私が猫又な旦那様の花嫁?~前世の夫婦といわれても記憶がないので、あやかしの血族向け家政婦はじめます~

千早 朔

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仕事中のはずが大ピンチです

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 ――失敗した。

 窓の外は時速八十キロで流れていくビル群。隣で上機嫌にハンドルを握る男を横目でちらりと伺いながら、私は自身の迂闊さに頭を垂れた。
 定期的にハサミを入れているのであろう、赤みの強いピンクの髪。カジュアルに見えるシャツも、きっと拘りのブランドのものなのだろう。

 髪も服装も、清潔感とTPOさえわきまえていればいいかな思考の私とは、正反対もいいところ。
 とはいえ今を含め彼と会う際は常にパンツスーツを着用しているため、きっと彼はそんな私の嗜好など知る由もない。

(……いったい、どこまで行くんだろ)

 訊ねてもいいものか迷ってしまうのは、彼は私の私的な知り合いではなく、仕事における"お客様"だから。
 保険会社に勤めていると、お客様からお客様へと繋がっていくのはよくあることで。この彼――片原さんも、既に担当していたお客様からのご紹介だった。

 私よりも二つ年上の二十七歳だという彼は、私はあまり詳しくはないのだけれど、人気Vチューバ―の"中の人"なのだという。
 契約をしたのは一年ほど前で、今回は内容の見直しをしたいとのことで、直接お会いして話し合いの場を持つ予定になっていた。

 仕事の打ち合わせ後に合流したいからと、片原さんに指定されたのは表参道の路地に面したとあるカフェの前。
 てっきりそこで話し合うものだと思っていたのだけれど、待ち合わせの時間に現れたのは、真っ赤な車に乗る片原さんだった。

「乗って!」

「……へ?」

「早く! ずっと止まってたら迷惑っしょ」

 言葉に、周囲からの視線を自覚する。

(邪魔になる前にどかないと……!)

 迷惑になったらいけない。
 そんな一心で、私は開けられた助手席に乗り込んでしまったのだ。

「ん、いいこ」

(いいこ?)

 妙に近しい物言いに疑念が掠めたけれど、片原さんは「シートベルトして」と満足そうに車を発進させて、

「ちょっと走るよ」

(そう言われてから、かれこれ十五分は経っていると思うのだけれど……)

 なんだか怪しいから、絶対にあの人とは密室で二人きりにならないようにと何度も忠告してくれた、しっかり者な後輩の顔が浮かぶ。

(ど、どうしよう)

 この後に他のアポイントは入れていないけれど、せめてどこに向かっているのかは知っておきたい。
 こちら持ちだからと高級店に連れていかれても困るし、あまり遠くに連れ出されても帰りの代金が心配になってしまう。

「あ、あの、片原さん」

 発した声に察してくれたのか、片原さんは「ああ」と気づいたように横目でちらりと私を見て、

「大丈夫。もう少しだよ」

 雰囲気的にそれ以上は追及できなくて、ともかく行けばわかるかと目的地への到着を待つ。
 ほどなくして、車は民家の立ち並ぶ路地へ。さらに進んで、看板も出ていない古びた雑居ビルの地下駐車場に入っていく。

(こんなところにカフェが……?)

 それともここで車を降りて、歩くのだろうか。薄暗い空間に置かれた車はまばらで、人の気配はない。
 片原さんが車を止めたのは、その中でも壁を背にした奥の角。
 それもよくよく見てみれば、壁と私側のドアの間は数センチしかあいていないような……?

「片原さん。すみません、これだとちょっと出れそうにないのですが……」

 この状態でドアを開けようものなら、確実に扉に傷をつけてしまう。
 シートベルトはそのままに片原さんを振り返った刹那、

「茉優ちゃん」

 ガシリと掴まれた右手。
 寄せられた上体に、思わず身体をのけ反らせる。

「か、片原さん? 一体どうし――」

「俺の彼女とか、どう?」

「…………はい?」

(いま、彼女って聞こえたような?)

 彼女? 彼女。
 彼女というのはつまり……お付き合いをしている、恋人のこと。

(あ、わかった。彼女さんを私に紹介したいって話ね)

 保険というのは、将来のもしものための大切な備え。
 大事な彼女さんの"もしも"を考えて、つい熱くなってしまったのだろう。

(だから"保険の見直しをしたい"って、今日の呼び出しを)

 あまりに早い相談にも、これで納得がいった。
 それならそうと初めから相談してくれればと思わないでもないが、大切な人も私に担当してほしいと考えてもらえたのは、素直に嬉しい。
 警戒を解いた私は納得の心地で微笑み、

「大切な彼女さまをご紹介いただけるなんて、とても嬉しいです。ご安心ください。私が責任を持って、ご希望に沿った最良のプランをご提示させていただきます」

 決意に手を握り返すと、なぜか片原さんはポカンとあっけにとられたような顔。
 あれ? と首を傾げると、

「ああー……なるほどね。いや、そんな茉優ちゃんもカワイイんだけどね。そうじゃなくさ」

 ぐいと手を引かれる。
 よろけた私を抱き寄せて、強い指先が私の顎先を掴んだ。

「俺の彼女になってよってコト」

「…………はい?」
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