19 / 26
こんな先生になりたかった
19 音大受験
しおりを挟む高校一年の夏からるり子先生のレッスンに通った私も、ついに受験の季節になった。
一週間おきに通ったレッスンは高3から毎週になり、ソルフェージュのテストもしてくださった。
慎一くんとかおりちゃんの成長も楽しみにしていた私は、レッスンの前後までわくわくした。慎一くんがいなくても一人でピアノを弾くかおりちゃんに会えた。逆にかおりちゃんがいなくて慎一くんだけが練習していることもあった。二人ともいない日はなく、いつも音楽があり、先生の家はあたたかい雰囲気に満ちていた。
受験の日は、前日から寮に宿泊できる。
私はもう一日だけホテルに前泊して、るり子先生のレッスンを受け、東京に滞在することに慣れることにした。これは本当によかった。寮に来てから体調を崩してしまい、その結果、受験できたのかどうかわからない受験生がいた。慣れない気候に馴染むのに、一泊早めたことは、体が安心したような気持ちだった。
同じ学年で、同じピアノ演奏科を受験するみかちゃんも、風邪をひかずに順調だった。「お互いに全ての試験が終わったら一緒にごはんを食べよう」と約束した。お友達、特に同じ門下のお友達の存在には、本当に支えられた。どっちが上手いとか、ライバルだなんていうものではなかった。
不思議なことに、落ちる気はしなかったし、地元の家で暮らすのもあと僅かなのだと思うと、嬉しさも寂しさもあった。
受験前のるり子先生の最後のレッスンが終わった。
「もう、言うことはないわ。元気で、体調をくずさないように。ゆっくり眠ってね」
と言われた。
私も先生のおかげで、心配なことは何もなかった。もっとこれをしておけばよかった、という後悔もない。でも、そういう御礼は、合格した時に言いたい。私は、頑張ってきますという気持ちを胸に、先生に頭を下げた。これで最後じゃない。絶対に、また笑顔でお会いしたい。
レッスン室を出ると、慎一くんとかおりちゃんがリビングで私のことを待っていたみたいだった。
「さやかさん、頑張ってきてください。ここでお会いするのは最後ですね。良いご報告、お待ちしております」
「さやかさん、かおちゃんも、こんどいちねんせいなの。おんなじね」
胸がいっぱいになった。二人とも、背が伸びた。慎一くんなんて、もう私と変わらないのでは?笑うところじゃないのに、この二人のコメントが嬉しくて可愛くて、私は背が伸びたかおりちゃんを抱きしめて、ありがとうを伝えた。会ったばかりの時は、ぽちゃぽちゃしていたのに。
ここで会うのは最後か。そうか、合格したら音大のレッスン室になるんだ。
そして、るり子先生のお宅でのレッスンは、本当にそれが最後になった。
合格してすぐに、発表会のためにもう1曲追加することを決め、入寮手続きをしながら練習に励んだ。
発表会のために一年がかりで仕上げた二年前。半年前から取り組んだ一年前。そして今、受験曲以外はレッスンに行かずに一人で仕上げている。自分でやるべきことがわかる。やればやるほど、次々湧いてくるようにに出てくる。いつか先生が言っていた。合格する頃には一人で仕上げられるようになると。
慎一くんは『ショパン作曲スケルツォ2番』、かおりちゃんは『ドビュッシー作曲夢』だと言う。
私は、『メンデルスゾーン作曲ロンド・カプリチオーソ』を弾くことにした。
4月になってすぐの発表会の日は慎一くんの誕生日。るり子先生が一年で一番幸せという日。そんな日に関われることは、私も幸せだった。
かおりちゃんは制服だった。相変わらず可愛いな。
本番前、かおりちゃんはお手洗いでリボンを結び直していた。私は直ぐに外に出ようとしたが、かおりちゃんはずっと下を向いて手を動かしていて、結び終わる気配がなかった。泣きそうというより必死感がすごい。
「かおりちゃん、リボン難しいの?お手伝いしようか?」
「さやかさん、リボンほどけちゃったの。いちねんせいになったらリボンがかわるの。つるつるして、むすべないの」
「そうか、新しいリボンなのね!大丈夫。今日は私が結んであげる。直ぐに慣れるよ……ほら、できた」
「ありがとうございました」
赤ちゃんみたいだったかおりちゃんの長くて柔らかい髪、白い肌、長い手足は、絵画に出てくる外国の少女のようだと思った。
慎一くんがかおりちゃんを見つめる眼差しも、ますます優しいものになった。もう、私達の前でかおりちゃんを抱っこしたり手をつないだりする場面はなかった。まるで小さな恋人のような、綺麗な二人だった。
発表会の後、慎一くんがかおりちゃんと一緒に挨拶しに来てくれた。
「さやかさん、リボンをむすんでくれてありがとうございました。あれから、いちどもほどけなかったです。それから、きょうさやかさんがひいた曲、わたしもひきたいです」
そのかおりちゃんの言葉に、慎一くんも驚いていたみたいだった。
「さやかさん、ありがとうございました。かおちゃん、もう少しお手々が大きくなって、お姉さんになったら弾けるからね」
「はい」
私も、笑顔でかおりちゃんに言った。
「楽しみにしてるね。また聴かせてね」
「はい」
かおりちゃんは、にこっと笑った。
これで私もかおりちゃんも、一年生になった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
【完結】王太子妃の初恋
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。
王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。
しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。
そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。
★ざまぁはありません。
全話予約投稿済。
携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。
報告ありがとうございます。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる