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薬指の赤いネイル

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 気が合わないと思いきや、今度は意気投合している二人。私は掌に乗る布製のクロユリを見つめ、思考を深める。
 愛した人に裏切られたが故の呪いと、恋のおまじない。

「……里香さんの元彼さんが、付きまとっているんですか」

「すみません。あまり深い話は、僕からは。ひとつだけ言えるのは、僕のような"ペット"が必要になった理由はこれですね。なので僕はこの部屋でただ契約のうえ飼われているだけで、主人とは清い関係です」

「"主人とペット"なんて言っている時点で、清さとは無縁だと思うんだが?」

「おや、ペットに欲情するタイプでしたか。大変な失礼を」

「そういう話じゃないし、するわけないだろ!?」

 真っ青な顔のマオが「茉優! 違うからな!? 俺はそんな特殊性癖なんてないし茉優一筋だからな!?」と叫けんでいるけれど、完全に熟慮モードに入っている私の耳にはうっすらとしか聞こえない。

(もしかして里香さんの指示が曖昧だったのは、最後の"絶対に部屋にいて"が一番重要だったから?)

 自分の口からストーカー被害を告げるには気が引けて、こうして実際に見てもらう方が早いと判断した。
 そうなると、彼女の真の依頼内容はこのストーカー被害を解決することだろうけど。

「花は毎日届くんですか?」

「いえ、不定期ですね。ただ決まって届くのは、主人のいない時です」

「花だけ突っ込んでいくなら恋文で違いないだろうが、わざわざドアを叩いたりしているところを見ると、この花にはお前への脅迫も兼ねているようだな」

「そうなるかと。僕がペットだと知るのは、お二人を除けば主人しかいませんから」

「あ! 待ってください、こんなストーカーがいるのなら、里香さんをお一人にしていたら危険なのでは……!」

「心配には及びませんよ。主人には接触してこないそうですから」

「なら、完全に狙いはお前だな。外に出たときに狙われたりしないのか?」

「僕が外に出る時は主人と一緒なので」

「徹底しているな……」

 嫌そうに顔をしかめるマオに、「プロですから」とにこやかに玄影さん。

(警察に連絡……じゃ嫌だから、私達を頼ってきたんだよね、きっと)


***


 里香さんが戻ってきたのは、十五時をすこし過ぎてからだった。

「里香さん、留守の間にこちらが……」

 私の手に乗る花を一瞥した里香さんは、「ねえ、コレは」と座卓横に座る玄影さんに顔を向ける。

「花言葉は"呪い"と"愛"ですね」

「……そう。いつもんとこ入れといて」

 リュックを下して洗面台へ向かう里香さんに、私は「取っておくのですか?」と驚き交じりに訊ねる。

「どうしようがアタシの勝手でしょ」

「それは、もちろんですが……」

(ストーカー被害の証拠にしたい? でもなんだが、里香さんからは嫌がっている雰囲気もないような……)

 もらいます、と笑む玄影さんに花を渡すと、彼は里香さんのチェスト上に置かれた缶の中に入れた。
 その中にはすでに同じ大きさ程の造花が二十は入っていて、長い間この"嫌がらせ"が続いているのだと実感する。

 蓋を閉められた缶の隣には、分離した赤いネイルの小瓶。
 里香さんは手と顔を洗うと、ベッドに腰かけた。

「里香さん」

 意を決して名を呼んだ私に、里香さんが億劫そうにして「なに」と視線だけを投げる。

(あれ?)

 里香さんの左足の指先に、赤い色。一瞬、怪我かと思ったけれど、どうやらネイルのようだ。
 全ての指ではなく、左の薬指にだけ塗られている。

(この色、あのネイルと同じ色……?)

 けれどもあの中身は分離していて、とても塗れる状態ではなかった。
 となると別のボトルがあるはずだけれど、ならばどうして"使えない"あの一本だけがチェストの上に置かれて――。

「ねえ、ちょっと」

「あ、すみません」

 はっと思考を切った私は、慌てて話を戻す。

「踏み入った話になるのは承知の上ですが、このままではやっぱり心配で……。ストーカーは、元彼さんですか」

 里香さんははあ、とため息をこぼして、

「恋人じゃない」

「……へ?」

「相手はわかってる。別に、コレはこのまま放っておいていい」

「い、いいんですか? もしエスカレートしたら、里香さんだって危険に……!」

「ならない」

「え?」

「あの子は錯覚しているだけ。アタシが調子に乗って、ずっと甘えて続けてしまったから。責任感が、強い子なの。だけどきっともうすぐ、アタシに興味なんてなくなる」

「里香さん……?」

 里香さんはごろりとベッドにうつ伏せに倒れると、枕に顔をうずめて、手だけを振る。

「もう帰っていいよ。明日も同じ時間に来て。それと……もし、誰かにアタシのことを聞かれたら、楽しくやってるって言って。アンタたちのことは、私の友達だってことにしておいて」

 半ば追い出されるようにして家を出た途端、マオが「なんだあの態度」とこめかみを揉む。

「平気か、茉優。嫌だったら明日は俺ひとりで来てもいいんだぞ」

 アパートの階段を降りながら私は「あ、はい」と頷き、

「それは全然、大丈夫なんですけど……もう少し、里香さんとお話がしたかったですね」

 玄影さんでは得られる情報に制限がある。
 里香さんは放っておいていいと言ったけれど、溜まっていた花の量を見るにすでに長期戦になっている様子。
 いくら相手を知っているといっても、里香さんが絶対に安全だという保障はないわけだし。

「穏便に解決したい……ってことなんですよね。相手が飽きるのを待つと言っても、必ず飽きてくれるともいいきれませんし……」

 だからこそ、私もマオという"護衛"付きの場合のみ、こうして外出させてもらえているワケで。
 路地をマオと並んで歩きながら、私は思考を巡らせる。
 と、マオは「本当になあ」と呟いて、おもむろに私の手を掬い上げた。思わず息を呑む。
 立ち止まってしまった私を愉し気な瞳で見下ろして、マオは私の指先を自身の顔前まで持ちあげた。

「ここに百年以上経っても飽きないどころ必死なヤツがいるってのに、楽観的だよな」

「そ、れは……っ」
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