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1 新年度、クラブ何にする?

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「まるで恋人だね」
 僕が思わずそう言った時、シンイチは意外なことに照れていた。幼稚園からずっと友達だったけれど、シンイチのそんな表情は初めてだった。

 ピアノや音楽の素晴らしさは、ピアノを習っていた妹ではなく、シンイチに教えてもらった。僕もシンイチも、教わる楽しさを知っている。教わること、教えることについても、たくさん考えさせられた。これは、そんなシンイチとの物語だ。






 僕には一つ年下の妹がいる。名前は美桜。小学校も同じだ。僕達の小学校は国立の小学校で、勉強のテストと、くじを引いて入学できるかどうかが決まる。美桜は僕の真似をしてよく勉強していたし、くじ運も強く、同じ小学校に入れた。お父さんもお母さんもとても喜んだ。もちろん僕も。よくわからないけど、喜ぶべきことだろう。


 美桜はピアノを習っていた。音楽大学に合格した、近所のお姉さんだ。明るくて優しくて、元気な妹に合っているみたいだった。毎週毎週、それはそれは楽しそうに通っていた。

 その先生が音楽大学を卒業し、この四月から楽器店の講師になるという。美桜は先生の自宅でレッスンを受けていたが、曜日と時間を変えて、これからも同じように通い続けるそうだ。美桜はピアノしか習っていないから、何曜日になっても何時からでも問題なかった。



 美桜がどのくらいピアノを弾けるのかというと、……正直、何をもって習っているというのだろうか。習っているの、もったいないんじゃないかと思うくらいだ。

 レッスンに行く前にちょろっと弾いている曲が、ずっと前から同じだ。すらすら弾けないから、何の曲だかわからない。そもそも『ずっと同じ曲を弾いている』とこちらが判断できるまでに、相当の時間がかかっている。まだソレ弾いてるのかよ?と聞きたくなるのを何度我慢したか知れない。お母さんは、よく何も言わないでいられるなと、そちらへの疑問も膨らむ。
 それでも、お父さんもお母さんも僕もピアノは弾けない。この家で一番ピアノが弾けるのが美桜なのだ。
 いや、『弾ける』って何だ?


 僕の学校は宿題がいっぱいある。でも、ピアノの練習ができないなんてことはない……筈だ。僕は試しに、美桜がいない時に楽譜を開いてみた。写真や図があって、わかりやすく書かれている。絵本みたいだ。これを見れば、わざわざ習いに行かなくてもいいんじゃないかとすら思う。それよりも、先生が美桜のために書いてくれた「ここにちゅうい!」「わすれないでね!」「がんばって!」等の言葉や絵文字を見ていたら、なんかもう……「美桜がすみません」という気持ちになってきた。


 僕は学校でリーダーみたいな係をすることが多い。協力的ではない友達が班になった時など、自分も大変だけど、先生ってすごく大変そうだなって思う。
 シンイチが班にいてくれるとすごく助かるんだけど、シンイチも別の班のリーダーになることが多いから、僕達は同じ班になったことがない。リーダー同士、言わなくても判りあえることも多かった。読む本の好みも合うし、よく貸し借りしたりしていた。家が反対方向じゃなかったら、毎日一緒に登下校したいくらいだ。



 実は、美桜への不満がいくつかある。

 美桜は、毎朝毎朝うるさい。朝のアラームが鳴った鳴らないから始まり、起こしたとか起こされてないとか……。「帽子がない、靴下がない、ハンカチがない、定期入れがない」と叫ぶ妹に、「あそこに置いたでしょ」とか、「いつも置く場所を決めなさいと言ったでしょ」というお母さんに、「置いたもん!」と返す美桜。しまいには、「お兄ちゃんがどこかに動かしたんじゃないか」とか……絶対に動かしてなんかいない。お母さんと美桜が言い合うと、うるさいのは二人分以上になる。

 
 今日も変わらない朝の風景だった。
 僕はため息をつきながら玄関のドアを開けた。

「いってきます」
 わざと小さい声で言ったのに、美桜は耳がいい。

「お兄ちゃん!待ってよ!あと五分!」
「二回待ったからもう十分たったよ!先に行くからな」

 最初から待たなきゃいいのに、一回目から待たないのも何だかね……。もう一年生じゃないんだ。もう慣れただろうから、本当に別々に行こうかな。お母さんも僕に「先に行っていいよ」って言ってくれないかな。



 今日から四年生。新しくクラブが始まる。シンイチと一緒だったら何でもいい……そんな風に思っていた。


 反対方向の電車から来たシンイチに駅で一緒になった。

「シンイチ、おはよう!」
「おはよう、タケル」

 いつも穏やかなシンイチと話すとほっとする。シンイチの家族も全員そうなのかな。

「シンイチ、クラブ何入る?」
「読書クラブにするつもり」
「僕も!」

 僕は嬉しかった。


 今週は初めてのクラブの時間がある。今週と来週、好きなクラブを見学して体験できる。人数が多すぎると、高学年から優先になり希望者を調整するらしい。掲示板に、人気のクラブや希望人数が発表されている。読書クラブは大丈夫そうだ。



 クラブの日。読書クラブは女子が多かった。
 僕達は図書室の一番前の列の端に座った。


「シンイチ、よかったな」
「うん。借りてくるね」

 シンイチは席にノートと筆箱を置いてすぐに、歴史の本棚の方へ行った。
 僕も行こう。


 僕が席に戻ってくると、シンイチは既に座っていて借りた本を開き、自分のノートに何かを書いていた。書き写しているみたいだ。

「何書いてるの?」
 僕は小さい声で聞いた。

「バッハのこと。調べたいことがあったんだ」
 シンイチはそう言って、勉強を始めた。僕は邪魔しないで、借りてきた本を読んだ。学年が上がったばかりで『貸し出しカード』はできていない。今日は借りることはできないから、クラブの時間内に読み終わりそうなものを読んだ。
 想像以上に軽いものだったからすぐに読み終わった。
 シンイチの方を見たら、まだソレをやっていた。


 終了時間のチャイムが鳴る少し前に先生の指示があり、全員が本を返した。
 次回のクラブのこと、次回は別のクラブに行ってもいいこと、最終的に決めるのはその後だという説明があった。

 チャイムが鳴った。
 クラブはいろいろな場所で行われるから、ランドセルを持ってクラブに行き、そのまま帰宅する。シンイチと駅まで一緒に歩いた。


「ずっとバッハのこと調べてたの?」
「うん。バッハって家族がたくさんいるんだ」
「ふうん、何でバッハ?」
「今……バッハの曲を弾いているから」
「ピアノ?」
「うん、言ってなかったな」
「そうだったんだ。妹もやってる。やってるっていうほどやってないけど」
「ふうん。タケルはやってないの?」
「ピアノは妹だけでいいみたい。僕はお母さんには言われたことないな……。シンイチはいつからやってるの?」
「いつからだろ?覚えてないや。キライじゃないし……」
「そうなんだ」

 幼稚園の頃から知っていたシンイチがピアノをやってたなんて、今まで知らなかった。シンイチは運動もできるし、勉強もできるし、性格もいい。これからクラブの時間が楽しみだった。





 その週の金曜日の夜。

 美桜のピアノの先生のコンサートに行くことになっていたから、お友達と遊ぶ約束をしないように言われていた。お母さんと美桜だけでいいのに、僕もだってさ。まぁ、いいけど。僕は制服を脱いで洗濯機に入れ、お母さんが出してきた洋服に着替えた。


 特別楽しみにしていたわけではないけれど、来てみたら何だかわくわくした。広い。天井が高い。たくさんの人がいる。この人達は皆ピアノを聴きに来たんだ……僕もそのうちの一人なんだなと、不思議な気持ちになった。昔、子供向けのコンサートに連れていかれた記憶があるが、内容は覚えていない。なんとなく楽しかったくらい。ここには僕達の他に子供はほとんどいなかった。あ……二人いた。

 え、うそ。
「シンイチ?」
「タケル?」
 びっくりした。


 最初は誰だかわからなかった。いや、わかったけど信じられなかった。

 僕が知っているシンイチじゃないみたいだった。
















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