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4 シンイチが、先生なの?

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 学校帰りに、シンイチを連れて帰った。

「ただいまー!」
「こんにちは」

 お母さんは、シンイチを見るなりご機嫌で出迎えてくれた。

 シンイチは、うちのリビングにあるピアノを見ても驚かなかった。
「皆は驚くのに、シンイチは驚かないんだな」
「えっと……友達の家に行くの、初めてで……」
「そっか。シンイチの家、ちょっと遠いしな。ピアノがある家は多いけど、グランドピアノがあるのはすごいって、友達に必ず言われるんだ。シンイチ、おやつ食べたらさ、何か弾いてくれない?」
「うん」


 お母さんがリビングのテーブルにおやつを持ってきてくれた。
 手を洗ってテーブルにつくと、お母さんも僕達の会話に入ってきた。

「シンイチくん、どうぞ」
「ありがとうございます」

「高田先生のこともご存知なの?」
「はい。この近くだと聞いていました。大学に入る前から母のところにレッスンに来ていました」

「そうなのね。うちの美桜は五歳から習わせてるんだけど、ちっともやらなくて。でも高田先生のこと大好きだから休まずに通っていたの。それが、この前のコンサート以来練習するようになってね。なんだか私も嬉しくって」

 こんなに機嫌のいいお母さんは久しぶりだ。

「美桜は?」
「美桜は給食なかったから家でお昼を食べてから、お友達のおうちに遊びに行ったわ。シンイチくん、ゆっくりしていってね」

 お母さんはにこにこしながらキッチンに行った。

 僕達はおやつを食べた後、夏休みの宿題の話をした。これとこれはすぐにできるなとか、苦手なやつをどうするかとか、時間がかかりそうなのをいつやるかとか、作戦会議みたいに話をした。


 僕もシンイチも、お母さんに言われる前に片付けてしまうか、やっているところを見せれば何も言われないことを知っている。美桜はそうしないからお母さんがうるさいのに、それがまだわからないんだよな。要領悪いよ。

 僕はお母さんに聞こえないよう、小さい声でシンイチにそんなことを話した。


「そうそう。あの子何ていうの?かおちゃん?」
「…………かおり」

「まだ幼稚園なら、宿題ないか」
「うん」
 シンイチは笑った。

 宿題の作戦会議が終わった。面倒なのはこれとこれ、時間がかかるのがこれで、毎日少しずつやらないといけない。一学期から続けている観察日記以外は、全てすぐにやってしまおうという算段だ。まだやってはいない。


「ねぇ、ピアノ弾いてよ」
「うん。いいよ」

 二人でピアノのところに行った。

「何ていう曲を弾いてくれるの?」
「モーツァルトのピアノソナタ11番。音楽室の壁の、一番右の赤い服着てる人」
「あぁ、あの人か!」

 僕は、あの肖像画を思い出した。ピアノの椅子の近くに、自分が座るための椅子を持ってきて座った。

 演奏が始まった。
 
 僕は、ピアノの前に座ったシンイチが別人のようになったのを感じた。服装もさっきと変わっていない。
「あの先生が作るプリント、面倒臭いな」なんて言って一緒に笑っていたシンイチは、そこにはいなかった。

 何でもないようなポロンとした音さえ、すごくキレイで、驚いた。うちのピアノから、そんなキレイな音が出るなんて知らなかった。美桜からは聴いたことがない。いつまでもいつまでも聴いていたい、そんな経験は初めてだった。


 きっぱりとした最後の音が、一際輝くように鳴った。

 リビングに響いた音が消え、シンイチが静かに手を膝に置いた時、ドアの入り口で美桜が聴いていたのがわかった。



「こんにちは。お邪魔しています」

 シンイチが立ち上がってそう言ったのに、美桜はそれに答えず、バタバタと慌ただしく二階に上がっていってしまった。


「なんだ、あいつ。それ……いい曲だね」
「今のが一楽章で、三楽章が有名な、これ」

 シンイチがまた弾きだした。速くて駆け抜けるような曲。聴いたことがある。でも、こんなに近くで聴いたことは今までになかった。何て楽しそうに弾くんだろう。僕は聴いているだけで興奮した。

「シンイチ、すごいね!」
「ありがとう。でもすごくないよ。発表会で弾くために、たくさん練習したから。お母さんピアノの先生だし。相当な時間と結構な量をこなしてる。普通はそんなにやらないだろう?」

「美桜はやらない。やればできるんだろうけど」
「うん、やればできるよ。僕……かおちゃんにピアノを教えてるんだ」

「え、お母さんが教えてるんじゃないの?」 
「うん。僕はお母さんに教わってるけど、かおちゃんには僕が教えてる。かおちゃんは、すぐにはできないんだけど、何回も時間をかけてやればできるんだ」

 その時、
「私にも教えてくれない?」
という声がした。

 美桜がリビングに入ってきた。小さい頃はともかく、いつもだったら入ってくるなとか、邪魔するなとか言っていただろう。
 でも、僕は美桜があのコンサートをきっかけにピアノを頑張りだしたこと、お母さんが機嫌よくなったことで、何かを期待していたのかもしれない。


「僕がわかることなら……」
 シンイチはそう答えた。
 美桜はものすごく真剣な顔をして、こちらに来た。そして、今弾いている楽譜を取り出した。

「今練習している曲はどれ?」
「これと、これと、これ」
「弾いてみて」

 美桜は弾きだした。昨日惜しかったところはまだ出来ていなかった。一曲めがそんな感じで、二曲めは両手でやっと……っていうのか?三曲めは片手だけでもあやしい。ずっこけそうになる。

「次のレッスンはいつ?」
「明後日」

「これ、今一緒に練習して出来るようにする?」
「うん!」

「ビデオか、録音できるもの、ある?」

 僕がお母さんに借りに行った。お母さんは、それはそれは張り切ってビデオと三脚を持ってきて、ピアノの横にセットした。

「お願いします」
 お母さんがそう言って、美桜も倣った。
「おねがいします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 シンイチは先生みたいだった。
「まず、三曲めからね」

 シンイチは両手で弾き、その後片手ずつ弾いた。
 そんなにキレイな曲だったとは驚いた。それに、片手だけでもキレイだった。両手になるとキレイになるってわけじゃないんだと初めて知った。

 シンイチは楽譜をビデオに向けながら、この曲のねらいであるとか、この部分が難しいとか、これから先も同じやり方が別の形で出てくるから、今だけと思わずにきちんと覚えて出来るようにしておくといい、というようなことを話してくれた。

 次に、音符を指差してドレミで歌った。2回目は、美桜にも一緒に歌わせたが、美桜はあまり歌えていなかったようだ。もう一度シンイチが一人で歌ってから美桜も一緒に歌わせると、さっきよりもよく理解できていることがわかった。今まで、わかっていなかったんだ。

 それからシンイチは、自分の右手の手のひらに自分の左手を乗せて、まるでその上でピアノを弾くようにしながら歌った。

 手首や指の使い方、ここを気をつける、美桜が良くないところ……、こういうときにこうなるから、良くない力が入る。
 本人はわざとではないので、見つけた時にお母さんが声をかけて注意してあげてください……みたいなことを説明して、美桜にも同じようにさせた。

 その後ようやくピアノで弾いた。美桜は、一回で出来た。美桜とお母さんが、二人がかりで数日かけてやっていたことを……。

「左手はまた後で復習して。次は右手ね」

 右手も同じように説明して、歌い、注意すべきことと難しいところ、左手と合わせる時にここが難しいから、というようなことを楽譜をビデオに見せながら話した。

 美桜は右利きだし、こちらも今までのことが嘘のように出来た。

 両手の練習のしかたも、美桜とお母さんがやっているやり方……最初から弾く、みたいなやり方ではなく、まず曲の後半の難しいところを部分的に取り出して練習させた。


 一番大変だった三曲めが出来た。二曲めは『リズム練習』といって、同じ音でリズムを変えて弾く練習をした。それから一曲めの出来ないところを練習した。大きい音と小さい音の出し方、それに、右手と左手の音量を変える技を教えてくれた。そんなことが出来るなんて……。僕はとにかく感心して見ていた。


 シンイチは説明した。
 とにかく、方法はざっとビデオに収まった。後は、覚えているだけの方法でよいから明後日まで、時間の限り復習してみてほしい。このビデオの内容は、また新しい曲になった時にやり方を思い出して参考にして。
 それから、このままやらなかったら忘れてしまうこと。それはもったいないこと。出来たら楽しいし、先生はもっと新しいことをたくさん教えてくださる筈だし、先生も嬉しいし、美桜ちゃんも弾けたら楽しいでしょ?と美桜に優しく諭してくれた。

 シンイチはお母さんに、
「一緒に勉強してくれてありがとうございました」
と言った。


 外はもう、暗かった。
 シンイチも一緒に、うちで夕食を食べた。


 僕は前からシンイチが好きだったが、好きなんて言葉じゃ足りなくなった。

 尊敬に値する存在になった。

















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