2 / 51
仕事中のはずが大ピンチです
しおりを挟む
――失敗した。
窓の外は時速八十キロで流れていくビル群。隣で上機嫌にハンドルを握る男を横目でちらりと伺いながら、私は自身の迂闊さに頭を垂れた。
定期的にハサミを入れているのであろう、赤みの強いピンクの髪。カジュアルに見えるシャツも、きっと拘りのブランドのものなのだろう。
髪も服装も、清潔感とTPOさえわきまえていればいいかな思考の私とは、正反対もいいところ。
とはいえ今を含め彼と会う際は常にパンツスーツを着用しているため、きっと彼はそんな私の嗜好など知る由もない。
(……いったい、どこまで行くんだろ)
訊ねてもいいものか迷ってしまうのは、彼は私の私的な知り合いではなく、仕事における"お客様"だから。
保険会社に勤めていると、お客様からお客様へと繋がっていくのはよくあることで。この彼――片原さんも、既に担当していたお客様からのご紹介だった。
私よりも二つ年上の二十七歳だという彼は、私はあまり詳しくはないのだけれど、人気Vチューバ―の"中の人"なのだという。
契約をしたのは一年ほど前で、今回は内容の見直しをしたいとのことで、直接お会いして話し合いの場を持つ予定になっていた。
仕事の打ち合わせ後に合流したいからと、片原さんに指定されたのは表参道の路地に面したとあるカフェの前。
てっきりそこで話し合うものだと思っていたのだけれど、待ち合わせの時間に現れたのは、真っ赤な車に乗る片原さんだった。
「乗って!」
「……へ?」
「早く! ずっと止まってたら迷惑っしょ」
言葉に、周囲からの視線を自覚する。
(邪魔になる前にどかないと……!)
迷惑になったらいけない。
そんな一心で、私は開けられた助手席に乗り込んでしまったのだ。
「ん、いいこ」
(いいこ?)
妙に近しい物言いに疑念が掠めたけれど、片原さんは「シートベルトして」と満足そうに車を発進させて、
「ちょっと走るよ」
(そう言われてから、かれこれ十五分は経っていると思うのだけれど……)
なんだか怪しいから、絶対にあの人とは密室で二人きりにならないようにと何度も忠告してくれた、しっかり者な後輩の顔が浮かぶ。
(ど、どうしよう)
この後に他のアポイントは入れていないけれど、せめてどこに向かっているのかは知っておきたい。
こちら持ちだからと高級店に連れていかれても困るし、あまり遠くに連れ出されても帰りの代金が心配になってしまう。
「あ、あの、片原さん」
発した声に察してくれたのか、片原さんは「ああ」と気づいたように横目でちらりと私を見て、
「大丈夫。もう少しだよ」
雰囲気的にそれ以上は追及できなくて、ともかく行けばわかるかと目的地への到着を待つ。
ほどなくして、車は民家の立ち並ぶ路地へ。さらに進んで、看板も出ていない古びた雑居ビルの地下駐車場に入っていく。
(こんなところにカフェが……?)
それともここで車を降りて、歩くのだろうか。薄暗い空間に置かれた車はまばらで、人の気配はない。
片原さんが車を止めたのは、その中でも壁を背にした奥の角。
それもよくよく見てみれば、壁と私側のドアの間は数センチしかあいていないような……?
「片原さん。すみません、これだとちょっと出れそうにないのですが……」
この状態でドアを開けようものなら、確実に扉に傷をつけてしまう。
シートベルトはそのままに片原さんを振り返った刹那、
「茉優ちゃん」
ガシリと掴まれた右手。
寄せられた上体に、思わず身体をのけ反らせる。
「か、片原さん? 一体どうし――」
「俺の彼女とか、どう?」
「…………はい?」
(いま、彼女って聞こえたような?)
彼女? 彼女。
彼女というのはつまり……お付き合いをしている、恋人のこと。
(あ、わかった。彼女さんを私に紹介したいって話ね)
保険というのは、将来のもしものための大切な備え。
大事な彼女さんの"もしも"を考えて、つい熱くなってしまったのだろう。
(だから"保険の見直しをしたい"って、今日の呼び出しを)
あまりに早い相談にも、これで納得がいった。
それならそうと初めから相談してくれればと思わないでもないが、大切な人も私に担当してほしいと考えてもらえたのは、素直に嬉しい。
警戒を解いた私は納得の心地で微笑み、
「大切な彼女さまをご紹介いただけるなんて、とても嬉しいです。ご安心ください。私が責任を持って、ご希望に沿った最良のプランをご提示させていただきます」
決意に手を握り返すと、なぜか片原さんはポカンとあっけにとられたような顔。
あれ? と首を傾げると、
「ああー……なるほどね。いや、そんな茉優ちゃんもカワイイんだけどね。そうじゃなくさ」
ぐいと手を引かれる。
よろけた私を抱き寄せて、強い指先が私の顎先を掴んだ。
「俺の彼女になってよってコト」
「…………はい?」
窓の外は時速八十キロで流れていくビル群。隣で上機嫌にハンドルを握る男を横目でちらりと伺いながら、私は自身の迂闊さに頭を垂れた。
定期的にハサミを入れているのであろう、赤みの強いピンクの髪。カジュアルに見えるシャツも、きっと拘りのブランドのものなのだろう。
髪も服装も、清潔感とTPOさえわきまえていればいいかな思考の私とは、正反対もいいところ。
とはいえ今を含め彼と会う際は常にパンツスーツを着用しているため、きっと彼はそんな私の嗜好など知る由もない。
(……いったい、どこまで行くんだろ)
訊ねてもいいものか迷ってしまうのは、彼は私の私的な知り合いではなく、仕事における"お客様"だから。
保険会社に勤めていると、お客様からお客様へと繋がっていくのはよくあることで。この彼――片原さんも、既に担当していたお客様からのご紹介だった。
私よりも二つ年上の二十七歳だという彼は、私はあまり詳しくはないのだけれど、人気Vチューバ―の"中の人"なのだという。
契約をしたのは一年ほど前で、今回は内容の見直しをしたいとのことで、直接お会いして話し合いの場を持つ予定になっていた。
仕事の打ち合わせ後に合流したいからと、片原さんに指定されたのは表参道の路地に面したとあるカフェの前。
てっきりそこで話し合うものだと思っていたのだけれど、待ち合わせの時間に現れたのは、真っ赤な車に乗る片原さんだった。
「乗って!」
「……へ?」
「早く! ずっと止まってたら迷惑っしょ」
言葉に、周囲からの視線を自覚する。
(邪魔になる前にどかないと……!)
迷惑になったらいけない。
そんな一心で、私は開けられた助手席に乗り込んでしまったのだ。
「ん、いいこ」
(いいこ?)
妙に近しい物言いに疑念が掠めたけれど、片原さんは「シートベルトして」と満足そうに車を発進させて、
「ちょっと走るよ」
(そう言われてから、かれこれ十五分は経っていると思うのだけれど……)
なんだか怪しいから、絶対にあの人とは密室で二人きりにならないようにと何度も忠告してくれた、しっかり者な後輩の顔が浮かぶ。
(ど、どうしよう)
この後に他のアポイントは入れていないけれど、せめてどこに向かっているのかは知っておきたい。
こちら持ちだからと高級店に連れていかれても困るし、あまり遠くに連れ出されても帰りの代金が心配になってしまう。
「あ、あの、片原さん」
発した声に察してくれたのか、片原さんは「ああ」と気づいたように横目でちらりと私を見て、
「大丈夫。もう少しだよ」
雰囲気的にそれ以上は追及できなくて、ともかく行けばわかるかと目的地への到着を待つ。
ほどなくして、車は民家の立ち並ぶ路地へ。さらに進んで、看板も出ていない古びた雑居ビルの地下駐車場に入っていく。
(こんなところにカフェが……?)
それともここで車を降りて、歩くのだろうか。薄暗い空間に置かれた車はまばらで、人の気配はない。
片原さんが車を止めたのは、その中でも壁を背にした奥の角。
それもよくよく見てみれば、壁と私側のドアの間は数センチしかあいていないような……?
「片原さん。すみません、これだとちょっと出れそうにないのですが……」
この状態でドアを開けようものなら、確実に扉に傷をつけてしまう。
シートベルトはそのままに片原さんを振り返った刹那、
「茉優ちゃん」
ガシリと掴まれた右手。
寄せられた上体に、思わず身体をのけ反らせる。
「か、片原さん? 一体どうし――」
「俺の彼女とか、どう?」
「…………はい?」
(いま、彼女って聞こえたような?)
彼女? 彼女。
彼女というのはつまり……お付き合いをしている、恋人のこと。
(あ、わかった。彼女さんを私に紹介したいって話ね)
保険というのは、将来のもしものための大切な備え。
大事な彼女さんの"もしも"を考えて、つい熱くなってしまったのだろう。
(だから"保険の見直しをしたい"って、今日の呼び出しを)
あまりに早い相談にも、これで納得がいった。
それならそうと初めから相談してくれればと思わないでもないが、大切な人も私に担当してほしいと考えてもらえたのは、素直に嬉しい。
警戒を解いた私は納得の心地で微笑み、
「大切な彼女さまをご紹介いただけるなんて、とても嬉しいです。ご安心ください。私が責任を持って、ご希望に沿った最良のプランをご提示させていただきます」
決意に手を握り返すと、なぜか片原さんはポカンとあっけにとられたような顔。
あれ? と首を傾げると、
「ああー……なるほどね。いや、そんな茉優ちゃんもカワイイんだけどね。そうじゃなくさ」
ぐいと手を引かれる。
よろけた私を抱き寄せて、強い指先が私の顎先を掴んだ。
「俺の彼女になってよってコト」
「…………はい?」
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
神様の学校 八百万ご指南いたします
浅井 ことは
キャラ文芸
☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:
八百万《かみさま》の学校。
ひょんなことから神様の依頼を受けてしまった翔平《しょうへい》。
1代おきに神様の御用を聞いている家系と知らされるも、子どもの姿の神様にこき使われ、学校の先生になれと言われしまう。
来る生徒はどんな生徒か知らされていない翔平の授業が始まる。
☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:
※表紙の無断使用は固くお断りしていただいております。
真夜中の仕出し屋さん~料理上手な狛犬様と暮らすことになりました~
椿蛍
キャラ文芸
「結婚するか、化け物屋敷を管理するか」
仕事を辞めた私に、父は二つの選択肢を迫った。
料亭『吉浪』に働いて六年。
挫折し、料理を作れなくなってしまった――
結婚を断り、私が選んだのは、化け物屋敷と父が呼ぶ、亡くなった祖父の家へ行くことだった。
祖父が亡くなって、店は閉まっているはずだったけれど、なぜか店は開いていて――
初出:2024.5.10~
※他サイト様に投稿したものを大幅改稿しております。
裏吉原あやかし語り
石田空
キャラ文芸
「堀の向こうには裏吉原があり、そこでは苦界の苦しみはないよ」
吉原に売られ、顔の火傷が原因で年季が明けるまで下働きとしてこき使われている音羽は、火事の日、遊女たちの噂になっている裏吉原に行けると信じて、堀に飛び込んだ。
そこで待っていたのは、人間のいない裏吉原。ここを出るためにはどのみち徳を積まないと出られないというあやかしだけの街だった。
「極楽浄土にそんな簡単に行けたら苦労はしないさね。あたしたちができるのは、ひとの苦しみを分かつことだけさ」
自称魔女の柊野に拾われた音羽は、裏吉原のひとびとの悩みを分かつ手伝いをはじめることになる。
*カクヨム、エブリスタ、pixivにも掲載しております。
ナマズの器
螢宮よう
キャラ文芸
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代の赤い髪の少女の物語。
不遇な赤い髪の女の子が過去、神様、因縁に巻き込まれながらも前向きに頑張り大好きな人たちを守ろうと奔走する和風ファンタジー。
鬼の御宿の嫁入り狐
梅野小吹
キャラ文芸
▼2025.2月 書籍 第2巻発売中!
【第6回キャラ文芸大賞/あやかし賞 受賞作】
鬼の一族が棲まう隠れ里には、三つの尾を持つ妖狐の少女が暮らしている。
彼女──縁(より)は、腹部に火傷を負った状態で倒れているところを旅籠屋の次男・琥珀(こはく)によって助けられ、彼が縁を「自分の嫁にする」と宣言したことがきっかけで、羅刹と呼ばれる鬼の一家と共に暮らすようになった。
優しい一家に愛されてすくすくと大きくなった彼女は、天真爛漫な愛らしい乙女へと成長したものの、年頃になるにつれて共に育った琥珀や家族との種族差に疎外感を覚えるようになっていく。
「私だけ、どうして、鬼じゃないんだろう……」
劣等感を抱き、自分が鬼の家族にとって本当に必要な存在なのかと不安を覚える縁。
そんな憂いを抱える中、彼女の元に現れたのは、縁を〝花嫁〟と呼ぶ美しい妖狐の青年で……?
育ててくれた鬼の家族。
自分と同じ妖狐の一族。
腹部に残る火傷痕。
人々が語る『狐の嫁入り』──。
空の隙間から雨が降る時、小さな体に傷を宿して、鬼に嫁入りした少女の話。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな
ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】
少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。
次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。
姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。
笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。
なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中
約束のあやかし堂 ~夏時雨の誓い~
陰東 愛香音
キャラ文芸
高知県吾川郡仁淀川町。
四万十川に続く清流として有名な仁淀川が流れるこの地には、およそ400年の歴史を持つ“寄相神社”と呼ばれる社がある。
山間にひっそりと佇むこの社は仁淀川町を静かに見守る社だった。
その寄相神社には一匹の猫が長い間棲み付いている。
誰の目にも止まらないその猫の名は――狸奴《りと》。
夜になると、狸奴は人の姿に変わり、寄相神社の境内に立ち神楽鈴を手に舞を踊る。
ある人との約束を守る為に、人々の安寧を願い神楽を舞う。
ある日、その寄相神社に一人の女子大生が訪れた。
彼女はこの地域には何の縁もゆかりもない女子大生――藤岡加奈子。
神社仏閣巡りが趣味で、夏休みを利用して四国八十八か所巡りを済ませて来たばかりの加奈子は一人、地元の人間しか知らないような神社を巡る旅をしようと、ここへとたどり着く。
**************
※この物語には実際の地名など使用していますが、完全なフィクションであり実在の人物や団体などとは関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる