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雪女は浮気を疑う
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沙雪さんが帰ってきたのは、二十時を過ぎた頃だった。
マオは二階の風斗くんの部屋。私は、食事はまだだという沙雪さんに、目玉焼き乗せハンバーグにサラダとスープを用意する。
風斗くんのリクエストで、キーマカレーを作ったことを告げると、沙雪さんは項垂れながら、
「そうですか、ハンバーグはパパが好きだから、嫌だと……」
「すみません、実は風斗くんに五日前のことを聞いてしまって……。風斗くん、沙雪さんに元気がないのも、自分のせいだって思い詰めているようでした。今日の外出も、お父さん関連なのではないかと」
表向きは家政婦派遣サービス。けれど本当は、あやかしの血族向けの相談サービスだと言ってた、狸絆さんの言葉を理解する。
切羽詰まっているといっていた。おそらく、沙雪さんが私達を頼ってきたのは……。
「ご迷惑でなければ、お話してくれませんか? 一人で悩まれるより複数のほうが、なにか思い当たることもあるかもしれませんし」
「……お力を、貸していただけますでしょうか」
風斗くんの予想通り、沙雪さんは夫の正純さんの会社に行っていたのだという。
というのも、訪問していたわけではなく。正純さんが会社を出て来るまで、定時の時刻から物陰でこっそり伺っていたらしい。
「夫とは、品川の居酒屋でたまたま隣り合った席で……それで、意気投合したんです」
沙雪さんの二歳年上。眼鏡をかけていて、壁にならぶ写真の数々からは、優しく誠実な人に見える。
「優しい人なんです。昔から。結婚してからも、風斗が産まれてからも、私と風斗をとても大切にしてくれて……。だから、今回のことが、本当に信じられなくて」
口元を覆いながら、沙雪さんはスマホで一枚の写真を見せてくれた。
映っているのは沙雪さんと正純さん、風斗くんと、その肩に手を置いて笑う、親し気な女性。
セミロングの髪は沙雪さんよりも明るいオレンジブラウンで、化粧も服装もクールな印象を受ける。
「彼女は桜田菜々っていいます。私の、中学からの親友です」
昔からハッキリした性格で、快活な彼女が大好きだった沙雪さんは、今でも四人で遊びに出かけるくらい仲がいいのだという。
「菜々は、自分は独身を謳歌しているからと言って、結婚してからも、風斗が産まれた時もよく助けてくれたんです。風斗も菜々が大好きですし、私も夫も、家族のようにとても大切に思っています。……ですが」
夫は、菜々と会っていたんです。
震える声で沙雪さんが告げる。
正純さんは、定時から三十分ほど過ぎてから姿を現したらしく。後を追うと、品川駅で菜々さんと落ち合っていたのだという。
菜々さんの家は、品川駅から歩いて十数分のマンション。楽し気に話ながら歩いて行く先は、おそらく彼女の家だったのだろうと、沙雪さんが涙を拭う。
「きっと、毎日菜々の家に行っていたのだと思います。五日前の、あの日も。時々シャツから甘い香りがするのも、納得がいきました。夕食を残しがちなのも。菜々は……本当に、素敵な女性なんです。私もずっと、菜々のようになれたらと憧れていました。夫が惹かれるのも、無理はないと思います」
「そんな……。でも、まだ二人が家に行ったのを確認したわけではないんですよね」
「……ついて行こうと思っていたんですけれど、足が、動かなくて」
けれど、と。沙雪さんは緩く首を振って、
「私には、あの二人を責めることなんて出来ません。私のほうが、ずっと嘘をつき続けているのですから。……いくら隠していたって、化け物であることは、変わりないのに」
「それは違うと思います」
咄嗟に言い返してしまって、私は「すみません」と口元を抑える。
けれど、見過ごせなかった。
「私はただの人間ですが、マオさんも、つづみ商店の方々も、優しく気を配ってくださる方々ばかりです。それこそ私が元々勤めていた会社の上司よりも、身勝手に私を害そうとした、お客様よりも。……"人間"ではない、という意味で"化け物"とおっしゃるのでしたら、否定はできません。けれど少なくとも私には、マオさんたちの方が、沙雪さんの方が、心優しく素敵な方々です。正純さんも、沙雪さんが"人間"だから好いたのではないと思いますよ」
「…………」
「沙雪さん。沙雪さんは、これからどうされたいのですか?」
沙雪さんは顔を伏せて、力なく首をふる。
「……わかりません。夫に真実を訊ねる勇気はありませんし、けれどきっと、二人のことは、頭から離れないと……」
「明日、俺達が様子を見て来る」
「! マオさん」
リビングの扉を開いたその人に、「風斗くんは?」と慌てて訊ねると、
「大丈夫だ。必死に作業を頑張っているからな。飲み物を貰ってくると言ってある」
「用意します!」
不信に思われないよう、急いでコップと麦茶を用意する。
マオはリビングの扉を閉め、
「まだ憶測の範囲なんだろ? 今後を決めるにしても、ちゃんと確定させておいたほうがいい。俺と茉優ならどちらにも顔がバレていないから、探りやすいしな」
「……こんなことまでお願いしてしまって、よろしいのですか?」
「はい、相談事を受けるのも、私達の仕事ですから。……明日はぜひ、風斗くんと一緒にいてあげてください」
「っ!」
沙雪さんが二階へと視線を巡らせる。
小さい声で「風斗……」と呟くと、硬く目をつぶり、深々と頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いします」
マオは二階の風斗くんの部屋。私は、食事はまだだという沙雪さんに、目玉焼き乗せハンバーグにサラダとスープを用意する。
風斗くんのリクエストで、キーマカレーを作ったことを告げると、沙雪さんは項垂れながら、
「そうですか、ハンバーグはパパが好きだから、嫌だと……」
「すみません、実は風斗くんに五日前のことを聞いてしまって……。風斗くん、沙雪さんに元気がないのも、自分のせいだって思い詰めているようでした。今日の外出も、お父さん関連なのではないかと」
表向きは家政婦派遣サービス。けれど本当は、あやかしの血族向けの相談サービスだと言ってた、狸絆さんの言葉を理解する。
切羽詰まっているといっていた。おそらく、沙雪さんが私達を頼ってきたのは……。
「ご迷惑でなければ、お話してくれませんか? 一人で悩まれるより複数のほうが、なにか思い当たることもあるかもしれませんし」
「……お力を、貸していただけますでしょうか」
風斗くんの予想通り、沙雪さんは夫の正純さんの会社に行っていたのだという。
というのも、訪問していたわけではなく。正純さんが会社を出て来るまで、定時の時刻から物陰でこっそり伺っていたらしい。
「夫とは、品川の居酒屋でたまたま隣り合った席で……それで、意気投合したんです」
沙雪さんの二歳年上。眼鏡をかけていて、壁にならぶ写真の数々からは、優しく誠実な人に見える。
「優しい人なんです。昔から。結婚してからも、風斗が産まれてからも、私と風斗をとても大切にしてくれて……。だから、今回のことが、本当に信じられなくて」
口元を覆いながら、沙雪さんはスマホで一枚の写真を見せてくれた。
映っているのは沙雪さんと正純さん、風斗くんと、その肩に手を置いて笑う、親し気な女性。
セミロングの髪は沙雪さんよりも明るいオレンジブラウンで、化粧も服装もクールな印象を受ける。
「彼女は桜田菜々っていいます。私の、中学からの親友です」
昔からハッキリした性格で、快活な彼女が大好きだった沙雪さんは、今でも四人で遊びに出かけるくらい仲がいいのだという。
「菜々は、自分は独身を謳歌しているからと言って、結婚してからも、風斗が産まれた時もよく助けてくれたんです。風斗も菜々が大好きですし、私も夫も、家族のようにとても大切に思っています。……ですが」
夫は、菜々と会っていたんです。
震える声で沙雪さんが告げる。
正純さんは、定時から三十分ほど過ぎてから姿を現したらしく。後を追うと、品川駅で菜々さんと落ち合っていたのだという。
菜々さんの家は、品川駅から歩いて十数分のマンション。楽し気に話ながら歩いて行く先は、おそらく彼女の家だったのだろうと、沙雪さんが涙を拭う。
「きっと、毎日菜々の家に行っていたのだと思います。五日前の、あの日も。時々シャツから甘い香りがするのも、納得がいきました。夕食を残しがちなのも。菜々は……本当に、素敵な女性なんです。私もずっと、菜々のようになれたらと憧れていました。夫が惹かれるのも、無理はないと思います」
「そんな……。でも、まだ二人が家に行ったのを確認したわけではないんですよね」
「……ついて行こうと思っていたんですけれど、足が、動かなくて」
けれど、と。沙雪さんは緩く首を振って、
「私には、あの二人を責めることなんて出来ません。私のほうが、ずっと嘘をつき続けているのですから。……いくら隠していたって、化け物であることは、変わりないのに」
「それは違うと思います」
咄嗟に言い返してしまって、私は「すみません」と口元を抑える。
けれど、見過ごせなかった。
「私はただの人間ですが、マオさんも、つづみ商店の方々も、優しく気を配ってくださる方々ばかりです。それこそ私が元々勤めていた会社の上司よりも、身勝手に私を害そうとした、お客様よりも。……"人間"ではない、という意味で"化け物"とおっしゃるのでしたら、否定はできません。けれど少なくとも私には、マオさんたちの方が、沙雪さんの方が、心優しく素敵な方々です。正純さんも、沙雪さんが"人間"だから好いたのではないと思いますよ」
「…………」
「沙雪さん。沙雪さんは、これからどうされたいのですか?」
沙雪さんは顔を伏せて、力なく首をふる。
「……わかりません。夫に真実を訊ねる勇気はありませんし、けれどきっと、二人のことは、頭から離れないと……」
「明日、俺達が様子を見て来る」
「! マオさん」
リビングの扉を開いたその人に、「風斗くんは?」と慌てて訊ねると、
「大丈夫だ。必死に作業を頑張っているからな。飲み物を貰ってくると言ってある」
「用意します!」
不信に思われないよう、急いでコップと麦茶を用意する。
マオはリビングの扉を閉め、
「まだ憶測の範囲なんだろ? 今後を決めるにしても、ちゃんと確定させておいたほうがいい。俺と茉優ならどちらにも顔がバレていないから、探りやすいしな」
「……こんなことまでお願いしてしまって、よろしいのですか?」
「はい、相談事を受けるのも、私達の仕事ですから。……明日はぜひ、風斗くんと一緒にいてあげてください」
「っ!」
沙雪さんが二階へと視線を巡らせる。
小さい声で「風斗……」と呟くと、硬く目をつぶり、深々と頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いします」
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