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藤と松

藤と松①

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 抗議しようと口を開く。けど、

「なあ、彩愛。事実、俺は何度も"念"からその方を救い出そうと尽力したな。悲しきかな、終いまでこの手を取ってはもらえなんだが」

「うぐっ……」

 嘘ではない。確かに壱袈の助けを拒み続けたのは、私のほう。
 けどそれは、代わりにあやかし事から手を引けって脅してきたからで……。

(あ、あれ? でもよくよく考えたら、今のこの状況って同意しなかった私の自業自得……?)

 壱袈が故意に"念"を私に飛ばしたと、確信はあっても証拠はない。
 おまけにその"念"によって、傷を受けたわけでも。
 私がこうして疲弊しきっているのは、私がただ、壱袈の言葉に頷きたくなくて、それで躍起に――。

「……おい」

 低い声に顔を跳ね上げる。
 と、雅弥は眉間に不快を刻んで、

「これがアイツのやり方だ。丸め込まれるな」

「え……あ! なんて高度な心理戦……っ」

「ただの詭弁だ。……だが、覆せるだけの材料がない」

 苦虫を嚙み潰したような顔で告げる雅弥。
 壱袈は満足そうに頷いて、「さて、誤解も解けたところで」と話題を転じる。

「見極めについてだが」

「! もちろん、私の勝ちよね!?」

 食いつく勢いで尋ねた私に、壱袈は「勝ち負けを決めていたわけではないのだがな」と小さく噴き出して、

「まあ、良い。ならばその方の勝ちだ、彩愛。今後の身の振り方については、"見えるだけ"ではなくなったその方に委ねよう」

「やった……!」

「ただし、ひとつ条件がある」

 壱袈は細めた双眸でついと雅弥を流し見て、

「藤と松」

「…………」

 黙したままの雅弥から赤い目が離れ、疑問を浮かべる私に向く。

「"薄紫"とは藤の色。その刀はな、いわば藤なのだ」

「"薄紫"が、藤……?」

「藤の花はひとりでは咲けぬ。巻き付き己の支柱となる、松がなくてはな」

「松……」

 そういえばさっき、雅弥が松だとかどうだとか……。
 当惑する私の心中を察したように、壱袈がゆったりと頷く。
 と、穏やかな苦笑を浮かべ、

「彩愛。俺がその方に告げた言葉に、嘘はない。その方は"何も知らない"だろう? 俺たち隠世警備隊が守るは、あやかしというより、むしろヒトだ。だからこそ俺は、その方が知らぬまま深く踏み込み、傷つく姿を見たくはなかった」

 だが、と。壱袈は瞳に憐れを映す。

「その方の想いは、俺が想像するよりも遥かに強い。それこそ、"見えるだけ"ではなくなるほどにな。真実を知ったうえで選ぶといい。美しくも無慈悲な、"薄紫"と雅弥の契約を。それが条件だ」

 よいな、雅弥。
 佇む雅弥を一瞥して、背を向けた壱袈は宝蔵門へと歩いていく。

「この"狭間"は、その方らが『忘れ傘』に戻るまで繋いでおこう。好きに使うといい」

 朱塗りの門前で歩を止めた壱袈が、コツリと靴底を鳴らして振り返る。
 物憂げに伏せられた瞼。

「異質を恐れず、あやかしの心をも重んじ、陰と陽とを従える華……か」

 これはこれは、と。くっと口角が上がると同時に、黒羽が一枚、私へと向けられた。
 あ、と思った瞬間にはくるりと回り、穏やかな風が周囲を取り巻く。

「わっ……!」

 浮いた腕から、するりと抜けた打掛。
 風に踊るようにして、橙色の宙を泳ぐ。

「はたしてどちらが松となるか。その方らの決断を、心待ちにしているぞ」

 辿り着いた打掛を両手で受け止めた壱袈は、その風を纏うようにして、ひらりと肩にかけた。
 踵を返す。

「実に楽しき休暇だった。感謝するぞ、彩愛」

 愛おし気に綻ぶ、赤い瞳。

「茶を供に語らうは、次にな」

 たん、と軽く地を蹴った壱袈の姿が、門を境に消えていく。
 ひらめく打掛は、まるで広がる烏羽。
 なびく袖が「ばいばい」と、手を振っているように見えた。

 風が止む。
 残されたのは静寂と、橙を反射する私達。

(……ええ、と)

 私はまず、何をしたらいいのだろう。
 壱袈から"松"とやらを選ぶ権利を勝ち取ったとはいえ、いまいちよくわかっていない。
 おまけに"薄紫"について、雅弥に話してもらわないなのだけど……。
 雅弥を見上げる。口を閉ざし門を睨む横顔は、どうにも迷いに強張っているような。

(……そんな思いつめた顔をするくらい、私には話したくない内容なのかな)

 ツキン、と痛んだ胸をごまかそうと、咄嗟に首を振る。
 何をいまさら。雅弥は初めからずっと、私には"関わるな"と言い続けている。
 ちょっと優しくしてもらっただけで、少しは信頼してもらえたのかも、なんて。
 私の図々しい、身勝手な期待でしかない。

(ともかく、『忘れ傘』に戻らなきゃ)

 心配げに送り出してくれた、カグラちゃんの顔が浮かぶ。
 お葉都ちゃんはもう怯えてないだろうか。早く皆で、渉さん渾身のお祝いケーキを食べたい。
 空いている左手で石畳をぐっと押して、立ち上がろうと両脚に力をこめる。けど、

「……うっそ」

 立てない。どころか、面白いくらい動かない。
 笑うべきか、落ち込むべきか……って、そうじゃない。

(これじゃ戻るに戻れないんですけど……っ!)

 キュウンと悲し気な声と共に、右手に微かな反動。視線を落とすと、子狐ちゃんが石畳に飛び降りたらしい。
 心配げに耳を伏せ、お座りの体制で私を見上げている。

「ええと、平気よ平気。うん。もうちょっと休んだらすぐに――」

「……だから、どうしてアンタはそう、ひとりで強がるんだ」

「えっ」

 近い声に顔を跳ね上げる。
 いつの間にか眼前に立っていた雅弥は、先ほどまでの剣呑さを消して、呆れたように息をついた。

「そんなに俺は信用ならないか」

 なんだか以前にも、同じセリフを聞いたような。

「まっさか。ていうか、答えをわかってて訊いてるでしょ、それ」

「……そうだな。だがアンタは、いつだって想像の斜め上をいくだろう」

「ウソ、本気で疑ってるの? ならこれからみっちり雅弥への信頼度を言葉にするから。ええとまずは――」

「いい。必要ない」

 "薄紫"、と告げて鞘に納めた雅弥は、ペーパーナイフの姿に戻ったそれを帯に挟んだ。
 と、しゃがみ込みながら私の腕を引き、自身の肩を寄せて、背に私を引き寄せる。

「え、ちょっ!?」

「……横抱きでは、何かあった時に手が使えないから、こっちにしてくれ」

「違う違う、姫抱きがいいとかそーゆーことじゃなくて!」

「なら、なんだ。歩けないのだろう」

 肩越しの視線が、さっさと乗れと告げ来る。

(ええと、まあ、本気で力入らないんだけどね? けどこう、いきなり密着体制ってのも、心の準備がいるというか?)
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