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歓迎されない来訪者

歓迎されない来訪者⑤

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 雅弥が悔し気に奥歯を噛む。
 私は「雅弥」と名前を呼んで、机へと歩を進める。

「心配しないで。わからないなりにも上手くやってみせるから。共倒れになる気なんて、さらさらないからね」

「! だからアンタは……どうして、自分の身の安全を一番に選ばないんだ……っ!」

 絞り出すような問いを耳にしながら、机上にあったスマホを手に取る。

(――雅弥だって、同じじゃんね)

 壁の朱をその身に反射して、鈴は頷くように揺れた。

「私のこの身体だけが、"私"じゃないから」

「――っ」

 わからない、と言いたげに見開かれた瞳。

(……もし私が同じ質問をしたら、雅弥はなんの迷いもなく"祓い屋だから"って言いそう)

 相手への好意とか情とか。そういう流動的な背景は一切関係ない。
 雅弥は自身の感情は一切抜きに、有事であればあるほど、"祓い屋"としての視点で考え動く。
 だから、わかってる。雅弥は"祓い屋"として、ヒトである私を守ろうとしているんだって。

(ま、それが雅弥だしね)

 胸中でこっそりと口角を上げて、私は再び壱袈の元に歩み寄る。

「いつでもどうぞ」

「……ふむ。では、唐笠の華よ。ちょいとばかし散歩に付き合ってもらえるか」

「ボクたちの眼を引き剥がして、その子に何をするつもりだい」

「そう怖い顔をするな、藤狐。時には役目をなしに、つかの間の休息を謳歌してもバチはあたらんだろう?」

 なんせ、こうして俺に臆さぬ"見える"ヒトは久しぶりでなあ。
 嬉し気に告げる壱袈は言葉通り、降って湧いた出会いを純粋に喜んでいるようにしか見えない。

(もしかして、見極めだなんだって理由をつけて、実はただ私達で遊んで息抜きしたいだけっだり……?)

 なーんて、こんな初手で気を緩めるなんてヘマはしない。
 私だって立派な中堅社員。おまけにこの見た目だし?
 だてに"タヌキ"相手に競り勝ってきてないんだから!

「散歩ね。ならちゃっちゃと行きましょ!」

 渉さんのケーキだって早く食べたいし、お葉都ちゃんとのお化粧談議だって待っている。
 さっさと終わらせて、さっさとお帰りいただこうと、私はきびきびと上り口でシルバーのフラットシューズを履く。

「うむうむ。怖じ気づくどころか、存外積極的とはまた」

「悪いけど、可愛らしい反応をご所望なら、他を当たってくれる?」

「いや、良い。華は怯える姿も愛いが、物怖じしない度胸も好ましい」

 くくっと楽しそうに笑いながら壱袈もまた、真っ黒な革靴に足を入れ降り立つ。
 と、私の眼前で歩を止め、

「名は何という」

「……彩愛よ」

「なら、彩愛。これを頼まれてくれるか」

 壱袈はそう言って肩に羽織っていた着物を片方の手で引き、するりと腕に脱ぎ掛けた。
 私に差し出す。

「これは隠世の打掛うちかけでな。纏うとヒトの気をあやかしに近づける。近頃のこの辺りはヒトが多いからな。せっかくの息抜きなのだから、目立たずに歩きたい」

「でも私がこんなの着てたら、余計に目立つんじゃない?」

「案ずるな、これは"見えぬヒト"の目には映らん」

「……それなら」

 受け取って、片方の腕を通そうとした刹那。

(って、コレたしか結構裾長かったような……!)

 壱袈の背丈は軽く190センチはあるように見える。
 そんな長身の彼ですら、肩にかけて、足首までを覆うほどだった。
 なら160センチそこそこの私が羽織っては、きっと裾を引きずってしまう。

 不自然に動きを止めた私を不思議に思ったのか、壱袈は「なにか不都合があったか?」と顔を覗きこむように上体を傾けてから、

「ああ、そうかそうか。言葉が足りんかったな。あやかしの気に近づけるといっても、その身に変化が起きることはない。ただちょいとばかし、ヒトから認識されにくくなるだけだ。だからそう怯えずとも――」

「あ、ううん。そうじゃなくて、このまま私が羽織ったら裾を引きずっちゃうから、どうしたらいいかなって」

「なんだ、そんなことか。気にせずそのまま羽織って良いぞ」

「え、だってこんな綺麗な打掛なのに汚すなんて……」

「そうだ。それは汚れを嫌う。だから、平気なのだ」

「……ん?」

(なんか隠世の特殊製法で、引きずっても汚れないし痛まない生地だとか……?)

 ともかく羽織ってみろと笑む壱袈。
 促されるまま袖に腕を通して、念のため抱えていた裾部分からえいやと手を離した。
 勢いよく落下する裾。
 あ、ほら。やっぱり下についちゃう――と即座に引きあげようした刹那。

「……あ、あれ?」

 違和感によく見れば、床より数センチ上の位置で、裾がふわりと浮いている。
 更には左右に首を捻って確認すると、後ろに向かって綺麗な扇状を描いていて、なんというかすごく……。

「花嫁さんのお衣裳みたい……」

「打掛だからなあ。本来ならば……袖口や裾の裏布を表に出して、縁のようにした部分だな。そこに綿を入れるものなのだが、それはどうにも嫌がって、そうして自身で形作るのよ」

「それって、この子もあやかし……生きているってこと?」

「"生"の定義にもよるが、それには意志はあれど心の蔵はない。寝食も不要だ。そうして裾を浮かせたり、袖をはためかせる程度のことは可能だが、己の力のみで動き回ることは出来ん」

「へえ……あ、わかった。付喪神つくもがみみたいな感じね」

 私の鈴ちゃんも、いずれこんな風に動いたりするのかなあ。
 ふよふよと宙に浮く鈴を想像しながら打掛を眺めていると、

「神ではなく、あやかしだがな」

「つくもあやかし……なんだが語呂悪くない?」

「くっく、なに。決まったくくりを持たぬモノだ。好きに呼んだら良い」

 と、背後から疲れたようなため息。

「アンタは……どうしてそう呑気なんだ」

「雅弥……。あ、大丈夫! ちゃんとバッチリ警戒してるから!」

「アンタの場合、警戒の度合いが浅すぎる。……これを連れていけ」

 刹那、すっと上がった雅弥の手の先から、ぴょいんと白い子狐が飛んできた。
 私の肩に降り立つと、筆先のような尻尾を左右に振る。

「え、あ、カワイイ!」

「少し黙っていろ。……いいな、壱袈」

 伺うというよりは脅しの気配が強い声で、雅弥は壱袈を睨め付ける。
 壱袈は「そうかそうか」と肩を竦めて、

「これ以上の"護り"は必要ないと見えるが……まあ、他ならぬ雅弥の頼みなら致し方ない」

 さして大きな問題ではないのか、壱袈は「さて」と話を切り上げ出入口へと歩を進めた。

「行くか、彩愛」

 扉前で足を止めた壱袈が、左ひじを軽く曲げ視線だけで促す。

(……そこに手を添えて、腕を組めってことね)

 私が了承したのは"散歩"であって、"同伴"ではないのだけど。
 思ったけど、言葉にするほど野暮じゃない。
 だってこれは、守れるか奪われるかの試練なのだから。
 私はすうと息を吸い込み、背を正す。

「……ごめんね、彩愛ちゃん」

 届いた呟きはカグラちゃんのもの。
 振り返れば、申し訳なさそうに視線を下げるカグラちゃん。
 その横で雅弥は瞳に心配を浮かべ、眉根に葛藤を刻んでいる。

(ほんとに、あったかいなあ。ここは)

 大切に、護られている。
 心の内から湧き上がるぽかぽかした感覚に、私は頬を綻ばせ、

「なんてことないわよ、こんなの」

 守られているだけじゃ性に合わない。
 私の大切な場所は、私が絶対に守ってみせる。

(……だから、どうか)

 背を向け、妖しげな陰影の際立つ待ち人へと歩み寄る。

「怖いか?」

「まさか」

 挑発気味に笑んだ私は、ありったけの決意と願いを込めて、右手を壱袈の左腕に預けた。

「――いってきます!」

 帰ってきたら、"おかえり"と。
 私の戻れる場所はここにあるんだって、迎え入れてほしいな。
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