったすぐ正面のカウンターのところにいた臙脂色の作務衣を着た女性だった。
歳は私と同じくらいな気がするから、二十三といったところだろうか。
黒髪を後ろでひとつにまとめ、遠目から見てもぱっちりと開いた目や、小さな鼻、ふっくらした唇がバランスよく配置されていて、かなりの美人さんだということが見てとれる。
「なずな、チャチャの飼い主が見つかった。拓也を呼んでもらえるか?」
「はい」
なずなと呼ばれた彼女は、驚いたように目を見開くと、飯塚さんの指示に慌ててカウンターの上の電話を手に取った。
それからものの数分も経たないうちに、バタバタと足音のようなものが聞こえてくる。と同時に、私たちから見て右手側にあった階段から男性が降りてきた。この人が拓也さんなのだろう。
「いらっしゃいませ」
第一声で軽く頭を下げて挨拶すると、男性は少し驚いたように私の方へ歩みを進める。
「もしかしてきみがチャチャの飼い主なん……?」
おばあさんと同じ、独特のイントネーションの話し言葉は、恐らく伊予弁なのだろう。
歳は、飯塚さんと同じくらいだろうか。
飯塚さんと同じようにTシャツに綿パンというラフなスタイルだが、雰囲気はかなり違う。彫りの深い整った顔立ちをしていて、引き締まった体つきは更にがっしりしている。身長も飯塚さんより少し高そうだ。
飯塚さんとはタイプは違うけれど、彼も目を引く容姿をしている。
この民宿関係の人に三人会って、三人とも美男美女とはなかなかすごいことに思える。
「いえ……」
目の前の男性は、かぶりを振る私を見てきょとんとする。
「違う。その隣の方だ」
飯塚さんが補足すると、妙に納得したような表情を浮かべた。そして本当に一秒も満たないくらいのわずかな時間ジッと私たちを見据えたあと、驚くことに私の隣でチャチャと戯れていたおばあさんに声をかけたのだ。
「あの、お取り込み中すみません。チャチャの飼い主さんですか? 私はここの民宿で料理人をしております、宮内 拓也です」
「いいや、違うよ」
おばあさんの言葉に再び男性──宮内さんの頭の上にはてなが浮かんだ。
それもそのはずだ。宮内さんはチャチャの飼い主が見つかったと言われてここに駆けつけてきたのだ。まさか飼い主がいないと思わないだろう。
だけど、おばあさんの言い分は間違ってはいない。
チャチャに食べ物を分け与えて楽しい時間を共有していただけで、正式な飼い主ではなかったのだから。
「本当は飼ってやりたかったんやけどね。息子夫婦に反対されとったけん、それは叶わんかったんよ。息子夫婦にチャチャが追い出されたときは、もう二度と会うことも叶わんと思っとったのに、死んでからまたこうやって会えるなんて思わんかった」
おばあさんの説明に、宮内さんも状況を把握したようだった。
「わかりました。それでは飯塚がお部屋にご案内しますので」
そこで、再び飯塚さんとバトンタッチをした宮内さんは、フロントに向かって左隣の『食堂』と書かれた札のついたドアの向こうへ入っていった。
飯塚さんは私たちを食堂とは反対側の方向を片手で指し示す。
先ほど宮内さんが降りてきた階段までには短い廊下があり、その廊下を挟んで向かい合うようにドアがあった。それぞれ『Staff Room』と書かれたプレートと『談話室』と書かれたプレートがついている。そのうち、私たちは『談話室』の方へ案内された。
一瞬、成仏しようと消えかけていたおばあさんだけど、今すぐに消えてしまいそうな様子ではなくなっている。けれど何となくおばあさんの周りはうっすらと光り輝いている。
恐らくこれがおばあさんにとって、チャチャと過ごす最後の時間になるのだろう。
最初こそ飯塚さんがチャチャの名前を呼んでいたことに驚いたが、どうやらおばあさんのお手製の赤いビーズの首輪にはネームタグがつけられていたからなのだそうだ。そう言われて見せてもらったネームタグには、マジックで『チャチャ』と書かれていた。
チャチャは二年前に民宿に迷い込んで来たところを保護されて、飼い主を探したけれど見つからなかったためにそのまま民宿で暮らしているそうだ。
これまでの経緯を聞かせてもらいながら歩く。飯塚さんが足を止めたのは、大きな古民家風の建物の前だった。
古民家を囲むように植えられた生垣は、しっかりと手入れされているのが見てとれる。
木造の門構えの扉は開いていて、その脇には『民宿むすび屋』と書かれている。
「どうぞお入りください」
丁寧に民宿むすび屋の敷地内へと案内される。
紺色ののれんがかけられている玄関の引き戸を開けて、中へ入る。
「いらっしゃいませ」
私たちに気づいて声をかけてきたのは、玄関を入ったすぐ正面のカウンターのところにいた臙脂色の作務衣を着た女性だった。
歳は私と同じくらいな気がするから、二十三といったところだろうか。
黒髪を後ろでひとつにまとめ、遠目から見てもぱっちりと開いた目や、小さな鼻、ふっくらした唇がバランスよく配置されていて、かなりの美人さんだということが見てとれる。
「なずな、チャチャの飼い主が見つかった。拓也を呼んでもらえるか?」
「はい」
なずなと呼ばれた彼女は、驚いたように目を見開くと、飯塚さんの指示に慌ててカウンターの上の電話を手に取った。
それからものの数分も経たないうちに、バタバタと足音のようなものが聞こえてくる。と同時に、私たちから見て右手側にあった階段から男性が降りてきた。この人が拓也さんなのだろう。
「いらっしゃいませ」
第一声で軽く頭を下げて挨拶すると、男性は少し驚いたように私の方へ歩みを進める。
「もしかしてきみがチャチャの飼い主なん……?」
おばあさんと同じ、独特のイントネーションの話し言葉は、恐らく伊予弁なのだろう。
歳は、飯塚さんと同じくらいだろうか。
飯塚さんと同じようにTシャツに綿パンというラフなスタイルだが、雰囲気はかなり違う。彫りの深い整った顔立ちをしていて、引き締まった体つきは更にがっしりしている。身長も飯塚さんより少し高そうだ。
飯塚さんとはタイプは違うけれど、彼も目を引く容姿をしている。
この民宿関係の人に三人会って、三人とも美男美女とはなかなかすごいことに思える。
「いえ……」
目の前の男性は、かぶりを振る私を見てきょとんとする。
「違う。その隣の方だ」
飯塚さんが補足すると、妙に納得したような表情を浮かべた。そして本当に一秒も満たないくらいのわずかな時間ジッと私たちを見据えたあと、驚くことに私の隣でチャチャと戯れていたおばあさんに声をかけたのだ。
「あの、お取り込み中すみません。チャチャの飼い主さんですか? 私はここの民宿で料理人をしております、宮内 拓也です」
「いいや、違うよ」
おばあさんの言葉に再び男性──宮内さんの頭の上にはてなが浮かんだ。
それもそのはずだ。宮内さんはチャチャの飼い主が見つかったと言われてここに駆けつけてきたのだ。まさか飼い主がいないと思わないだろう。
だけど、おばあさんの言い分は間違ってはいない。
チャチャに食べ物を分け与えて楽しい時間を共有していただけで、正式な飼い主ではなかったのだから。
「本当は飼ってやりたかったんやけどね。息子夫婦に反対されとったけん、それは叶わんかったんよ。息子夫婦にチャチャが追い出されたときは、もう二度と会うことも叶わんと思っとったのに、死んでからまたこうやって会えるなんて思わんかった」
おばあさんの説明に、宮内さんも状況を把握したようだった。
「わかりました。それでは飯塚がお部屋にご案内しますので」
そこで、再び飯塚さんとバトンタッチをした宮内さんは、フロントに向かって左隣の『食堂』と書かれた札のついたドアの向こうへ入っていった。
飯塚さんは私たちを食堂とは反対側の方向を片手で指し示す。
先ほど宮内さんが降りてきた階段までには短い廊下があり、その廊下を挟んで向かい合うようにドアがあった。それぞれ『Staff Room』と書かれたプレートと『談話室』と書かれたプレートがついている。そのうち、私たちは『談話室』の方へ案内された。
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