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4.触れない唇

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 それから一週間が経っても特別に副社長と何かあるということはなかった。至って以前と変わらない副社長を見ていると、あの夜の出来事は何かの間違いだったんじゃないかと思えてくる。

 私一人、いつまでも気にやんでも仕方ないと思い何度もあの夜のことは忘れようとした。

 だけど、いくら忘れようとしても記憶に残る副社長の温もりや感触をそう簡単に忘れられるはずもなく、気づけばあの夜のことを思い出してはドキドキしてしまう自分に嫌気がさすくらいだ。



「それで終わりだな。もう上がっていいぞ」


 頼まれていた資料作成を一通り終えたところで、副社長に声をかけられる。時計を見ると、定時を過ぎたところだった。


「はい、お疲れさまです」

「これから友達と会ってくるんだろ? 楽しんでこい」

「すみません。ありがとうございます」


 この日は、この前思わぬ再会をした福田くんと飲みに行く約束が入った。

 もちろん、福田くんと二人ではない。

 福田くんから茉友香に声をかけてくれて、茉友香も来るんだ。


 家事を引き受けているのに飲み会なんて、とも思ったけれど、茉友香も来るならと思いきって副社長に相談してみた。

 すると副社長は、俺に遠慮せずたまには友達と過ごして来いって言ってくれたんだ。

 そんな副社長のために、一応、今日の夜のおかずになりそうなものは作りおきして出てきている。


 最後に茉友香と会ったのは、私がまだ前の会社にいた頃だった。

 きっと私が今福田くんと同じ会社で働いてるって聞いたら、驚くのだろう。もしかしたら、もう福田くんからそのことは聞いてるかもしれないけれど。

 きっといろいろ聞かれるだろうし、私もいろいろ話したい。



 会社を出ると、待ち合わせの居酒屋に向かう。

 福田くんが予約してくれたお店は藤崎製菓から近く、むしろ茉友香をここまで呼び出してしまうことになってしまったことの方が申し訳ないくらい。

 会社周辺の地理はだいぶ覚えたとはいえ、まだあやふやなところがあるので、地図アプリを利用して目的の場所へと進む。


「お疲れ~」


 目的地付近にたどり着いたとき、不意に聞き覚えのある声が耳に届く。

 声の聞こえた方を見やると、福田くんがこっちに向かって頭上高くで手を振っている。


「お疲れさま。早いね」

「まぁな。幹事がいなきゃ話にならないと思って、定時ぴったりに上がれるように頑張ったからな」


 胸を張ってそう言う姿から高校生の頃の彼の姿が思い出されて、懐かしい気持ちになる。


「とりあえず中に入るか?」

「え? うん。でも、茉友香は……?」


 そう聞いたときには福田くんの姿はすでに私の隣になく、私は足早にお店の中に入ってしまった福田くんの背中を追いかけた。

 茉友香には、お店に入ってから連絡しよう……。



 お店に入ると、まずカウンター席が視界に飛び込む。

 福田くんが店員さんに名前を告げると、奥の方にある少人数用の個室に案内された。


 ドアはついていないとはいえ、入り口はカーテンがついている。隣の空間とは壁で仕切られていることからも、周りの目をあまり気にせず話ができそうな感じだ。


 個室に案内されたあと、早速と言わんばかりに一番最初のドリンクの注文を取られたので、福田くんはビール、私はレモンのチューハイをお願いした。


「何だか私たちだけ先に注文しちゃって、茉友香に申し訳ないね。とりあえず茉友香に先に中に入ってるってメッセージ送っておくね」


 テーブル席に座り、カバンからスマホを取り出そうとしたところで、それを福田くんの声によって制された。


「その必要はないよ」

「……え? あ、もしかして福田くんからもう茉友香に伝えてくれた?」


 だけど、私の質問に福田くんは苦い表情を浮かべて首を左右に振った。


「いや。茉友香は来ないよ」

「……えっ!?」


 茉友香は来ないって、どういうこと!?

 福田くんから、茉友香のことを誘ってくれたんだよね?


「茉友香は、突然学会に呼ばれて出張になったらしいんだ」


 茉友香は大学に残って研究を続けていて、結構バリバリやっている。

 だから、学会に参加するために出張に出ていると聞いても何もおかしなことではないけれど……。


「そうなんだ……。急に学会の予定が入るなんて、茉友香も大変だね」


 せっかく久しぶりに茉友香とも話せると思ったのにな……。
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