Vibrato 

K

文字の大きさ
上 下
35 / 44

35 先輩の失態

しおりを挟む


 優秀者演奏会は無事に終わった。


 槇先輩には及ばないが、俺にもファンがいて、名前はほとんどわからなかったが顔だけは覚えるようにした。鞄に持ちきれない程の花とプレゼントを両手に抱えて帰宅することになった。
 俺はマンションが近くだから着替えずに帰っても構わない。鍵はどこだっけ……?鞄のポケットか。この状態で、どうやって出すんだ?


 そんなことを考えながらホールを出た。大学の正門までの間に、誰かに呼び止められた。

「高橋君!」

 走ってきたのは、ノートの女だった。何かを僕に差し出した。プレゼントか。

「チケットありがとう。高橋君も、すごく良かった!上手なんだね!」

 俺は、正直複雑な気持ちだった。槇先輩に渡したけど受け取ってもらえなかったから俺に、じゃないだろうな。

 そこへ、槇先輩が現れた。手には何も持っていない。確か、去年も誰からも受け取っていなかったように記憶している。

「かおり?」


 俺はハッとした。

「えっ?」

 そう言ったのは女だ。

 俺は驚いて声を出せなかった。ノートの女は後ろを振り返り、槇先輩の存在に驚いた。



 槇先輩は、振り返った女が予想していた人間ではなかったことに驚いた……そういうことだろう。




 俺は何も言えなくて、何も言わなくて正解だった。何も言える筈がない。今は部外者だ。


 沈黙の後、
「すまない、人違いだ」
槇先輩が謝った。いつもの声だった。おそらく、今間違えたのは、彼女の名前……。特別甘い囁きでも何でもなかった。それでも、普段先輩が大学の女達に対する、愛想も色気もない、事務的な会話とはまるで違う呼び掛けだったのだ。先輩は彼女をそんな風に呼ぶのか……。


 俺はちょっと面白くなった。この女は先輩の彼女に似ているのか。165センチ位、下ろしただけの、黒くて長い髪、お嬢様っぽい洋服。あのもやもやがなくなるような気がした。演奏会が無事に終わって俺は変になっていたのだろう。おそらく、先輩も疲れて間違えたに違いない。


「行こう?……先輩、お疲れ様でした。失礼します」

 俺は、呆然としている女を誘って歩きだした。




「大丈夫?歩ける?」

 俺は優しく言った。女は黙って着いてきた。

「鍵、出してくれる?鞄の外側のポケット」

 花束や、細々したプレゼントを抱えて手が離せない風を装って、女に鞄から鍵を出してもらった。


 女も、まだプレゼントを持っていた。

「それ、僕に?」
 女は頷いた。俺のマンションに着いた。

「鍵、開けてくれる?」

 女は、少し戸惑いつつも……俺の部屋のドアを開けた。


 そこから先は、言うまでもない。

「俺を、先輩だと思っていいよ」


 女はたちまち小さな女の子のようになり、俺の胸で静かに泣いた。

 俺は優しく女を抱きしめた。


 槇先輩、間違えたりして……。
















しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...