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26 俺の可愛い犬

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 カフェで声を掛けてきた女は花菜という。

 俺が計画をたて、たくさん出した課題をちゃんとやってくる。

 犬みたいだ。俺は犬が好きだ。血統書とかはどうでもいい。

 思えば、東京に出てきた18歳の俺にとって、梢は極上の猫のような女だった。毛並の良い、誰かに飼われている猫……首輪を自分で外して、家に帰る時だけ着けているような……また思い出してしまう自分がいた。


 花菜は、俺が与えた課題をやるようになってから、花菜が自分でできることが増えていった。相当時間はかかるが、大学に入ってから音大を目指す俺も遅いだろう。解かせている間、俺は花菜を見ていた。


 花菜と会っている時間以外は、全て練習と勉強をしていたから、花菜との時間はいい休憩になった。


 花菜とは夏休みになってから毎日会っていたから、電話をしてくることもなかったし、俺の家がどこか、出身がどこか、大学がどこかなど詮索されないのも良かった。聞かれたら答えるつもりだったが、大抵大学の名前が判ると相手の目の色が変わる。梢はもともとチラシを配りに来ていたくらいだから変わったりはしなかったが……また思い出してしまった。


 花菜が、自分で解いた宿題を見せてきた。俺はそれを確認した。

「ちゃんと出来てるよ」

 これをやっていなければ計画が崩れる。やっていなければ、俺はハッキリ言うつもりでいた。卒業できないぞと。男とつきあってる場合じゃないぞと。いつもやってあるようにと祈っていた。しかし、やってあったらあったで、容赦なく次がある。

「これが基本だからね。今日は先に進むよ」

 卒業が危ういなら甘やかしてはいられない。



 時間もかけた。丁寧に解説した。理解できたかどうかを確認するために、目の前で類似問題を作って解かせた。花菜は泣き言を言ったり、助けを求めたりせず、何とかして自分で解く姿勢を感じた。


 外が暗くなり、もう夜になった。

 バイトを辞めていてよかった。


 いつしか、バイトよりこちらの生活が充実度を感じていた。花菜の部屋に来たが、花菜は疲れからか、ぼうっとしていた。いつもならそれでもピアノのレッスンをするところだ。今日の単元は難しかっただろう。


「疲れたんだろ?今日は俺が弾こうか?」


 俺は、ショパンの『幻想即興曲』を弾いた。

 バイトのおかげで、習ったことはなくてもショパンのレパートリーはたくさんあった。こういう曲は習ったりしなかった。

 花菜は黙ったまま、俺のことを見ていた。




 弾き終わってから、
「どうしたの?黙って」
俺は花菜に聞いてみた。



「慎二くんて、ピアノも上手くて素敵な人で、私と毎週勉強することになって、慎二くんの時間がなくなっちゃって、申し訳ないなって」

 花菜は下を向いた。犬の目が、女の子の目になっていた。いや、最初から女の子だが。

「どうしたの?」

 花菜にそう言われた時には、俺の体はそちらに動いてキスを落としていた。顎から手を離しても、花菜は逃げたりせず、俺の唇を押しあてられたまま、静かに受け入れていた。


 俺はそのまま手を下に下ろしていくと、僅かに胸に触れた。あ、結構あるんだなと思った。誰と比べたかは言うまでもない。


「もっとしてもいい?」


 聞いてみた。
 拒まないだろうと思ったのに、笑って「ううん」と言った。


「どうして?」

 花菜が聞いてきた。

 女って聞きたがるよな。


「いい子だなって」

 安心させてやればいい。

 まさか正直に、俺の中で犬から女の子に変わったなんて言わなくていい。


「私のこと嫌いじゃない?」

 ほらきた。

「好きだよ」

 俺は、どのくらい好きかは答えられそうになかったが、花菜はこれだけでも満足したみたいだった。ちょろいな。


「もっとしちゃだめなの?」

 もう一度聞いてみた。だめじゃないだろ?



 花菜は答えないまま、立っていたピアノの側から後退りした。


 俺と同じマンションだが、ここはコンパクトタイプのワンルームで、ピアノからベッドまですぐだった。
 俺は優しくベッドに倒した。


 梢のことを、本当に慰めてくれたのは、もう勉強でも小説でもない、花菜だった。
















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