Vibrato 

K

文字の大きさ
上 下
40 / 44

40 俺が決めた女

しおりを挟む

 俺から見て『彼女』だと思っていた女のことを、槇先輩はずっと『生徒』だと言い張っていた。


 そんな槇先輩が卒業式を迎える少し前、入籍したことを俺に教えてくれた。長い間気持ちを伝えていなかったらしいし、実際には付き合っていなかったから『生徒』、『婚約者』、『妻』となったわけか。


 周囲では一番早く知っていた。それも、学食に新しいサイドメニューができてたみたいな感じの報告だった。名前も『藤原』になると。名前まで!何故?全くわからなかった。まるで、彼女と結婚するというより、保護者になるためのように見えた。


 ある日、大学のロビーで女たちに囲まれている槇先輩を発見した。面倒そうに目を伏せ、自分のこめかみに手をあてた左手の指に、ライトが反射して光った。近づいてよく見たらやはり薬指で、指輪は細身だった。女避けかと思うくらいにピカピカだった。俺は悪戯心が復活した。



「藤原先生!」
と声をかけてみた。彼はすぐに反応した。

「もう、名前が馴染んでいるんですか?早速指輪着けて、愛妻家ですね。向こうから光って見えましたよ?」


 そこへ、知らない女が出てきて俺に相手をしてほしがった。俺は最初、面白半分で見ていたが、そいつの何か必死な感じが、俺の何かと同じ気がして、観察してみることにした。母親がヴァイオリンの小石川先生というのも良かった。


 去年の冬の実技試験に、ヴァイオリン専攻の同級生の伴奏をした。その時に小石川先生のレッスンに同伴した。小石川先生の音楽への強い情熱、厳しい指導、美人で勝ち気そうな雰囲気は好みだった。その娘か。なるほどよく似ている。演奏も。音大には楽々入れるレベルだが敢えて選択しない。それでいて、情熱がある。


 この女を落とすのに、一番効果的な曲は何か考えた。普通の女になら『ラ・カンパネラ』か、いやもっと短時間ですむ『革命』を適当に弾けば充分だ。本気なら『幻想即興曲』を甘い雰囲気たっぷりに弾いてもいい。それでも5分だ。


 俺は、珍しく自分に勝負してみた。別にそいつが落ちても落ちなくても、次の教授の初レッスンの練習だと思えばいい。俺は一切おふざけ無し、格好つけも無しで、『ワルトシュタイン』を全楽章通して真面目に弾いた。


 俺の母親は、威圧的な父親におどおどしているだけだ。父親は俺の音楽には反対だったし、母親が俺の味方にならなかったように、俺も母親を庇うこともしなかった。酷い扱いをされていた訳ではないが、あの母親の人生は、俺のおかげで更に悪くなったかもしれない。父親と上手くいかなくて、申し訳なかった。兄と父親、母親は上手くやっているから、逆に俺はすんなり東京に出してもらった。俺はもう、家に帰るつもりはない。


 あいつはあいつで、父親の決めた婚約者……家柄がいいだけで面白くもかっこよくも若くもない、幼稚部からの女子校出身のブランド嫁が欲しいだけだとレストランでぶちまけてきた。安いワインで酔った訳ではないことはわかった。そして、独り暮らしの俺の部屋に誘った。俺の部屋ですぐに抱き合い、互いの何かをうめあわせるように求めあった。そして、互いに決意した。


 それからすぐに、そいつは俺を小石川先生に紹介してくれた。小石川先生は、伴奏に同伴した俺のことを覚えていてくれたし、教授の門下なのも、特待生なのも、実家がどこなのかも知っていた。


 小石川先生の名前は旧姓で、そいつは平山マヤというのだそうだ。

「マヤさんのように、明るい発音の、いい名前ですね」
 俺は槇先輩になったつもりで言ってみたら大当たりだった。


 小石川先生は、
「高橋くん、平山になる気はある?」
と聞いてきた。

「はい」
と答えた。


 実家で俺が欲しかったもの、それを全てマヤがくれる。俺は、マヤの望む、若くて面白くて格好いい男になろうと決意した。


 今住んでいる、音大生向け防音マンションは今月末で引き払い、マヤの実家に入ることにした。今の部屋よりも広い、俺専用の部屋……別宅と、そこにスタインウェイのグランドピアノを用意してくれるようだ。

 マヤと平山家を大切にしていこうと思う。


 平山慎二になりましたと、槇先輩に言ったら驚くだろう。槇先輩の驚いた顔が見たい。


 どんな風に演出するか、考えるのが楽しくなり、俺は始終微笑むようになった。




















しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

【完結】忌み子と呼ばれた公爵令嬢

美原風香
恋愛
「ティアフレア・ローズ・フィーン嬢に使節団への同行を命じる」  かつて、忌み子と呼ばれた公爵令嬢がいた。  誰からも嫌われ、疎まれ、生まれてきたことすら祝福されなかった1人の令嬢が、王国から追放され帝国に行った。  そこで彼女はある1人の人物と出会う。  彼のおかげで冷え切った心は温められて、彼女は生まれて初めて心の底から笑みを浮かべた。  ーー蜂蜜みたい。  これは金色の瞳に魅せられた令嬢が幸せになる、そんなお話。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

処理中です...